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其ノ陸 皮算用は誰がした?

大黒柱に掛かる年季の入った柱時計が、辺りへと荘厳(そうごん)な金属音を響き渡らせる。

数えて九回目の鐘の音が、空気へと静かに溶けていくのを見計らい、僕は自分の立つ空間をゆっくりと睥睨(へいげい)する。前回の訪問から、十日も経たない内に再訪した道誠寺家の大広間には、以前とはまた少し異なった面子(めんつ)が集結していた。

前と同じ位置へと座する伏生・道誠寺両当主の隣には、それぞれ八島・沖田の両氏が(かしこ)まった面持ちとなって控えていた。共に正装へと身を包んだ彼らは、会合へと参加した体験は僕同様に(とぼ)しいらしく、張った肘や肩へと微かに緊張を漂わせていた。

そして、場慣れしない雰囲気を全身に帯びているのは、僕から向かって右後ろの壁際に待機している、秋音さんと壬ちゃんも同様だった。

前々回の会合で会った際と同じ、紫染めの和服を身に着けた壬ちゃんは、一見その場の空気など意に介さない、平気そうな顔付きをしている。しかし、そんな彼女の表情にも僅かではあるが固さが透けて見え、いつもの豪快な不遜さはすっかり鳴りを潜めてしまっていた。

一方、そんな彼女の隣に座る秋音さんは、萌黄(もえぎ)色の着物を着込んだ体をガチガチに硬直させ、元々の透き通るような顔色へと、更に白味を加えていた。

僕の視線を感じ取った秋音さんは、自分を心配する必要はないと伝えようとしたのだろう。彼女はその整った相貌を左右非対称な形へと歪ませ、不器用かつ不恰好な笑顔をこちらへと向けて浮かべていた。

僕は秋音さんが卒倒してしまう前に、この『第二回 三丁目稲荷神社石像盗難事件』の緊急会合へと幕を降ろすべく、急ぎ開催宣言代わりの挨拶を述べた。

「では、定刻となりましたので、今回の会合を始めさせて頂きます。まずは、本日は急な呼び掛けにも関わらず、皆様揃って(こころよ)く応えて下さり、誠に有り難うございます。今回、尾上様や両家の方々のみならず、八島氏や沖田氏にまでこの夜分にご足労を願ったのは、他でもない例の事件についての重要な報告があるためで―」

「その前に少し、質問をしても宜しいですか? あの件についての確認であると言うのであれば、当事者であるこの二人がいるのは、私にも良く分かります。ですが、今回の一件とは何ら関わりのないはずのあのお二方が、なぜこの場へと同席しているのでしょうか?」

 唐突に僕の言葉を切った伏生氏は、意味有り気な微笑を頬へと張り付かせ、大広間の端に座る秋音さんと壬ちゃんを流し目で示す。じっとりと細められた彼の横目には、彼女達の存在を(うと)んじる排他的な気配が、そこはかとなく滲み出されていた。

「今後の重要な方針が決められるこの会合には、基本的に尾上様と三ツ峰様、そして伏生家と道誠寺家の中核を担う者達だけが参加するという仕来(しきた)りのはずです。まあ、そこのお嬢さん方は尾上様や勘助さんと非常に近しい間柄ではありますが、この場に加わる必要性がないのであれば、情報漏洩を未然に防ぐ意味でも、一度お引き取り願った方が宜しいのでは?」

 丁寧な口調で自分達を邪魔者扱いする伏生氏に、壬ちゃんは着物の生地を握り締めて歯噛みし、秋音さんは悄然(しょうぜん)とした顔を自分の膝へ落とす。

そんな二人へと軽く目配せし、僕は伏生氏へとできる限り温和な口調で答えを返した。

「彼女達は今回、僕の確認作業の過程において、多大な助力と貢献をしてくれました。ですから、この会合においても二人には報告内容の事実確認をお願いしています。また、調査に関わった身としても、この話し合いを最後まで見届けてもらうのが筋だと思っています。ですが、もし道誠寺様のご息女や尾上様の養女でもある彼女達が居ては論議に集中できないと言うのであれば、こちらとしても検討をする用意はありますが、如何(いかが)致しましょうか?」

それとなく牽制の刃を忍ばせ、加えて意向を尋ねる僕に、伏生氏は気まり悪そうな微笑みを浮かべて沈黙した。あえなく撃沈して口を噤む彼を、向かいに座っていた道誠寺氏は喜色満面となって、さも愉快そうな目付きで見下していた。

 失態を犯して黙然(もくねん)とする好敵手に代わり、今度は彼が僕へと疑問を呈してきた。

「それはそうと、三ツ峰殿は今回も欠席であるらしいな。何やら事件についての重要な報告があるとからしいが、代行を介しての通達で、本当に大丈夫なのか?」

 そう言うと道誠寺氏は、本来は爺ちゃんが居るはずの尾上氏の右隣へと立つ僕を、胡乱(うろん)な眼差しで眺め回した。

 若輩者への不審感を顕わにする彼に、僕は薄っすらと自信に裏打ちされた笑みを浮かべ、何も問題は無いと断言した。

「確かにこの場合、三ツ峰当主である私の祖父から直接、皆様に説明をするのが妥当であるかと思います。しかし、彼の腰痛が未だ完治していない以上、ここは代行である私から、この度の彼の調査内容、そして、この事件の真相についてお伝えさせて頂きます」

