姥捨て山復活計画
西暦205X年、日本政府の破たん、
量子コンピュータは日本の未来をはじき出した。
いやいや、そんなことしてくても誰にも分かった。
財再破たんである。
借金は3000兆円を超えるのだ。
日本政府は数々の手を打ったが、どうにもならなかった。
関東大震災、南海地震、スーパー台風と重なった。
しかし、本質はそれ以前から始まっていた。
少子高齢化が超進んだのだ。
医療、年金、介護が、国家予算の6割を占めることになる。
現役世代ではもう支えきれなくなったのだ。
そして、希望を失った。
若い世代は自分らが背負わされているモノに絶望し、
高齢者は子供や孫たちの足手まといになっていることを嘆いた。
「姥捨て山的なモノを造ろ」
総理経験者の太田が発案した。
太田は、老人を切り離し、若い世代に負担をかけない様にしようと提言した。
今でも名探偵で、親友の藤崎誠の助言だった。
各省の官僚らはこの提案を試算した。
「これなら、日本を救えるかも・・・」
と、一人の官僚が漏らした。
医療、年金、介護に絶大な効果をするのだ。
「これなら消費税を廃止できる・・・」
消費税が18%になったのも、景気を後退させた原因だった。
3年後、プロジェクトは始動した。
「じゃあ、行ってくるわ」
老人は、手を振る息子や孫たちに言った。
両手に大きなトランクを抱えている。
男は今日で70歳になる。
隣には65歳の妻、どちらか70歳を超えれば、
参加できるのだ。
二人は集合場所に向かうために、最寄りの駅へ歩き始めた。
夕日に青いアロハが映えている。
二人の足取りは軽かった。
彼らはこれから海で暮らすのだ。
若い世代と離れて。
豪華客船で。
日本政府は1万人分の客室がある超豪華客船を建造したのだった。
そして、そこに老人を集めた。
これが姥捨て山プロジェクトの真相だ。
豪華客船のため、わざと否定的な名称にしているのも、
藤崎の配慮だった。
老人ホームを建造する費用はかからない。
高度医療施設も完備され、
医者、看護師、介護士も多数乗船し、
病院の機能を完全に果たしていた。
部屋代、食費、医療費、すべては無料だった。
しかし、保有している資産を提供しなくてはならない。
また、年金の支給も無かった。
でも、医療コストを大幅に抑えることができる。
部屋で医療が受けられるため、入院の必要がないからだった。
とは言っても、医療関係者だけでなく、料理、清掃、娯楽など多くの人が乗船している。
その他のコストは膨大で、総合的な採算は少し黒字の程度だった。
しかし、この高齢者の消費が日本経済を活性化させた。
藤崎の狙いはそこにあった。
彼らはすべて日本国内で消費したのだ。
海外旅行などで、外国にお金を落とすことなく。
もちろん食糧、衣料品などは国内産だった。
このプロジェクトは日本に未来を見せることになった。
豪華客船の建設という直接的な物だけでない。
特に、精神的なモノだった。
高齢者は老後の心配しなくなった。
すると若い世代からも不安が消えていったのだ。
これは出生率が証明していた。
今、老人を乗せた豪華客船は離島に停泊している。
その島には医療機関が無かった。
藤崎は病院船としての利用も計算していた。
そして、次に来る震災の仮設住宅としても。