36 夜会
神聖術は確かに難しいものではなかった。
聖言という呪文を覚えれば簡単に発動できる。
やはり神聖術に使う神気――体の周りに出る光の粒子――は、一種類であり、魔法で使う五種類のマナのような複雑な操作をしなくてもいいということが大きいだろう。
聖言さえ覚えれば、初級から上級まで難度の違いなしに発動できる。
ここまでは理想的な事この上ないが、残念なことに神聖術には二つ大きな弱点がある。
一つ、神聖術では術ごとに神気を使う量がちゃんと決まっていて、術者が使う神気の量をコントロールできず、上級神聖術を放てば一発で神気が切れることがあるということ。
二つ、聖言は魔法の呪文のように、練度が上がったとしても無詠唱という訳にはいかず、発動に時間がかかるうえ、祈りの間は動けないこと。
一つ目の問題は祈りをすることで補充、もしくは地道に毎日祈りをささげることで、降ろせる神気の量を上げるという手があるので対処は出来る。
だが二つ目の問題は対処ができないので非常に厄介だ。詠唱中に動けない……。
動けないのだから対処もくそもあったものではないのだ。
ないのだがこれを放っておくわけにはいかない。このままでは、パーティ―の状態でしか神聖術は使えない上、そのパーティの状態でも動けないということで一人護衛が必要なので足手まといになる事が確定である。
神聖術の特訓の帰り。そんなことを考えながら、男子寮の廊下を歩いていく。
「いい考えが浮かばんなあ」
そんな事をごちりながら、ドアノブをひねろうとすると中から物音が聞えた。
誰かが、俺の部屋に入っているようだ。咀嚼音からして、中に誰がいるかはすぐに分かった。
「トリシュ、なんの用だ?」
ドアを開けると、やはり、食事中のトリシュがいた。
ベッドに腰かけ、スライスされていない食パンを豪快に頬張っている。
トリシュはこちらに気づくと、食パンを口に運ぶ手を止めた。
「いや、放課後アルテさんと話してたら、学園に奇妙な動きがあるとかで、リーさんにも話さなきゃいけないてことで、今、夜だからあたしがここに」
トリシュは話慣れていないので、いまいち要領を得ないがここに来た経緯を教えてくれた。
俺に話すことがあり、本当はアルテマイヤも来る予定だったが、夜になったので、トリシュだけになってしまったということだろう。
「そうか。でその奇妙な動きてのは何だ?」
俺はトリシュに質問しながら、扉を閉め、机に備え付けられた木の椅子に座った。
「学園長の動きがおかしいこと。と生徒が頻繁に深淵に出入りしていること」
「学園長についてはおかしいてのは、ひどくあいまいだな。たとえばどういうことだ?」
「えっと、具体的には……。たしか、深淵に頻繁に出入りしいているとか、見知らぬ若い女と一緒に山中に入って行くとかだったね」
二つ目の若い女と一緒に出入りについては、師匠に儀式の場所を案内していたんだろうことがわかる。
だが、一つ目についてはよくわからない。
生徒が深淵に入っていくことと何か関係があるのだろう。
「二つ目のことは俺の師匠だから、問題ないとしても、一つ目のことが引っかかるな」
「あの若い人、リーさんの師匠だったんだ……」
トリシュは変なところに反応した。今はそのことじゃない。
確かに師匠は怪しい人間だが、それよりは学園長と生徒の怪しい動きへの対処の方が大事だ。
「あれは怪しい人だが気にすることはない」
「うん、……あ!そ、そうだよね」
トリシュの反応がぎこちないが、まだ疑いは解けていないのだろうか。
怪しいものを怪しくないというのも無理のある話か……。師匠も確かによくよく考えればよくわからない人なので、白とは言えない。
「それよりも学園長と生徒の深淵での出入りのことの方が大事だ。関係がありそうな注意書きも手元にあるし、どうも何かあるような気がしてならない」
机の引き出しから例の便せんを出して、トリシュに渡す。
「何これ? 深淵と契約するな……? 確かに関係がありそうだけど。リーさん、この紙、信用できるの?」
痛いところを突かれた。エラーに「至極真っ当」というお墨付きをもらったので、謎の信頼が芽生えていたが、確かに誰が書いたかもしれないものだし、信用できるものかは怪しい。
「まあ、確かに信頼という点については怪しいが、なんかその文言と深淵の出入りは関係がありそうだろ?」
トリシュは訝し気な目で便せんを見ているが、頷いた。
「確かに深淵と契約ていうのなら、頻繁に出入りが必要な何かがありそうな気もしないこともないね。……でもなんかこの便せん。宛名も差出人もかいてないし、怪しすぎるよ」
便せんの文言と出入りについては、一考の余地ありとしてもらえたようだが、便せん自体はだめらしい。
「リーさん、これ、おそらくアルテさんに見せてから、信じるか決めた方がいいと思うよ」
トリシュが至極真っ当な提案を持ちかけてくる。確かにそれが一番だろう。
まともなことが書いてあるからて、無条件に信頼した俺が間違っていた。
「そうだな。その便せんを渡すから、アルテマイヤにも見せといてくれ。明日の昼に落ち合って今後の方針について話そう」
俺はそう言って、トリシュに便せんを渡した。