 僕のその一言が放たれた瞬間、大広間を低い調子のどよめきが包み込んだ。

伏生・道誠寺の一同が騒然とする中、静かに煙管を口に運んでいた尾上氏は、突然の発表を行った僕へと、常と変わらない穏やかな表情を向けた。

「すると、宗次郎は今度の事件の内実を見抜き、それを君へと詳しく教えた、ということで良いのかい? 今から報告する内容は、全て彼が考えたものだと」

「……はい。そのように理解していただいて、構いません」

「そうか。じゃあ、聞かせてもらおうかな。宗次郎の推理とやらを、君の口からね」

 彼はそう言うと、おもむろに僕の方へと体を向け、話へと耳を傾ける姿勢を取る。小さく丸いレンズの奥で、好奇に満ちた光を燈す彼の双眸に、僕は尾上氏がこちらの嘘をとっくに看破しているらしいことを察した。

僕がこの場において披露するつもりの推理は、その実ほとんどが僕個人で導き出した考察に過ぎなかった。病床にある爺ちゃんには、あらかじめその内容を明かしており、彼もまた僕の下した結論に同意を示してくれていた。

だが、新人代行である僕の発案と知れば、伏生家と道誠寺家の面々は、最初からその内容を疑って掛かる可能性もある。

そう考えた僕は、爺ちゃんから彼の名を借りることを許してもらい、あくまでも彼の代弁役であるとした上で、自らの推理を会合の場で発表することに決めたのだった。

そうした内情をいとも容易(たやす)く見透かされ、密かに固唾を飲み下す僕に、顔を真っ赤に上気させた道誠寺氏が野太い濁声(だみごえ)を吐き掛けてきた。

「事件の真相が分かったということは、犯人も既に特定できているということだな!? 言え! 一体どの狐が、こんな下策を弄していたというのだ!?」

 どうやら幸いにも、卓越した慧眼(けいがん)と観察眼を持ち合わせる者は、この場には尾上氏以外には居ないようだった。事情を知り得ている秋音さんと壬ちゃんを除き、推理の発案者が代行本人であると疑う者は誰一人としておらず、僕は九死に一生を得た心地に浸った。

 ここは、尾上氏が謎の挑戦状を突き付けてきたのだと捉えて、予定通りに話を進めるしかない。

 そう腹を括った僕は、余裕を持って静観する尾上氏と、興奮と当惑の坩堝(るつぼ)にある伏生・道誠寺両家の当主へと、一人の証言者を召喚することについての是非を尋ねた。

「まず本題へと入る前に、その者の話を聞いては頂けませんでしょうか? 彼の証言は事件の本質を語る上において、不可欠な要素を含んでいると思われますので」

「ふん、まどろっこしいことを! そんな手間など掛けず、さっさと犯人の正体を―」

「私は、別に構いませんよ。代行様がそれ程に大事だと(おっしゃ)るのであれば、おそらくその証言者とやらの話は事件を読み解く上で、とても重要となってくるのでしょう。尾上様も当然、そのようにお考えですよね?」

 先程の発言を挽回するつもりなのか、伏生氏は反対意見を口にする道誠寺氏から強引に発言権を奪い、率先して僕の申し出を受けると宣言する。彼からの確認に尾上氏も僕へと小さく首肯を返し、不満そうに渋面を作っていた道誠寺氏も、不承不承僕の要請を認めるしかなくなった。

 主な決定権を有する三者より許可を得た僕は、かつて自分が爺ちゃんから呼ばれたように、大広間に隣接する控えの間へと声を掛ける。ややして開いた襖の奥から、薄手の丁シャツにチノパン姿の陸助さんが、のっそりとして現れた。

周囲から少しばかり乖離(かいり)した容貌と雰囲気を持つ彼に、大広間からはちらほらと戸惑いの声が散発していた。

片眉を極端に上げ、無言のまま説明を求める道誠寺氏に、僕は彼の名前と正体を告げる。すると、彼を始めとして一律に曇っていた伏生と道誠寺一同の表情が、一気に侮蔑混じりの驚愕へと塗り替えられていった。

「あ、アライグマだと!? 貴様、そんな(きたな)らしい余所者(よそもの)を、断りもなく儂の屋敷に入れたと言うのか!? 幾ら代行の任にあるとは言え、勝手が過ぎるのではないか!?」

「事前の申告を(おこた)ったのは、誠に申し訳なく思います。しかし、その責任を問う前に、まずは彼の話を一通り聴いてはくれませんでしょうか?」

 家主である道誠寺氏は予期せぬ客人へと対し、その不愉快さを隠そうともしなかった。それでも、全く拒否反応を示さない尾上氏の様子に、彼はまたしても自らの主張をおとなしく取り下げるしかなかった。

 道誠寺氏が忌々しそうに口を閉ざすのを見届け、僕は胡坐(あぐら)をかいて待機している陸助さんへ合図を送る。彼は長く垂れた毛先を揺らして緩慢に頷き、気負いのない朴訥(ぼくとつ)とした口調で次のように語った。

「僕は、ただ今説明を受けた、アライグマの相良陸助という者です。本来ならば、こうして皆様とお初にお目に掛かることは、お互いに出来る限り避けた方が良いかとは理解しています。ですが、僕は自らの犯した罪について贖罪(しょくざい)するためにも、敢えてこの会合へとお邪魔させていただくこととしました。

