37 情報の齟齬
「この便せんの文言は保留でいいでしょう」
昨日約束した通り、昼に食堂に行くとアルテマイヤは開口一番そういった。
至極真っ当な言葉だったが、文言が在れば核心に近づけるような気がしていた俺は面白くなかった。
自分でも知らないうちにもしかしたら、「文言を信じる」方にゆくことを期待していたのかもしれない。
「なんで保留て判断にしたんだ?」
アルテマイヤの済ました顔に尋ねる。
奴は俺の質問を聞くと大きなため息を吐いた。
「あなたは同僚の言うことに理由がなければ納得することができないのですか……」
アルテマイヤはそう言って、わざとらしく眉根を寄せる。
こいつは話すたびに悪態をつかなきゃ、満足できないのだろうか。
「文言が本当なら、さっさと核心に近づけそうなのに、保留て言われて、『はい、そうですか』とはいかんだろう」
「はぁ、まったくあなたは短絡的極まりないですね」
アルテマイヤは再度溜息を吐くと、心底見下すような眼でこちらを見つめてきた。
「しょうがないので理由を話しましょう。……理由は単純な事です。その文言は深淵との契約を禁じていますが、深淵と契約したところで、深淵の中で死なずにモンスターと同じように復活できるようになるだけで、他にメリットもデメリットもないからです」
なんでこいつはただのメイドだというのに、深淵の事までわかるんだ?
「どうしてそんなことをお前が知ってるんだ?」
「それは私がフリッシュ家のメイドであるのもありますし、深淵と契約をしているからでしょうね」
「……」
なるほど、それは知ってて当然だろう。というよりもあそこのメイドはそんなに魔王とずぶずぶな関係なのか。
奉公に行ったが最後、戻ってこれないじゃないか。
「私が保留としたことの正当性が分かったでしょう。あの文言の言う通りにしようが、しなかろうが特に困ることはないのです。逆にあなたはなんでそこまで文言を信用してるんですか?」
「それは……エラー、同じクラスの奴が至極真っ当だっていたからにすぎない」
アルテマイヤは俺の根拠がガタガタなことを喜々として責めると思ったが、予想とは外れて、怪訝そうな顔をした。
なぜかトリシュまでもが訝し気な顔をしている。どういうことだ。
「あんたの文言が本当のことだとしたら、エラーは深淵との契約者になりますよ。彼は深淵に足しげく通っている生徒の筆頭なのですから」
アルテマイヤはこちらの疑問に答えるようにそう告げた。
「どういうことだ?」
もう事態を理解しているというのに動揺のし過ぎか知らないが、そんな言葉が漏れた。
他の面子の方が困惑しているだろうにアルテマイヤが口を開いた。
「私もよくわかりませんがあなたの仮説が正しいとすると彼が契約者であり、あなたに契約するのはやめといた方がいいと勧めたということしかわかりませんね」
こちらに語りかけるようにアルテマイヤはそう言うと、言葉をつづけた。
「深淵に頻繁に通う彼が、深淵と契約するなといったということは、あなたが言う仮説も一考の余地はあるかもしれませんね」
先ほどとはうって変わって、自分の仮説が間違っていてほしいとしか思えない。
エラーが俺に便せんの文言を至極真っ当だというときに、常識ではなく、奴の経験から吐き出された言葉としたらそれはどういうことなのだろうか?
―|―|―
「リード、神聖術が使えるようになったからて少し気が抜けているんじゃないか?」
聖言を唱えるだけなので、神聖術は上手くいき、精霊魔法に行くことになったのだが、どうしてか、初歩の初歩である『フォース』が上手くいかなかった。
「嫌そんなことはないはずなんですけど」
「じゃあ、なんで使えるはずの『フォース』が使えないんだい?なにか身内に不幸でもあったのかい?」
師匠は極めて核心に近いところを突いてきた。これ以上ごまかしきれないだろう。
素直に話すとしよう。
「実はエラー、前俺の隣にいた女の子が深淵と契約して、苦しんでいるじゃないかと心配で集中ができなくて」
「深淵つまり、シェイムと契約して苦しんでいるんじゃないかという事か?」
師匠は俺に問いかけるというよりは情報を整理するように、首に手をやりながらそうつぶやく。
言ってから師匠は学園長と浅からぬ仲のようだし、その家族であるシェイムともそれなりに関係があるだろうことに思い至った。
俺が師匠に事情を説明したのはもしかしたら、下手だったかもしれない。
「うーん。あの男が悪巧みができるとは私には思えないな。あれは愚直で、純粋で、臆病なだけだからね。そんな脳みその使い方はおそらく知らない」
魔王にた対してかなり辛辣だな。仮にもこの世界の強者であるというのに。
「でも、あれが知らないうちに悪いことをしてしまっているというのならあるかもしれないね」
「ということは、魔王が予想していなかったことで生徒に被害を及ぼしいているということですか?」
「被害が及んでいるとたら、その線しか考えられないからね。仕方ない。私はあいつに近づかせてもらえないので直接は無理だが、学園長を介して魔王が何をやっているか尋ねてみよう」
学園長も怪しいからそれではダメだ。
「いや、学園長も深淵に足しげく通ってて怪しいということなんでそれはちょっと」
「ああ、それはただ単にシェイムが外に出てくるように説得しているだけだから気にしなくていいよ」
ということは学園長は白だということか?
でもなあ、学園長が師匠に嘘をついている可能性も考えられないことはない。
「ほら見なよ、あれが悪巧みをしてる奴の顔に見えるかい」
師匠は深淵の方向を指さした。そこには目じりを下げて情けない顔をした学園長がとぼとぼ歩いていた。
その姿にはどうしようもない悲しみが漂っている。確かにあれは偽物ではないなにかを感じる。
演技にしては真に迫りすぎているだろう。
「とりあえず、私が魔王については働きかけておくから、君はそのエラーという女の子から詳しい事情を聴いてみたらどうだ? 何か、情報の齟齬があるかもしれない」
この言葉を聞いて、俺は師匠が初めて頼れる人間じゃないかと思えた。




