Prayer1 ④
「緊張することはない眠りに落ちるのと同じようなことさ」
教会地下施設の職員である男性がユウキに声をかける。
「違和感はないかい?」
彼はユウキの頭にヘッドギアの様なものを取り付けながら言った。
「はい」
手短に返す。体にぴったりと張り付くようなスーツを着込んでいた。Prayerのために開発されたものらしい。着込むのは大変だったが、身につけてみれば何も着ていないような錯覚を覚えるほど装着感がない。それだけユウキの体にフィットしているということだろう。
「じゃあ、横になって」
職員の指示で、目の前のカプセル型の入れ物に腰をかけた。エレナが眠っていたものとほぼ同じだろう。カプセルの中は思いの外柔らかい素材でできている。ユウキは完全に中まで入ると仰向けになった。
「OK。これから扉を閉める。しばらくすれば、カウントが聞こえてくると思う。そうすると段々と意識が遠のいていく様な感覚に襲われるはずだ。簡単に言えば強烈な眠気みたいなものさ。君はそれに抗わずに眠ってしまえばいい。楽勝だろ?」
職員はいたずらっぽくいう。場を和ませようとしているのだろう。
「心の準備は?」
「大丈夫です」
そう答えると満足そうに微笑んだ。
「旅の成功を祈ってるよ」
彼はそういうと、カプセルのガラス張りの蓋を閉じた。光は入ってくるが、音と空気の流れが消えて閉鎖空間に閉じ込められたと感じる。職員たちがカプセルの外で互いに掛け合っている声は聞こえるが、なんと言っているかまではわからない。
それから数十秒が経過する。
「10、9、・・・」
カウントが始まる。ガラスに遮られてくぐもった音だ。ユウキは遠のいていく意識の端で、この数時間の間に起こったことを思い出していた。
******
目の前の扉が自動で開いた。ユウキをここまで運んだエレベーターが教会の地下を果たしてどのぐらい降ったのかはわからない。エレベーターを出た先には立ち入りを制限するためのゲートがあるが、手をスキャナーにかざすとロックは解除されゲートは開いた。
ブリーフィングルームはこの先にある。今日、Prayerとして初めて任務に就くのはユウキだけではないと知らされている。サーの手から招待状を受け取って、1週間が立っていた。
「おっと、」
通路の角を曲がったユウキの耳に女性の声が飛び込んだ。どうやらぶつかりそうになったらしい。
「すまんな。急いでいてね」
ハスキーな声が飛んで来た。背はユウキと同じぐらいだろうか、女性にしては高い。髪はバッサリと短く目は猫のよう鋭かった。
「いえ、こちらこそすいません」
謝罪を返し、そのまま立ち去ろうとする。しかし、彼女はユウキの前に立ちふさがったまま彼の顔を覗き込む。
「えっと・・・」
「君はもしかして、新しいPrayerかな?」
戸惑うユウキに彼女は問いかける。
「そうですけど」
「やっぱりね。ここに君ぐらいの子供がいるとすればそれしかない」
「えっと、もしかしてあなたも・・・」
「私?若く見えるといいたいのかい?世辞がうまいな。残念だけど私はもうとっくに引退した身だ。十代も終わりに近づけばベテランという世界だ。未だ現役と考えるのがおかしかろう」
彼女はどこか遠い目をした。それから少し、考えるような仕草をする。
「えっとー・・・」
ユウキの戸惑いをよそに彼女は勝手に結論を出した。
「私の名前はモルガーナという。モルガーナ・デ・ロレンティ。神秘部の祓魔師だ」
モルガーナは突然名乗ると、ユウキの耳元に口を近づける。そして意を決した表情をすると声を潜めて呟いた。
「馬鹿な話だと思うなら聞き流してくれて構わない。だがもし今後、教会のあり方に疑問を持ったり、ついていけないと感じたら私のところを尋ねてこい。サー・イズラエルという男をあまり信頼しすぎるのはよくない」
「えっ?」
その言葉に不意をつかれたユウキは驚きを持ってモルガーナを見た。
「神秘部のモルガーナだ。この名前忘れないでおけ」
そう言うや否や、ユウキが発言の真意を尋ねる間も無く、モルガーナは颯爽と立ち去った。
「どうしたのかね。こんなところに立ち止まって」
突然の声にユウキはドキリとした。モルガーナが去ってからまだ数十秒しか経過していない。入れ替わるように現れたのは、モルガーナが信用するなと言った男、サー・イズラエルだった。
「えっと・・・、今綺麗な女性とすれ違って・・・」
今あったことをサーに話すべきか悩み言葉を濁す。
「ああ、モルガーナか」
自然と名前が上がった。当然だろう、サーとモルガーナは廊下ですれ違っているはずだ。
「はい。なんか、かっこいい女性だなあと」
結局言葉を飲み込んだ。思えばユウキにしてもこの男と深い付き合いというわけでもない。モルガーナがサーに不信感を持っていようとそれを告げ口する義理もない。
「彼女も元はPrayerだったんだよ。今は祓魔師をしている。続けていれば今頃は優秀なPrayerとしてその名を残していただろうに・・・」
半分独り言のような言葉にはモルガーナに対する哀れみはあれど、それ以上のものはない。この確執はモルガーナの一方的なものなのだろうかという疑問が浮かぶ。
「行こうか、みんなもう集まっているはずだ」
サーに促され思考はそこで止まった。