 実は、わたくし相良陸助は、八島様の神社が荒らされたその日、ほぼ同じ時間に同じ場所を訪れ、祠へと供えられていたお握りを盗み食いしていたのです。それより少し前、僕は人間の知り合い達と共に酒を飲み、深い泥酔状態にありました。正常な判断力を失っていた僕は、小腹が()いたがために偶然通り掛かった神社のお供え物へと手を付け、更には自分の種族の習性から、手水鉢までをも食べカスで汚してしまいました。そして、僕は自分を迎えにきた弟に連れられ、急いでその場から逃げ出してしまったのです。

 決して悪気はなかったとはいえ、僕が自己管理を怠ったせいで、神社の管理者の方に迷惑を掛けてしまったのは紛れもない事実です。謝罪が今日まで遅れてしまったことも含め、八島様にはこの場を借りて、改めて深くお詫びを申し上げます」

 打ち合わせ通りの言葉を並べ、陸助さんは深々と頭を下げて陳謝する。端的に述べられた彼の突然の自白に、大広間には瞬く間に動揺が広がっていった。

自らの非礼を詫びる彼に、八島氏は唇を真一文字に引き結びながら、目蓋を剥いて括目(かつもく)していた。重く口を閉ざす彼の隣では、尖った顎へと左手を添えていた伏生氏が、納得した面持ちで感慨深そうに頷いていた。

「なるほど……。つまりは、八島さんの神社の惨状は、酒に酔った彼の乱行によるものだということですね。この事件の真犯人は、最初から我々の内にはいなかった。本当に罪を問われるべきは、我々狐でもなければ狸ですらなかったのだと、そういうことですね」

「いえ、それは違います。私……の祖父は、彼が真の下手人であるとは、考えてはいません」

 得心したように呟いた独白を即座に否定され、彼は頬へと乗せていた得意気な表情をぎこちなく崩す。

 戸惑いを顕わにする一同を前に、僕は成り行きを見守っていた秋音さんへと、小さく頷いて指示を出す。それを見て取った彼女は、障子を開けて廊下の方へと出ると、そこに準備していたホワイトボードを大広間の中へと引き入れた。

 ガタガタと車輪を鳴らし、畳の上を進んでくる移動式の白板には、数日前に僕が撮影した神社の写真が、引き伸ばされた形で幾つも貼り付けられている。

 僕は部屋全体から見える位置へと停められたそれに歩み寄り、思わぬ小道具の登場に面食らう彼らへと、そこに添付している複数の現場写真を指し示した。

「これはつい二日前、僕が事件現場を調査のため訪れた際の写真です。これらの状況に間違いはありませんね、八島さん?」

「あ、はい。……私が発見した時と、特には変わっていないかと」

「分かりました、有り難うございます。彼の言う通り、これが事件直後とほぼ同じ状況だとした場合、ここで一つの疑問が浮上します。先程の陸助さんの証言によれば、彼はお供え物を食べ、手水鉢を食べ残しで汚しただけだとしています。ですが、実際はこのように、現場には幾つもの破壊活動の跡が見て取ることができます。この意見の食い違いは、一体何を示しているのでしょうか?」

「そんなこと、考えるまでもない。この(やから)は神社の境内を手当たり次第に荒らしておきながら、供え物を(あさ)っただけだと妄言を吐いておるだけに相違(そうい)ないわ!」

 吐き捨てるようにそう言い切った道誠寺氏は、脱力した笑みを浮かべ続けている陸助さんを、まるで汚らわしい物を見るような目付きで睨み付けた。

 現場の矛盾はアライグマの虚偽申告が原因とする彼に、僕はボードから手水鉢の写真を剥がし、その箇所の不自然さについても意見を求めてみた。

「では、この写真はどう思われますか? 彼は手水鉢へとお握りのご飯粒を零したとしていますが、ご覧の通り鉢の水は綺麗なまま保たれています。彼は自分がやってはいないことについても、態々(わざわざ)やったのだと嘘をついているのでしょうか?」

「それは……逃げる前に急ぎ、ここだけを片付けたのだろう。アライグマと言えば、食い物を水で洗うと相場は決まっている。もし手水に食い物の(かす)が残っていれば、自分達がやったことだとばれてしまうかもしれない。そう気付いたこの男は、疑いを招く恐れのあった証拠だけを、自らの手で消し去ったのだろう」

「そう、道誠寺様の仰るように、この手水鉢はアライグマである陸助さんの関与を隠すため、故意に手を加えられた形跡があります。彼らを犯人に仕立て上げようと目論んだ、真犯人によって!」

 アライグマではない真の黒幕の存在を明言する僕に、既に陸助さんが犯人であるという意識に固まりかけていた一同は、唖然として互いの顔を見合わせ合う。

伏生氏は脱力気味に苦笑を浮かべると、僕へとこれ見よがしに小さく肩を(すく)めてみせた。

「いよいよ、訳が分からなくなってきましたね。真犯人がいるということは、このアライグマの方は犯人などではないと、そういうことなのですか?」

「ええい、ならば変に勿体振らず、さっさと下手人の名を言わんか!! この余所者の獣ども以外の一体誰が、こんな下らん騒ぎを起こしたというのだ!?」

 混迷の度合いを増していく大広間の空気に、僕はいよいよ潮時であるらしいと感じ取る。

写真を元の場所へと戻した僕は、羽織の裾を(ひるがえ)して部屋の方へと向き直る。

そして、こちらへと熱を帯びた視線を集める彼らに、僕は誰も聞き逃すことの無いよう、大きく声を張り上げ宣告した。

「では、お伝えしましょう。八島さんの所有する稲荷神社へと損害を与え、陸助さんへと無実の罪を被せようとした人物。それはあなた方です、沖田優さん、そして八島保さん!」

