30.予選1日目:竜の背を見送って
ロロイが半ズボンを卒業しました。
それはまだ障害レースのスタートも告げられる前。
会場の一画に、場違いな少女が一人。
他の仲間達と共に、遠くから勇者様の様子を見て用心深く距離を取る。
既に常人ならば顔の判別どころかシルエットも判然としない距離だが、相手は勇者様だ。彼の能力を舐めてはいけない。
半ば以上人間を捨てているのではないかという疑惑は、注意喚起を促すに十分だ。
それに彼女達もまた、その素情から注目を集める性にある。
周囲の人間が彼女達を見て、さわさわと囁いた。
「……おい、誰だよ。大会に魔境の最終兵器投入したの」
「俺じゃねぇよ。死にたくないし」
「今まで大会出場に興味を示した素振りはなかったのに、どうして突然……今回の大会に、何かあるってことか?」
「おい、誰か大急ぎで毒消し用のポーション買い占めて来いよ」
こんな中途半端な注目が、勇者様の引いてしまわないとも限らないから。
だから彼女は……リアンカは、自分達が見つかることのないよう、慎重に動いていた。
「――リャン姉」
不意に、声がかけられました。
知らない声じゃない……?
知らないはずはないのだけれど……
知っている筈のその声は、知らない音階で響きました。
だけど知っているという印象は確かだから、振り向いて声の主を探す。
そうしたら、見慣れた色彩がすぐに飛び込んできたんです。
「……あれ、もしかしてロロイ? なんでここにいるの?」
知っている筈の『彼』は、見慣れぬ姿で佇んでいました。
具体的に言うと、半ズボンじゃなくなっていた。
背中で常に存在を主張していた、あの竜翼も見当たらない。
ひやっとしていて、でも滑らかな手触りで気に入っていたのに……
だけど蒼い色彩は、変わらず涼しげに柔らかい。
私を見てちょっと笑った顔は、よく知る子竜と同じもの。
だって、同一人物だし当然だよね。
翼がないだけで随分と印象が変わるのか、ちょっと首を傾げそうになるけれど。
そんな私の違和感に、気付いているのかいないのか。
片頬だけで笑って、ロロイはうっすら目を細めました。
「リャン姉のことをリャン姉って呼ぶ水竜が他にいるのか?」
「リャン姉さんと貴女を呼ぶ光竜も他にはいないでしょう」
「って、あれ? リリフ? 貴女もいたの……って、二人とも此処にいるってことは武闘大会に出場するの?」
「それはこっちが聞きたい。リャン姉、武闘大会に出るのか……?」
やめとけ、と。
ロロイの顔が露骨に言っている。
端整な彼の顔面が、微妙に引き攣っているのは気のせいかな。
「大丈夫! ひとりで出場する訳じゃないから。私の持てる伝手の中で最強メンバーを集めようかとも思ったけど……楽しくなくなっちゃいそうだからやめちゃった。でも今の面々だって中々にえげつないんだよ?」
「それでも危ない、から。リャン姉みたいなか弱い『ひと』が出るような大会でもないし、この障害レースだって危険だ」
「大丈夫! ちゃんとしっかり対策立ててきたから!」
そう言って、にっこり笑って親指を立ててみました。
対策を立てたのは本当だし、その策に対する信頼もばっちりです☆
詳細を話すと、ロロイもリリフも呆れたような……何とも言えない顔をしました。
「…………さすが、リャン姉」
「かなりナチュラルに反則に走りますね」
「人聞き悪いよ、二人とも? 別に規定違反はしていないから反則じゃないはず。うん、ただ障害を力技でぶっちぎっていけるよーな『ひと』が身近にいると心強いよね?」
「……俺やリリフじゃ、まだそこまで振りきれないし、な」
「実力が足りないって、こういう時にもどかしいんですよね……」
諦めたように肩を落とす二人。
一応、このレースの間だけでも策に便乗するか聞いてみたんだけど……それは流石に矜持が許さないのか、二人には即答で拒否されました。
