世界も仕事も慣れたら日常
太陽が沈まぬ白夜の時期・・・―――
時計が無ければ朝かも夜かも分からぬ白い光の中、私はブーツの踵を静かに鳴らし、歩き慣れた長い廊下を突き進んでいた。
目指すは忠誠を誓った世界でただ一人の主人の元。
手元のトレーに乗った紅茶を零さぬよう細心の注意を払いながら歩き続けていると、ふと右側にある窓に影が差す。
何事かと疑問に思いピタリと足を止めて視線を移すと、目線の先では窓越しにユニコーンの群れが見えた。
見慣れた光景。 しかし、ついこの間までは非現実的だった光景。
私はふと、半年前のことを思い出した。
***
半年前 都内某所・・・―――
「ちっ、あの変態クソおやじッ・・・」
ユニコーンなんて言うメルヘンの塊みたいな生き物なんて心底信じていなかったこの時の私は、都会のとある繁華街で夜の仕事に生きていた。 まぁ、所謂キャバ嬢だ。
元々は普通の会社で普通の事務員をしていたが、ある時友人にヘルプで少し手伝ってほしいと誘われて以来、給料の高さに魅了されて今日までダラダラと続けているという現状。
決して、お酒呑めるのサイコーとか、露出度高い服サイコーなんて理由で続けているわけではない。 全ては金だ、金。
その証拠に今、私は最高に気分が悪かった。 虫の居所が悪いというやつだ。
理由は簡単。
勤務終わりにご贔屓にしてもらってるお客と飲みに行った帰り、ゲヘゲヘと気持ち悪い笑みを浮かべてホテルへと連れ込まれそうになったからだ。
言ってしまえば、こういうことはよくある。 そういう仕事をしているのだ、理解も覚悟もしている。
だからこそ、私はいくら金のためとはいえお客とは絶対にそういうことはしないと心に誓っていた。
もちろん今日だってそうだった。 だからやんわりと、そしてはっきりと断った。
だというのに・・・
「そんな~ 照れなくてもいいんだよ? 俺に可愛いトコロ一杯見せてよ~?」
「いえ、お断りします」
「またまた~ 大丈夫だって! 誰にも言わないよ! ね?」
「遠慮します。 帰ります」
今日の男はやたらとしつこかった。 史上最高と言ってもいい。
断っても断っても、その度に腕を掴んでは息が顔にかかりそうなほど近くで喋り出し、必死にホテルへと連れ込もうとするその男に、私はそろそろ本気で警察を呼ぼうかと考えていた。
「お願いだよ~ ちょっとだけ! 一瞬だから!」
「嫌です。」
数歩進んでは腕を掴まれ、振りほどいて再び進み出しても引き止められる。
もうかれこれ数十分は続くこの攻防に、私の堪忍袋の緒もそろそろ限界を迎えていた。
「(つーか、一瞬ってなんだよッ!? 早漏かコイツッ!!)」
なんて私が心中で毒づいている間にも、男は隣でニヤニヤ笑みを浮かべながら私の腕を引っ張っていた。
相変わらずモゴモゴグチグチと下手な誘い方をしている。
それに、もうとっくにアルコールも抜けている筈なのに、未だに酔っぱらったフリをしているのか、さっきからわざとふらついては体を密着させてくる。
あぁ、もう・・・ うざいしキモイし、贔屓の客だからっていい顔するんじゃなかったっ!
始めは当たり障りなく断ろうとしていた頭も、今となっては時間が経てば経つほどイライラがピークに達し、私は遂に口から本音が零れ出てしまった。
「しつけぇんだよ、このニキビ野郎がッ・・・」
「え? なになに~」
小さく落ちた本音。 上手く聞き取れなかった男はズイッと顔を寄せる。
あ、もう無理。
「ッ、だからッ! さっきからその臭ェ息を人にかけてくるんじゃねぇっつってんだよッ!!」
「・・・・・・・・・は?」
「つーか、さっきから黙って聞いてりゃあグチグチグチグチだせぇ下ネタしか話さねぇし・・・ テメー童貞か? あ?」
「なッ、は・・・ え?」
「顔はブサイク、会話も下手くそ、おまけに童貞・・・ よくもまぁそんなんでいくらキャバ嬢とは言え私みたいな若い女と寝れると思ったよなぁ? よっぽど頭おめでたなのか?」
一度ぶち切れた私はもう止まらない。
高校時代にやんちゃをしていた時の私がひょっこりと降臨してしまう。
「いい加減、仕事だから相手してやったんだって気付けよバカが」
「・・・・・・・・・」
「わかったんならさっさと失せろ。 そのツラ二度と店にも見せるなグズッ!」
そう吐き捨てて私は腕を振りほどくと、未だ放心状態の男をその場に残し歩き去った。
カツカツカツカツ、荒々しい足音を響き鳴らしてその場を去った私は大通りに出てタクシーを捕まえると、イライラした気持ちのまま自身の住むアパートへと帰ったのだった。
話は大分ゴタゴタしたが、私がユニコーンのいる絵に描いたような異世界へと転生してしまった訳は、この次の日の勤務中に起きたある事件のせいである。
簡単に説明すると、この日、私はバリバリの勤務中に死んだ。
急性アルコール中毒だとか、持病があっての発作などではない。 お店が火事だとか、強盗が入ったなどでもない。 ましてや、地震や台風などの自然災害でもない。
じゃあ何故かって?