 相次いで僕より名指しされた沖田氏と八島氏は、共に愕然として放心状態となる。

 特に八島氏の場合、自身も犯人として名前を出されるとは考えてもいなかったらしく、沖田氏に輪を掛けて身も世もなく動揺していた。

 彼ら二人が真犯人であるとする僕に、伏生氏と道誠寺氏は揃って当惑と疑惑の眼差しを向ける。両者の納得し兼ねている様子に、僕は大広間へと反発の嵐が巻き起こるより早く、現場近くで得ていた目撃証言を明らかにした。

「沖田さん、あなたは事件が発覚したとされる時間の少し前、商店街で狸の置物を購入していますね。それも、神社に残されていた物と、全く同じ形状、大きさの物を」

 唐突にそう尋ねられた沖田氏は微かにたじろぎ、僕の顔から視線を逸らす。こちらの問い掛けを否定しようとしない彼に、隣でそれを目の当たりにした道誠寺氏は、凍結した顔面を赤味の混ざった土気色へと変色させていた。

「待ってください! 今、代行様が仰られたことが本当だとすれば、神社の石像を盗んだのは、そこの沖田優となるはずです。なのに、こちらの八島まで犯人であるとは、三ツ峰様はどのようなおつもりなのでしょうか!? 彼は、被害者なのですよ!?」

 沖田氏の犯行を示唆するその内容に、伏生氏は僕へと声高に異議を唱える。

 八島氏の無罪を主張する彼に、僕は二人を共犯とした根拠について語った。

「確かに、現場の遺留品を購入していたという事実は、沖田さんが実行犯であるとする無二の確証ともなり得ます。しかしそうだとしても、今回の犯行が彼の単独犯によるものだとは、時間の関係上、非常に考えづらいんですよ」

「時間の、関係……? それは、どういう意味ですか?」

「神社の供え物へと手を付けてしまった陸助さんは、その後彼を探していた弟の蓮幸君に発見され、共に逃走をしています。その際、蓮幸君は神社を離れてからすぐに、市営住宅から流れてくる『夕焼け小焼け』のチャイムを耳にしたそうです。この音楽が流されるのは、毎日午後五時ちょうどと決まっています。そうなると、沖田さんは早くともその時刻に神社を訪れ、境内をこれらの写真のように荒らし、証拠隠滅のために手水鉢を綺麗にした上で、商店街の骨董店へと赴いて狸の置物を購入し、また神社へと戻って狐の石像と置き換え、盗んだ石像をどこかへと隠したということになります。そうなると、沖田氏がこれらの工程を踏むことが可能なのは、長く見積もっても、陸助さん達が神社を去った五時過ぎから、商店街で八島さんに確保された四十分頃までとなります。商店街との往復の時間や、念の入った破壊行為に(つい)やされた時間を考慮に入れると、彼以外の誰かもこの犯行に加わっているとするのが、どう考えても自然なんですよ」

「そ、それなら、私ではなくて他の狸達と示し合せてやったのかもしれないじゃないですか! もしくは、優の奴がアライグマの奴らと協力して、口裏を合わせている場合もある。そっちの方が考え方としては、ずっと自然なはずでしょう!?」

 共犯者の存在を執拗に(ほの)めかす僕に、八島氏は血の登った顔を上げ、語気を荒げながら激しく食って掛かってきた。

自らの関与を頑なに否定する彼に、僕は直接の質問を通して追い打ちを掛ける。

「以前、私があなたのお宅を訪問した際、奥様はあなたが神社へと出掛けられるのは、決まって五時頃だと仰っていましたよね? 事件の起こった当日のみ、いつもより二十分近く遅れて出発したとするのは、果たして本当なのでしょうか? あなたはあの日、実は定刻通りに外出し、いつも通りの時間に神社へと到着していたのではないですか?」

「だから、あれはテレビの再放送を見ていたからだと……! そんなちょっとしたことだけで、あなたは私を嘘つき呼ばわりするのですか!?」

「それから、もう一つ。あなたは現場を目撃した直後、怪しい人影を追って商店街へと行き、そこで沖田さんを発見したと供述していましたね。ですが、あなたはどうしてあの通りの中、彼の姿を探し当てることが出来たのですか?」

「どうして、って……それは、あいつとは長い付き合いで、顔は良く覚えていたから―」「しかしあの時、逃げるように遠ざかっていたとする沖田さんは、あなたへと背を向けていたはずです。その状態でどうやって、彼の顔をはっきりと確認したのですか? また、あの夕方の時間帯、通りは商店街を利用する多くの客で混雑するのですが、そんな中あなたは迷うことなく沖田さんの後を追っていたとする目撃情報もあります。多くの人が渾然となって行き交う状況で、どうして顔も見えない沖田さんをそこまで迅速に識別できたのか、明朗簡潔な説明を頂けますでしょうか?」

 重箱の隅を突くように揚げ足を取って畳み掛ける僕に、答えを探しあぐねた八島氏は、唇を引きつらせて口を閉ざす。表立った反論を止めて黙秘を続ける彼と沖田氏に、大広間を満たす奇妙な沈黙の間からは、徐々に慄然とした囁き声が上がり始めていた。