まあ、竜のプライドってものがありますしね。
特に真竜の王族ともなれば……自分に出来ないことを平然とこなす相手の情けにはかかりたくないということでしょうか。
私は矜持を気にするまでもなく無力なので、遠慮なく乗っかりますが。
私の立てた障害レースへの対策に、思うところがあるからでしょうか。
ロロイは敢えて話題を逸らそうとしてか、何気ない口調で話を変えてきました。
「でも仲間を語るに『えげつない』って評価が平然と出る辺り、やっぱ魔境に帰ってきたって気がする」
「あれ、ロロイったらまだ実感がわかないの?」
「笑うなよ、リャン姉。こっちだって忙しない毎日で息つく間もなかったんだ」
「それは……まあ二人の姿を見れば何となく察しがつくけど」
「私達、自分でも随分と変わったと思います。リャン姉さん、今の私達はどうですか? 竜の谷に戻ってから、この日の為に物凄く頑張ったんですよ」
「それは凄くわかるよ。見たらわかる。成長って言っていいのかな、努力が凄く外見に現われてるもの。こう、ダイレクトに」
「何しろ俺もリリフも、既に氏族長の試練を全て突破したから」
「え、全部!? 氏族長さん達の課題、全部クリアしたの!? うわぁ……それは変わるねえ。うん、納得」
「見慣れなくって私も自分の姿に違和感があるんですけどね。こう……人の姿に化けた時、本来は完全に人と変わらない外見になることが理想的ですけれど……ここまで顕著に実力の変化が術に現れるとは思っていませんでしたし」
「俺も、竜翼も竜爪もない自分にそわそわする……術としては、これで正しいのになんでだろうな
「あ、本当だ。ロロイもリリフも指の先まで人間そっくりになってる! つるりと綺麗だけど、人として違和感もないし」
「この手……人の手、小さいし細いし、物凄く頼りないんだけどな」
「ああでも、目だけはそのままだね。瞳孔の細い、爬虫類の目だ」
ちょっと驚くくらいの変化だった。
だけどやっぱり、それでも変わらないモノがある。
私を見る二人の目は、爬虫類の目。
感情が伝わり難い目は、だけどとても身に馴染む。
「でも氏族長さん達の試練を制したってことは、もしかして後は……?」
「ああ、残すところは真竜王……つまりリリフの親父さんの課題一つっきりだ」
「今回、私達が武闘大会に参加するのもその関連です。父上ときたら……手元で幼少期を育てられなかったからといって、私やロロイの成長を惜しむにも程があります。他の子竜達のことは早く成長を目指せと鼓舞するくせに、私達には育つにも焦り過ぎではないかと諌める始末なんですから」
「リャン姉、知っているか? 俺とリリフだけ、子竜に与えられる試練の難易度があからさまに高いんだ。他の子竜共が試練を受けているところを見ると、俺達との難易度の違いに笑いしか出ない」
「ああ、そりゃやっぱり手元で育てられなかったからじゃない……? 多分、真竜王さん的には親子の団欒が足りてないんだよ。巣立つの引き留めたいんだよ、きっと。元凶は私とせっちゃんだけどね☆」
「ですが子供は私達だけじゃありませんのに……兄弟は沢山いるんですから、私やロロイのような変わり種が一匹二匹いても構わないと思いません?」
「リリフ、竜の単位は頭だろ。もしくは人」
「ロロイは本当に、意外に細かいんですから……」
魔境に帰って来て、二人と別れて。
また暫く会わない日が続くかと思ったんですけど……
意外に早く訪れた再会。
二人の成長に吃驚しつつ、意欲的に巣立ちを目指して修行する二人の生活が充実しているようで微笑ましくなります。
とりあえず、今回の試練……新竜王さんに与えられた最終試練は、武闘大会で勝ち進み、見事魔王を殴り飛ばすことだそうです。
勿論事情を知って手加減なんてされないよう、まぁちゃんには黙った状態で。
