覚悟
俺は、応接室に案内しようと振り返り様、足の小指を柱にぶつけ、死に悶える激痛と戦っていた。
「だ、大丈夫ですかー…?凄い変な声出てましたけど…」
「ああ、ああ…大丈夫。大丈夫だからあそこに…」
応接室の戸を指差し、先へ行くように促す。
彼女は笑いを堪えているのか、今にも吹き出しそうな顔で玄関を上がり応接室に向かっていた。
ムカつくにも程があるだろ。
絶対に今日は厄日だ。そうにちがいない。
先輩の娘が襲来し、玄関を壊され、足の小指をぶつけ……。
そんな考え事をしてるうちに痛みが引いてきた。キッチンへ向かいお茶の準備を、お茶請けのクッキーがあった筈なんだがー…。
すぐに見つかった。取り敢えず、だが客人は客人、持て成しはしっかりしないとな。
湯が沸き紅茶を汲み、応接室へ。
「紅茶と茶請けだ。」
「あークッキーだ!ありがとうございます!」
茶を出した俺は、向かいのソファーに腰を掛けた。
「改めてだ、俺は葦沢律斗、君のお母さんには高校、大学とお世話になった。いや迷惑を掛けられた。」
「不知火調佳です。母からお話は聞いてます。手塩に掛けて育てたって言ってました……。」
彼女はそう答えると、お茶に手を出し、
とてつもなく嫌な顔をした。
「ぐええ……甘過ぎじゃないですかこれ……」
「は?そんなはず無いだろ。いつも通り砂糖3個だが?ん、美味しいが??」
「あー…甘党なんですね…わかりました。」
「いや…そんなことは無いと思うが…」
甘いものは好きだが甘党だと思ったことは一度もない。
角砂糖なんて4個入れた位じゃ変わらないだろ。
いいや、本題に移そう。
「と、まあそれは今どうでも良い。なんで俺の弟子になろうと??」
「突然ですね…まあいいです。5年前に、母が刺され、そのまま亡くなりました。
母からの手紙には…葦沢さんとの大学時代の事が書いてありました。力になってくれると…。」
「ああ。」
「私は、母を殺した人を絶対に許せないです……。母は、恨まれることをしていたかもしれません…でも…許せないです。」
母の話題になった途端顔が曇り、声色が哀を示し再開を求めていた。
人より聴覚がよく、声色で心情がある程度わかる。
叶わぬ再開を望んでいる。
俺は彼女が差し出した、先輩の残したと言う手紙を受け取り読み始める。
『調佳へ
この手紙を読んでいるとき
お母さんの身に何かが起き、貴女の側を離れた時だと思います。
少し昔のお話をします。
お母さんは大学生の頃、葦沢くんとゼロと呼ばれるお仕事をしていました。
表沙汰になれば、多方面から恨みを買うような事ばかりです。
貴女の側を離れてしまうと言うことは、今まで恨まれることをしてきたお母さんへの罰だと思います。
受け入れられないと思います。
でも、貴女はとても強い子です。
心身ともに逞しく育ってくれました。
でもこんな形で調佳の側を離れてしまった事は許せません。
そこに切ってのお願いです。
この手紙をもって
5年後、葦沢くんの元へ向かってください。葦沢くんは必ず力になってくれます。
最後になるけど、
調佳、こんなお母さんでごめんね。
先に眠るけど許してね。
愛しています。』
最後の方は濡れたような後で字が滲み
読むのが難しかった。
あんなにがさつで、暴力的で、しつこくて、口うるさくて、何かあればすぐ人の家で鍋を作っていたような女がしっかり母親をしていた事に驚きを隠せなかった。
いつしか、胸の奥に閉じ込めたはずの恋心を不覚にも思い出してしまった。
めんどくさいが託された以上、彼女の力になろう。
そう腹に決め、目の前に座っていた彼女の姿が見当たらず首を動かし探していると、肩にずっしりとした重みが加わった。
声を殺し、静かに泣く彼女の頭を撫で、必ず、絶対に、心配させまいと誓った