 数々の疑問点を提示し、八島氏と沖田氏の共犯関係を強調する僕へと、やがて気持ちを立て直した道誠寺氏が血相を変えて食い下がる。

「だが、なぜだ!? なぜ、こいつらがそんなことをする必要がある!? 八島の長男が自分の神社を壊すのにこの沖田が協力し、重ねてアライグマの奴の浅ましい行為を隠すことに、どのような意味があるというのだ!?」

「確かに、その点については、私も不思議に思います。この二人は、昔から非常に仲の悪い間柄だと、私も存じています。それなのにどうして、八島はそんな相手の力を借りてまで、自らの所有する神社を傷付けなければならないのでしょうか?」

 焦りの滲んだ道誠寺氏の言葉尻へと乗り、伏生氏もまた僕の推察へと疑問を呈する。

 公私に渡っていがみ合いを続ける筆頭同士、対立構造にある狸と狐が共謀して事に当たるなど、青天の霹靂(へきれき)に等しい不可解な発想にしか捉えられないのだろう。

 八島・沖田両氏の犯行動機については、現状でも確証は得られていない。

それでも、ほぼ確実と思われる仮定は、既に確固なものとして僕の胸中にあった。

懐疑的な態度を取る彼らへと、僕はその構築済みであった自分なりの推測を、順を追って明らかにしていった。

「彼らがこのような(はかりごと)に及んだ経緯と理由については、残念ながら未だに確かな証拠は掴めておりません。ですが、この状況を多角的視点に立って検討してみた場合、ある一つの可能性が浮き彫りとなってきます。それは、彼らの犯行を誘発した最大の要因は、私の三ツ峰家当主代行への就任であるかもしれないということです」

「蒼司くんが代行役になったことが、原因だと言うのかい? 宗次郎がそう判断した訳について、私達にも詳しく教えてもらえるかな?」

 興味深そうな微笑みを作る尾上氏に、僕は急かされるまま、話を本旨の部分へと進める。

「三ツ峰家の見解としては、以下の通りです。まず事件当日の五時頃、八島さんは普段通りに自宅を出発。その約十分後に、彼はお供え物を食べてしまった陸助さんと入れ違いになる形で、事件現場となった稲荷神社へと到着しました。そこで、荒らされた祠を目撃した彼は、犯人を見付けようと神社の周囲を捜索します。その時、会社での一日の業務を終え、商店街へと寄るために近くを通り掛かっていた沖田さんと、偶然にも鉢合わせとなったのでしょう。

彼とは以前から、良好とは言えない間柄にある八島さんは、咄嗟に沖田さんが嫌がらせのために、自分の神社の祠を荒らしたのだと考えた。しかし、身に覚えがないと言い張って譲らない沖田さんに、八島さんは彼を強引に神社へと連れて行き、直接現場を前にして問い詰めることにしました。ですが、再び境内を訪れてみた彼は、手水鉢の水がお握りのご飯粒で汚れているのに気が付き、お供え物を荒らしたのはアライグマであると知った。そこからどういう会話が、二人の間で交わされたかは分かりません。しかし、やがてどちらかが今回の犯行計画を持ち出し、そこで一時的な協力関係を結んだのでしょう。

この時彼らは、三ツ峰当主である宗次郎が第一線から退き、その代行役として私が任命されたことを、当然耳にしていたはずです。尾上様の輔佐を担い、街に住む動物達全体の監督役を務める三ツ峰の人間には、その特権的立場と種族の違いから、多くの者が少なからず反発心を抱いていたとしても不思議ではありません。その上、今度その地位に立ったのがまだ十代後半の若僧であるとなれば、そうした感情には一層の拍車が掛かったことでしょう。そして、共にそうした心境にあった八島さんと沖田さんは、幼少の頃から犬猿の仲である因縁を越え、たった二人だけで三ツ峰家へと反旗を(ひるがえ)すことに決めたのです。

まず、彼らは互いの役割を分担し、八島さんが神社での工作を、沖田さんが商店街で置物の購入をすることにしました。沖田さんは神社に残されていた信楽焼きを、態々(わざわざ)現場近くの骨董店で買い込み、人目に付くような行動をしています。一方、八島さんは境内のありとあらゆる箇所を荒らし回っておきながら、反対に陸助さんが汚していた手水鉢を綺麗に掃除しています。これらは共に、疑いの目をアライグマから沖田さんへと逸らし、代行役である私の捜査を誤った方向へ導くことが狙いでした。

お二人はおそらく、沖田さんが犯人であると三ツ峰家が表明した後、隠匿(いんとく)しておいた狐の石像をアライグマ達の住み家に移すなどして、彼らが真犯人であると見せかけようとしたのでしょう。沖田さんが信楽焼きを購入した事実については、買った置物をすぐ置き引きに遭ったとでも言い張れば、それなりの説得性を持たせることも可能ですしね。アライグマが犯人であると一旦認知されてしまえば、全ての罪を彼らへと押し付けられるだけでなく、調査に当たった私の三ツ峰家当主代行としての能力に、大きく疑念を抱かせることもできる訳です。つまりは、自分達狐と狸にとってのある種の邪魔な存在を、これならば一挙に二つも排除できる算段となっていたのです。そうした都合上、ご飯粒の多く散らばった手水鉢は、アライグマの仕業だと気付く者が現れるかもしれず、彼らにとっては都合が悪い。だからこそ、軒並み損害を被っていた境内の中で、この場所だけが元の状態に保たれていたのです。

