ばかなこと
今日の彼は少し疲れた様子だった。
ベットからわたしが顔をのぞかせると、それに気づいた彼は困ったように笑った。
「待ってて」
短く言うと、彼はスーツを静かに脱いでハンガーにかけた。
そのまま彼はお風呂場へ向かったようだ。
わたしは、心地よい枕に再び顔を埋める。
しばらくすると、彼はシャツを袖まくりした姿で帰ってきた。
「お風呂入れてきた、なんだか今日はゆっくり湯船に浸かりたい気分なんだ」
そう言って彼はわたしの隣に座った。
枕から少し顔を上げると細い手首がちらりと見えた。
彼は最近すっかり痩せた気がする。
ご飯もあんまり食べてないようだし。
それは、あの女の所為。
あの女がここにこなくなってから、彼は少しずつ痩せていった。
あんな女の事なんて忘れてくれればいいのに。
ここには、わたしがいるよ。
そう存在証明したくなって、彼に擦り寄った。
彼は少し笑ってわたしを撫でた。
彼の手は大きくて優しい。
誰に撫でられるのよりも、彼の手が一番心地良い。
わたしの頭からそっと離れた彼の手を視線で追う。
そして、そのまま彼の顔を見上げた。
彼はどこか寂しそうな顔をしていた。
「なぁ、俺、どうしたらいい?」
彼の震えた声。
彼の顔を見るのが怖くなって、視線を下に落とした。
すると、ぴとん、と上から水滴が落ちてきた。
驚いて見上げるわたしに、彼は「ごめんな」と言ってわたしに付いた水滴を拭った。
「今日、あいつに会ったんだ。俺さ、あいつ見ただけでさ、もうどうしたらいいかわかんなくなっちゃって 、 」
鼻水を啜りながら彼は言った。
「声かけたらさ、あいつ 笑ってたよ。 いつもと同じ笑顔でさ・・・俺、」
彼はわたしの頭をずっと摩るように撫でていた。
その所為で頭が上げられない。
泣かないで、泣かないで、ねぇ
あなたが泣くと、わたしも悲しいよ
彼に擦り寄る。
わたしをぎゅっと抱きしめて、彼は震えていた。
「お前に、こんなこと言ってもどうにもならないのに、 なぁ」
彼は少し笑って言った。
見上げた顔は濡れていた。
「 にゃあ」
彼の顔を舐める。
少ししょっぱい味がした。
わたしの嫌いな味だったけど、濡れている彼はとても悲しそうだったから。
「お前は、優しいなぁ。もし、お前が人間だったら・・・きっといい女だ」
ふっと、彼の口から息が漏れる。
やっと笑ってくれた。
あなたが笑ってくれたら、わたしは幸せなの。
彼の手の中からするりと抜ける。
暖かい太腿の上に丸くなると、彼は優しく撫でてくれた。
ねぇ、もし わたしが人間だったら 、
ピピピピ、と機械音が響く。
彼が慌てて立ち上がる。
わたしも慌てて彼の上から降りる。
「風呂、沸いたみたい」
お風呂場へ駆けていく彼の背中を見つめる。
ねぇ、もし わたしが人間だったら ねぇ、
「 にゃぁ」
あなたは、わたしを愛してくれる?