それは聞いてビックリ! なんと私は殺されてしまったのである!
それはもう、あまりにもあっさりと、あまりにも呆気なく、あまりにも情けなく・・・
私は殺されてしまった。
犯人は私のお客の一人。 何を隠そう、昨日全力で罵倒し倒した童貞クズ野郎である。
二度と来るなと言ったのにいつものようにヘラリとした顔で来店した男は、キモイ笑顔そのままに、席に着いて早々に鞄からナイフを取り出して「死んでもらっていいかな?」と言ってきた。
一瞬、なに言ってんだコイツ?と内心で首を傾げたが、まぁ相手に殺意を芽生えさせるようなことをしたのは私だから仕方ないか、と納得した私は「はい、どうぞ?」と営業スマイルを浮かべて了承した。
そしたらグサッと刺されて死んでしまったのである。
まぁ死んでしまった原因は自分にもあるわけだし、別に夢も目標もなく生きていたから人生に未練もなかった。
百歩譲って死んだことに対しては、仕方ないと変に受け入れていた。
しかし、問題はこのあとだ。
何がどういうわけか・・・
死んだはずなのに、私は死んでいなかった。
正確に言えば、死んだはずなのに次の瞬間にはもう既に意識があった。 つまり、生きてた。
自分でも何を言ってんだ状態だけど事実である。
あー、私死んじゃったなー。 なんて、微睡みみたいな意識がゆらゆらしていたのに、ふと気付いた時には、パチリと目を開いて、しっかりと自分の足で地面に立って、思考回路も平常運転を再開していた。
は? なんて流石の私も目ん玉が飛び出るレベルの摩訶不思議体験だったけど、現状を理解する間もなく耳に飛び込んできたのは「コラッ! 早くしないとそろそろお坊ちゃまが帰ってくるわよ!」という聞き慣れない女の人の声だった。
は? と再び脳内が混乱状態に陥ったが、無意識に私の口から零れ落ちた「はい すぐ行きます!」という言葉に、自分でも驚くくらい冷静になった。
(そして何故か、自分が何をすべきか、それをするためにはどうすればいいのかを理解し行動していた。)
「、!」
そこまで思い出して、私の思考はハッと現実へと戻って来た。
「(いけないいけない・・・ 早くお坊ちゃまを起こしに行かなくちゃ)」
相変わらずの白夜で真っ白な光が差し込む廊下をゆっくりと進み出す。
随分と長い間、頭が思考の海に沈んでいた気もするがチラリッと確認した腕時計はまだ5分も経過していなかった。
よかった、と内心安堵の息を漏らしながらも、私の脳内は再び思考の波に呑まれてゆく。
勿論、今度は歩みは止めずに。
「(そう言えば、なんだかんだでこの世界に来てからもう半年経つんだー)」
今だから呑気に言える話だが、どうやら私は異世界に転生してしまったらしかった。
最初こそ、んな馬鹿な・・・ と思っていたが、ふと窓の外を飛んでいたユニコーンを目にした瞬間、私は考える間もなく現状を受け入れた。
そして、まるで眠っていた記憶が蘇るかの如く私の脳内にはポンポンとこの世界の情報が流れ込み、整理したところ、この世界には魔法が当たり前のように存在し、所謂ファンタジーの世界であるということを理解した。
驚いたのは、私は既にある程度の魔術は習得済みで、余裕で自分の命ぐらい自分で守れるくらいには武術にも精通していた。
「(いや、ホント・・・ 自分のことながら私どうなっちゃってんの?)」
なんて少し怖くもなったが、あーこれが所謂チートってやつかーなんて自己完結してからはありがたくこの才能と能力をフル活用させて貰っている。
まぁ、こんな感じで長々と前置きをさせてもらったが、転生してから一番「おい、まじか」と言葉を漏らした事実は、なんと自分がメイドだったという現実だった。
おいおい・・・ 冗談だろ? まじで?????
この異世界に存在する、ロンドブルム皇国という国の皇都『ロニア』――
そのロニアを防衛する“皇都守備隊”の現最高司令官が、私の仕えるお屋敷の旦那様であり、その一人息子であるお坊ちゃまの専属メイドが私であるらしかった。
おったまげ~~(白目)
正直、なんで転生したのかとか、このチート並みの能力はなんなの?とか、ていうかこれそもそも本当に現実なの?夢とかじゃないの?とか、思うことは山ほどあるけど、とりあえず今は・・・―――
「お坊ちゃま、おはようございます。 そろそろ起床しないと遅刻しますよ。」
「ん~~っ うるさいなぁ・・・」
「今朝の紅茶はアールグレイでございますよ。 ほら、お坊ちゃま!」
「黙れ・・・ 静かにしろっ・・・」
メイドの仕事が忙し過ぎて毎日てんてこ舞いなので、ゆっくり考える暇もありません。