その後、神社へと戻った沖田さんが、持参した狸の置物を狐の石像と置き換えることで、現場における証拠の操作は完了しました。それから彼らは互いの主張の整合性を確認し、最後に人目の多い商店街で(わざ)と騒ぎを起こすことで、二人が本当に対立しているかのように演出してみせたのです。八島さんと沖田さんによるこうした筋書きは、以前から計画的に企てられたものではなく、場当たり的に生まれた構想だったのでしょう。だからこそ、事件の直前に急遽(きゅうきょ)物証となる物を買ったり、手水にある排水口のご飯粒が見過ごされていたりするなど、節々に粗さが目立つ結果となっていたという訳です。

以上が、この『三丁目稲荷神社石像盗難事件』における、三ツ峰家の下した結論となります。ご意見、及びご感想のある方は、どうぞ挙手の後に、私の指名をお待ちになってからご発言ください」

質問の時間を最後に置き、僕が長広舌(ちょうこうぜつ)を締め括った後、大広間には水を打ったような静けさが訪れた。

薄っすらと満足そうな微笑を浮かべる尾上氏に対し、双方の当主を始めとした伏生・道誠寺両家の男達は、皆仲良く唖然として僕の方を見上げていた。

すると、囁くような吐息の音で満たされていた空気を、畳を踏みしだく荒々しい足音が不意に乱す。乱暴な挙動で起立した八島氏は、脂汗が浮かんだ顔を歪に歪め、僕を指差しながら割れた声で叫んだ。

「そんなもの、全て出鱈目だ! この私が、優の奴と(つる)んで、自分の神社を傷付けただと!? 今の三ツ峰家の男達は、少々空想と被害妄想の()が過ぎるのではないか!? あんな虫の好かないろくでなしと協力するなど、私は金輪際考えたことすら一度もない!」

「ああ、全くもって同感だね! こんな陰湿根暗野郎と一緒に何かをするなんて、俺も考えただけで反吐が出るぜ! そもそも代行さん、あんたの話はずっと聞いてりゃ、ほとんど空想ばっかじゃねえか! 俺達をまとめて犯人扱いするのなら、それなりの証拠ってもんは、当然準備してあるんだろうな!?」

 憤怒の表情で身の潔白を主張する八島氏に呼応し、(にわ)かに生気を取り戻した沖田氏もまた、僕の推理における根拠の薄弱さを(あげつら)う。

左右両面から反撃を受ける形となった僕は、激情から息を乱す二人と、息を呑んで成り行きを見守るその他大勢に向け、軽く頭を下げて謝罪を述べた。

「沖田さんの仰るように、今しがた私が申しました説明は、その大半が憶測に基づく仮定であることは否めません。また、お二人が犯人であるとする確たる証拠も、恥ずかしながら現段階では入手できていない状況です」

「はっ、証拠は一つも無いだと!? よくもまあ、そんないい加減なことで、俺達が犯人だなんて言えたもんだな! それから、あんたもさっき言っていたが、俺が商店街で買ったあの置物は、あの後すぐに誰かに持ち逃げされて―」

「確かに、現段階では物証はありません。ですが、お二方の犯行の事実を裏付ける物証が、もうじきここへ届けられると思われます。どうかそれまで、このまましばしお待ちください」

 控えめにそう断りを入れる僕に、意表を突かれた八島氏と沖田氏は、口を半開きとして眉根に深い皺を刻む。すると、僕のその言葉を待っていたかのように、再び静寂へと包まれた大広間へと、遠くから密やかな雑音が忍び込んできた。

継続的で途切れることのないその謎の音は、次第に大きくなってこちらへと近付いてくる。そして、その正体が車輪の(きし)む音であると判別できる程となった時、大広間の障子が勢いよく開け放たれ、廊下側より蓮幸君と稜隆さんの二人が姿を現した。

新たな介入者に場が騒然となる中、兄に先んじて大広間へと入った蓮幸君は僕へと駆け寄り、切れた息の合間を縫って耳打ちをした。

「ごめん、少し遅れた。思ったより、戸締りが厳重で、なかなか鍵を開けられなかった」

「大丈夫、寧ろグッドタイミングだったよ。それより例の物は、ちゃんと持ってきてくれた?」

「ああ、もちろん。いず兄さん、それをこっちに運んできて」

 廊下で弟の指示を受けた稜隆さんは、目線を決して大広間へと上げようとはせずに、室内へと無言のまま台車を押して入って来る。彼の運んできたスチール製の台の上には、それなりに使い込まれた感のある、木製の大きな漬物桶が乗せられていた。

 急な展開に面食らう一同に、僕は邪魔にならない位置へと下がり、年季の入った桶を全員へと見せる。間を置かず、一際驚愕を顕わにしている沖田氏へと、僕は鋭く質問を投じた。

「これは、私の指示で沖田家より搬出してもらった、彼の所有する漬物用の木桶です。沖田さん、これはあなたの物で、間違いありませんね?」

「な、何で、それがここに……!? まさかお前、俺の家に―!?」

「失礼とは存じましたが、あなたが外出したのを見計らってから、私の手の者に盗み出してもらいました。正式に引き渡しを要求すれば、証拠を隠滅される恐れもありましたので」