******
ブリーフィングルームに入ると、中にいた全員の視線が一斉にサーとユウキに集まった。部屋にいたのは5人、男が3人、女が2人。皆、学院の制服をきている。1人の少女が目についた。ユウキと同じ、黒髪に黒目。サーの授業を受けていたあの少女だ。なんとなく予想がついていただけに、驚きはしなかった。
5人はまとまりなくバラバラと座っていて、談笑をしていたという雰囲気もない。お互いが初対面であるだろうし、それ以前に皆が緊張していることもあるだろう。張り詰めた空気がユウキの開いた扉から漏れて伝わる。
「全員が揃ったな」
適当なところに腰掛けると、サーが部屋の中央にあるスクリーンの前に立ち、告げる。
「君たちの任務について、すでに諸君には詳細が知らされているとは思うが、今一度、私から要点を話しておきたい」
彼はPrayer達が事前に説明を受けた情報をもう一度確認する。
ユウキを含むここにいる6人のPrayerはこれから教会の持つ施設を使って、Akashaを構成する神々しき者共が見る夢の世界「HisStoria」にダイブする。その記念すべき初任務は、自らのセーブデータを確保することにある。
「君たちの記憶は、通常であればメモリーベルトを通るときにその大半が消失してしまう。楽しかった、悲しかった、何がすごいことが起こった。普通であればHisStoriaから持って帰れるのはその程度の情報だ」
そこで、ユウキたちはHisStoriaにダイブし肉体を得た後、神々しき者が眠る結晶体を探すのだ。簡単に説明すれば、神体結晶に、向こうの世界で得た肉体、アバターの記憶を保存する。保存されたメモリーは、Akashaを通じて現実世界の肉体に書き込むことが可能となるし、逆に再びHisStoriaにダイブするときにメモリーからアバターを復元するということが可能になる。
保存することをセーブ、保存ができる場所すなわち神体結晶のある場所をセーブポイント、そして保存された情報をセーブデータと呼んだ。
「こちらと同様、あちらの世界でも神々しき者の大半は教会の管理下にある。大きな教会を探すことがセーブポイントを探すことと同義となるだろう」
今の教会の技術では、アバターの作成される場所を正確に決めることはできない。つまり、初めてダイブするPrayerが目覚めるのは、セーブポイントの隣であるかもしれないし、あるいは遠く離れた場所かもしれないということだ。
「仮にセーブポイントに辿り着けず、アバターを失う、つまりあちらの世界で死に位経った場合、記憶を持ち帰れないどころか最悪君たちは現実世界で目覚めない可能性もある」
俗にいうLost である。ユウキたち一人一人に刻み込むように重く言葉を乗せる。
「・・・25.6%。現在までで、Lost したPrayerが現実に帰ってきた確率だ」
誰が唾を飲む音が聞こえた。自分たちが死と隣り合わせであることが、数字とともに脳に刻まれる。
「もちろん私は全員が無事に帰ってくることを祈っているがね」
そう伝えるサーの表情をユウキは読み取ることができない。あの女性、モルガーナがもしこの言葉を聞いたならば、本心と捉えるのだろうか。それとも彼の心の奥にはユウキの知らない裏の顔が眠っているのだろうか。
しばらくして、施設の主任研究員という人が現れて準備が整ったことを伝えると、彼に従ってユウキ達はブリーフィングルームを後にした。
******
「・・・3、2、1・・・」
ブリーフィングの内容を思い出している間もカウントは進む。そして考え事をしていられたのもそこまでだ。強い眠気に襲われる。抗う気も起きない。何を考えてたっけ? まあいいか。肉体を襲う睡魔は精神を蝕んで、やがてユウキの思考は消えた。
「ユウキ・タッキナルディー、HisStoriaへの接続成功しました」
本人には届かない声がスタッフから飛ぶと、サーは満足そうに微笑んだ。
「さて君はどんな物語を持って帰ってくるのかな」
その言葉は誰にも届くことはなかった。
******
金色がたなびいている。風に吹かれてその重そうな穂を右に左に揺らす。目の前の光景を綺麗だなと思う感情と、昔はそんな風に思いもしなかったなという懐古が同時に起こった。
「・・・ねえ?聞いてるのユウキ」
隣にいた少女がぼーっとするユウキに肩をこずいた。誰だ? ああそうだ姉さんだ。10もそこらの姿だから気がつかなかった。じゃあここは、2人の故郷の農村に違いない。
のどかな風と揺れる麦穂から、優しさと懐かしさが漂ってくる。
あれ?
違和感があった。ここにいる自分と、遠く未来からここを覗いている自分の2人がいる奇妙な感覚だ。アイデンティティーが揺らぐ。その瞬間に重力を感じた。今ここにある意識の外側に、それを入れる入れ物があるのがわかった。金色の麦畑が遠ざかっていく。ああ、まだここにいたいのに。そんなことを思った。
思考を収める入れ物がガクンと揺れるのが伝わって、意識はその触感に引きづられる様に肉体へと浮上した。
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ゴトン、ゴトン、揺れている。乗り物に乗っているのだろう。体がきしむ。きっと膝を抱えてうずくまり寝ていたからだ。カビの匂い。意識に鞭を打って目を開ける。覚醒し切らない瞳が写し始めたのは、まだ彼の知らない世界だった。