……いや、まあ、まぁちゃんには言わなくっても、私に喋った時点で情報が伝達されるのは目に見えているよね。
そしてそれを当然心得ている筈の二人は、特に私に口止めを要求することもありませんでした。
これはつまり……喋っちゃうことを期待されているんでしょうか。
しかしまぁちゃんの顔面に、パンチか……。
真竜王さんも形振り構わないというか、これ結構な無茶ぶりだよね。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
スタート開始の銅鑼の音が響き渡る。
すらりと手にハンマー(大)を構え、副団長さんが言った。
「――先程の勇者さんの疑問に、今こそお答えしよう」
「ご遠慮願います!!」
「まあ遠慮するな。さっきの答えだ。――『基準』の一着ゴールは有得ない……何故なら、『基準』の者さえゴールできずにリタイヤとなれば、その時点で失格になっている者以外の全員……参加者のほぼ全てが自動的に合格となる。よって、例年大胆な妨害工作に走る者が続出するからだ」
「なんたる残念な事実! 知りたくなかった……!!」
「だけどそれってさぁ~? 『基準』が誰だかわかんなかったら意味なくね?」
「大したハプニングも無く順調に進んでいた場合や『基準』が成績上位に入りそうだと判断した場合、運営の妨害が『基準』に殺到する。加えて運営側からも誰が『基準』なのか暴露されるのが慣例だからだ」
「く……っ運営の妨害か。というか、やっぱり運営は敵か!」
「今回はそれ以前の問題だったが……観念してもらえると助かる」
勇者様は知った。
この予選一回戦……蹴り落とし障害レースにおける最大の障害とは何なのかは。
「障害物競走で一番の災害が他の参加者とか、アリなのかー!?」
「他の参加者への妨害アリな時点で察するべきだ!」
「安心しなよ、勇者の兄さん☆ 俺は味方だから!」
「だってリアンカの期待を裏切ったら後が怖いだろうからな!?」
「さっすが勇者の兄さん、わかってるぅ☆ 女の子の期待には応えなくっちゃね☆」
じりじりと、勇者様を取り囲む参加者達の我が狭まってくる。
全員が手に手に武器を構えていることが印象的だ。
「やっぱり今年は勇者さんだったか……」
「なんとなく毎年、『ああ、こいつが選ばれるんだろうなぁ』ってのはわかるけど、今年ほどわかりやすかったのは珍しいな」
自分勝手なことを言いながら、最初に跳びかかって来たのはハテノ村の自警団人だった!
副団長さんほどの堪え性も、慎重さもない。
ただ少しでも体力を消耗させられたら御の字と、自警団人の男は手に持っていた『鍬』を振りおろした。
「……って、本気かぁああああっ 武器が洒落にならないだろ!?」
はっしと受け止める間もあらばこそ、次々と武器が振り下ろされて来るような状況で丁寧に一人一人の相手をしている猶予はない。
レースなのに走りだす隙さえ与えない勢いで、連携の聞いた波状攻撃が襲いかかる!
「どうなってるんだ……! こ、こいつら妨害慣れし過ぎだろう!?」
「我らが自警団の、武闘大会常連メンバーはえげつないぞ?」
「えげつないって人物評価が平然と出る自警団人は問題が多すぎないか!?」
「魔境ではちょっとくらい容赦がない方が賢く生きるコツだぞ、勇者さん」
「なんて嫌な土地柄なんだ……って、今更だけどな!!」
勇者様が叫ぶ間も、降り注ぐ攻撃の手は止まらない。
必死で避けながらも、相手を傷つけずに回避し、この場を離脱する手段を模索する勇者様。
そんな相手に手加減し、ハンデを与えているような状況。
果たして彼に、そこまでの余裕があるというのだろうか。
温厚な勇者様に、十重二十重と参加者達の苛烈な攻撃が襲いかかる!
(ほとんどがハテノ村村民)
敵は自警団人だけではない。
腕試し目的で参加しているのは戦闘要員だけではないぞ、勇者様!