 僕が簡単に事情を説明する間に、沖田氏の額には見る見る内に冷汗が噴き出してきていた。

 青紫色の唇を小刻みに震わせながら言葉を失う彼に、僕は漬物桶をこの場へと持ち込んだ理由について語った。

「沖田さん、あなたは以前、私が予定よりも遅れてお宅をお邪魔した際、大量の香の物を机の上へと出していましたね。しかし、それらが入っていたと思われるこの桶の蓋は、ほとんど中には沈み込んでいなかった。もしかしてあなたは、代行である私の訪問に先駆けて、漬物石として使っていた何かを、どこかへ隠していたのではないですか? そして、私が来ないものと安心して元の位置へと戻していたそれを、思わずこの桶の中へと隠したのではないですか?」

「いや、違う、あれはその…………」

「思えば、八島さんが沖田さんを犯人と名指ししておきながら、彼が盗まれた石像を持っていると言い張らないのも不自然なことでした。あれはおそらく、一番に事件への関与を疑われる彼へと敢えて石像を預け、その在処(ありか)を捜査の目から暗まそうとする目論見の一環だったのでしょう。まさか、犯人と思われている相手を被害者が庇っているだなんて、普通は誰も考えませんからね」

「わ、私がそんなことを、するはずないじゃないか! また、根も葉もない出任せを―」

「私の考えが間違いかどうかは、この漬物桶を開けてみれば分かります。前回沖田さんの家を訪れてから、まだ三日程しか経っておりません。もし、沖田さんがあれを本当にここに押し込んでいたとすれば、もう一度外に出して手入れをするのを手間に感じ、必要となるその時まで放置している可能性が高い。と、なれば、私の考えではこの中に―」

 説明を途中で切った僕は、桶に被せられている落とし蓋へと、おもむろに手を伸ばす。

 八島・沖田両氏が慄然として固まり、それ以外の全員が息を詰めて見詰める中、僕は持ち上げた蓋を傍らへと置き、発酵臭の立ち昇る桶の中身を覗き込む。

糠床に半没したそれを確認した僕は、袖を捲った右腕を差し入れ、力を込めて引き上げる。

 漬物桶の上に高々と掲げた僕の右手には、黄土色の糠がべっとりとこびり付いた、お座りのポージングをしている狐の石像があった。

 米糠に塗れたその石像が現れた瞬間、八島氏は甲高い叫び声を轟かせ、破竹の勢いで自分の立ち位置から駆け出す。そして、真正面に座っていた沖田氏へと掴み掛かった彼は、仰天する相手を激しく()()りながら、激情に任せて怒鳴り散らした。

「優、どういうつもりだ!? あの像はお前の方で、丁重に扱うとの約束だったはずだぞ! それが漬物石にした挙句、あのような場所に隠すとは、貴様ふざけているのか!?」

「お、おい、馬鹿野郎!? そんなことを言ったら、全部ばれちまうだろうが―」

「うるさい、黙れ!! やはり、お前のような男など、信用すべきではなかった! 道理も礼儀も知らない狸などを、少しでも頼みとしたのが、そもそもの間違いだった!」

「何……だと、てめぇ!? そっちこそ、自分の身が危なくなった途端、さっさと俺を切り捨てるようなことをほざきやがって! 変節漢で小悪党な狐野郎の言うことになんか、ちょっとでも耳を貸しちまった俺が馬鹿だったぜ!!」

 衆人環視の状況の中、二人は恥も外聞もかなぐり捨て、お互いを罵り合いながら取っ組み合いを始める。

共犯者同士で勃発した内部抗争を横に、争いへと巻き込まれないよう身を引いていた道誠寺氏は、蒼褪(あおざ)めた顔へと勝ち誇った笑みを浮かべ、真向いの伏生氏を糾弾した。

「とうとう化けの皮を現したな、狐どもめ! 今回の件を影から操っておったのは、やはり貴様の(ともがら)だったではないか! この不始末、伏生家当主としてどう責を負うつもりだ!?」

 事情を把握するや否や、真っ先に狐側へと責任を押し付けようとする彼に、伏生氏は嫌味をふんだんに盛り込んだ、卑屈な苦笑を頬へと乗せた。

「人聞きの悪いことを言わないでください、勘助さん。八島を悪事の道へと誘ったのは、そちらの沖田の家の者でしょうに。現に、盗まれた石像は彼の家に在ったらしいですし、彼の方が主犯であると見るのが、ここは妥当なのではないですか?」

「白々しいことを! さすが貴様も狐の親玉だけあって、頭も舌も良く回るものだな! 大方、貴様が八島の長男にでも入れ知恵をして、こちらの沖田を(そそのか)したのだろうが!」

 自分を影の主犯として弾劾する道誠寺氏に、直接名指しをされた八島氏は、呆れ果てたように薄ら笑う。彼はそれとなく壬ちゃんの方をちらと見遣り、息巻く彼へとさも小馬鹿にした微笑を浮かべた。

「あなたの方こそ、ご自分の可愛いご息女へと代行様の調査に加わるように言いつけて、自分達に有利になるよう、裏から仕向けていたのではないですか? まあ、色仕掛けをさせるにしては、少々足りないところも、幾つかあるようですが」

「ふっ……くははっ、それは、そうしたくとも出来ないことへの、貴様なりのやっかみか何かなのか? 色々と欠けたところがあるのは、幾度も女狐に振られ続けている、甲斐性無しの貴様の方ではないのか!?」

 返す刀で人格攻撃へと打って出る道誠寺氏に、八島氏はにやつかせていた顔を俄かに凍り付かせ、細い両目を怒りに小さく見開いていた。

「ははっ……やはり狸の首魁(しゅかい)ともなると、随分肝も太くなるようですね。差し詰め、相手の不可侵な領域にもずけずけと土足で入って来られる貴方の腹には、脂肪と油で破裂しそうな程の、極太の肝が収まっているんでしょうね!」

 鋭い舌鋒での応酬を繰り広げる当主達に、彼らの激昂へと当てられた取り巻きの者達も、徐々に理性と落ち着きを失っていった。

八島氏と沖田氏の仲裁へと入っていたはずの男達も、いつの間にか各自で口論や乱闘を行い始め、大広間はあちらこちらで争い事が散発している事態へと発展していた。

やがて、興奮から頭に血が上った数名が、騒動を傍観していた相良兄弟へと、理由の定かでない難癖を付け始める。それに対して、幾分血の気の多い稜隆さんが応戦の構えを取るのを見て、僕は否応なしに危機感を(つの)らせていった。

だが、混迷と騒乱の熱に満たされた大広間は、僕の一声などで収まる気配は微塵もない。

ここは、余計な巻き添えを食うかもしれない秋音さんや蓮幸くん達を、一刻も早く場外へと退避させるべきではないか。

僕は場の鎮圧を選択肢から早々に放棄し、非力な同級生の女子と、新たな火種となりそうな兄弟達の、身柄の保護を念頭に上げる。

しかし、僕がその次善の策を実行に移そうとした瞬間、不意に起こった硬く小さな破裂音が、大広間の狂乱の渦を一瞬にして切り裂いた。

瞬時に全ての動きを停止させた一同は、やがて蒼然とした眼差しを、ある一ヶ所へと集中させる。そこには、彼の定位置である上座で仁王立ちとなり、右手には半分に折れた煙管(きせる)を握り締めた尾上氏の姿があった。

彼のそびえるようなその立ち姿には、いつもの温和で柔らかな雰囲気は欠片もない。

その場の全員が一様に凝視する中、尾上氏は能面の如く凍った無表情の上から眼鏡を外す。彼は遮る物の無くなった冷たい眼光で大広間を見渡すと、聞いた者へと思わず寒気を覚えさせる、感情を押し殺した重低音の声を発した。

「議論へと熱を上げるのは、構わない。時に感情へと身を任せるのも、良いだろう。互いの短所を罵り合うのも、仕方ないことかもしれない。だが、だがな……」

 語尾の小刻みに震える言葉を切り、尾上氏は(ひび)割れのような皺を眉間へと走らせた顔を、唐突に自らの足元へと降ろす。直後、彼の全身が膨れるように盛り上がり、瞬時にその体積を通常の五割近くも増加させた。

音を立てて引き裂かれた上着の下からは、黒光りする褐色の体毛が溢れ出る。そして、再び上へと向けられたその顔は、尾上氏の本当の姿である、ニホンオオカミのそれへと変じていた。

突然に半獣へと変身を遂げた彼は、戦慄に固まる伏生・道誠寺の一同へ向け、鼓膜を破りかねない程の凄絶な咆哮を轟かせた。

「自らの非をも認めもせず反省もせず、手前勝手な理屈に固執するのは止めろオオオッ!!」

 遠吠えの如き彼の絶叫は、大広間の凍結していた空気を激震させ、一挙に粉微塵へと粉砕する。尾上氏の鶴の一声ならぬ狼の一喝に、それまで醜悪な鍔迫り合いを続けていた両家の男達は、雪崩を打つようにして瞬く間に沈静化されていった。

 白熱した口論を展開していた伏生氏と道誠寺氏は、共に数秒間の硬直を挟んだ後、相次いで尾上氏へと沈黙のまま平身低頭する。

その周囲では、当主に(なら)って他の男達も、我先にと土下座の姿勢を取り始める。

しかしその中には、ショックのあまり気絶し昏倒(こんとう)した者もいれば、狐や狸の姿へと戻ったまま上座へと頭を下げている者も数多く見受けられた。

相良の兄弟達は逸早(いちはや)く危険を察知して逃げたのか、既に影も形もどこにも見えない。

そしてふと気が付くと、僕の左腕には後ろに控えていたはずの秋音さんが、右足には毛並の良い小さな狸がしがみ付いていた。

微かに震える手で僕の上着を掴む秋音さんの頭には、以前孤朧庵で目にしたのと同じ、幅広の三角耳が出現している。また、僕の足首へと細く短い前足を回している若い狸も、何とはなしに壬ちゃんであると察せられた。

人と狸と狐が渾然となって、牙を剥く人狼へと必死に頭を下げる状況下。

同い年である狐耳の少女と狸の女の子に、上下から挟まれる形で抱きすくめられる。

そんなシュール極まりない現在の自分の在り様に、僕はどうしようもないおかしみと愉悦さから思わず吹き出し、そのまま堪え切れずに大笑いを始めてしまった。

突然に笑い声を爆発させる僕を、秋音さんは驚きに揺れる瞳で、困惑気味に見詰めていた。

それでも、僕は腹の底から湧き上がる笑いを抑えられず、そのまま身を捩らせて呵々大笑を続けるしかなかった。

静かな恐慌に支配された大広間は、僕の止めどない高笑いだけが虚ろに反響し、より一層の混沌とした不気味さが醸し出されてしまっていた。


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