横合いから薙ぎ払う勢いで襲いかかるのは、シャベル。
袈裟がけに振るわれる、使い込まれた鋤。
そして極めつけは突撃してくる、ピッチフォーク……!!
農夫Aがあらわれた!
農夫Bもあらわれた!
農夫Cは激しく農具を振りまわしている!
「農作業のアイテムを悪用するなぁぁあああっ! 農夫の参加者多すぎだろう、この武闘大会!?」
「悪ぃな、勇者さん! 一番身近で手に馴染む武器はコレなんだよ……!」
「そうだぜ、勇者さん! 農具ってのは非常時にも大活躍の伝統的な武器って側面もあるんだぜ!?」
「農村一揆か落ち武者狩りでも経験してるみたいな感じだねぃ、勇者の兄さん☆ 俺達が狩られる側だけど(笑)」
「お前はお前でサルファ、よく笑っていられるな!?」
「まあまあ勇者の兄さん、落ち着いて☆ 焦ったって良いことないって! それにメインターゲット俺じゃないし?」
「この状況で落ち着けるとかお前はどれだけ大物なんだ……っ」
「さっきも言った通り、俺は勇者の兄さんの助っ人するって決めてるし。ちゃあんと手助けするから大目に見てよ☆ そんで見返りに、勇者の兄さんがゴールする時は俺を先にゴールさせてね♪」
「それが狙いかぁぁああああああっ!!」
どうやらリアンカの存在が抑止力になっているようだが、それがなかったらこの軽業師はいの一番に勇者様を罠にはめていたかも知れない。
そんな情景がありありと脳裏に浮かぶものだから、勇者様は決めた。
この切羽詰ったレースの最中、手を借りるのは致し方ないだろう。
だが信用だけはするまいと、勇者様は誰も頼れない境遇に顔を引き攣らせる。
――ざっふぁぁ……っ
風が渡り、衝撃となって葉影を揺らす。
空気の重い層を切り裂くような、叩きつけるような迫力のある音。
勇者様にとってはこの半年ですっかり聞きなれた……
竜の、はばたき。
大きな皮膜の翼が、風を打つ音。
過ぎ抜けていく大きな風の塊が、巨体の影響力が如何に大きいかを伝えてくる。
思わず、といった体で。
その瞬間、誰もが一瞬動きを止めて、空を見送った。
遥か上空を泳ぐように飛んでいく、大きな姿を……
その姿は、あの巨体は。
勇者様にとってこの半年で最も多く目にした、竜。
すっかり見慣れてしまった、あの竜は怠惰で恍けた……
「タナカさーん!?」
冗談みたいに齢を重ねたおとぼけ竜、タナカさんだった。
障害レースの会場、上空を悠々と突っ切っていく。
その雄大にして圧倒的な姿に、呆気にとられる。
勇者様は巨大な竜の背を見送りながら……何故こんなタイミングで、こんなところにタナカさんが、と。
疑問と驚きで目を見張りながら、空という活路に目を向けていた。
……レース会場の上空に、対空用の魔法罠が張り巡らされていることとか。
タナカさんがそれらの罠を問答無用の質量と魔力でぶっちぎって行ったことなど、全く気づくこともないままに。
ただ例年のレース模様を知っている常連達はそれを知っている。
知っているだけに、全て何の問題もなさそうに平然と薙ぎ払って行ったタナカさんの背に唖然としていた。
残念ながら魔法に対する修練の足りない勇者様は、全然その辺りを察することが出来なかったのだけれど。
――勇者様の視線が、チラリと。
己の肩で惰眠を貪る、神の使徒へと向けられた。
勇者様が爆発するまで、あと三分。
リアンカちゃんの用意した障害レースの対策:田中さん。
あの竜の背中には、リアンカちゃんと彼女の『愉快な仲間達』が……
障害レース
どうやら毎年、誰か一人は空路を試すらしい。
その末路は……
a.撃墜される
b.爆発する
c.羞恥系の罠に遭う
d.落とし穴に落ちかける
e.狙撃される
次回:【勇者様、危機連発☆】、お楽しみに♪