並び立つ
パチパチと焚き火の爆ぜる音が聞こえる。
戦闘蜂との戦いが終わり、近くの開けた場所で昼飯を兼ねて休憩をとっていた。
焚き火の側には大きな戦利品ーー戦闘蜂の巣や薬にも使える毒針が置いてあった。
樹海の中で獣肉を求めるにしても、回復薬や解毒薬を精製する為の採取にしても、ほとんどの場合日帰りで行えることではない。その為、こういった休憩場所の理解や簡単な調理、野営の準備も子ども達が覚えておかなければならないことだった。
昼食の準備が整うと、小さいながらも先ほどの祝宴が行われる。
「良くやったな! 初めての戦闘で誰も倒れなかったのは本当に凄いことだぞ!」
ティムの祝辞でフモール達の顔が綻ぶ。
「さぁ、食え! これはお前らが自分で手に入れた戦利品だ。俺たちのことは良いから、一番美味いところを食え!」
戦闘蜂の子…成体になる前の蜂の子は、体内で神経毒の生成も出来ない為に全身が食べられる。特に卵の状態ならば、焼くと表面がカリカリとした食感になり、旨味の深いドロっとした中味が舌も歯も楽しませてくれる。もちろん、蜂蜜は貴重な甘味をもたらしてくれた。
フモール達はそんな美味な昼食を、自分達に芽生えた自信と共に噛み締めていた。
「やっぱり卵だな! この食感と旨味が最高なんだよ」
「バミルは食事の時だけは、ヤル気にみなぎってるわね」
「当たり前だろ? 飯の合間に生きてるんだからよ」
「まぁ…それには同意してあげるわ」
「あぅあぅ…苦いです」
「マメル大丈夫? 成体前の蜂には苦味があるからね。苦手ならこっちの蜂蜜を食べると良いよ」
「…甘いです」
「美味しい? 良かったね」
食事を楽しむ4人とは対照的に、3人の子どもの顔は晴れない。
3人は何に憚っているのか、周囲に聞こえないように小声で囁きあっていた。
「なぁ…蜂の卵ってこんなんだったか?」
「…どんなんだよ?」
「いや、なんかこう…さ」
「あんまり美味しくない、よな?」
「あぁ…うん、そうだね」
「お前らもか?」
「…」
今食べている蜂の子が、ティム達が採ってきてくれた蜂の子を食べた時とは違う味のような気がしていた。
ーーー
休憩も終わり腹も膨らんだ一行は、さらなる奥地に向かって進んでいく。樹木の密度も増していき、地面まで降り注ぐ陽光が少なくなる。そうすると、視界が薄暗くなり、人間の本能に訴えかけるような不気味さが増してくる。
それなのに一行の雰囲気は明るい。
子ども達の中に生まれ始めた自信がその足取りを軽くする。何が起きても自力で対応出来るのではないか。そんな気分が樹海の不気味さに負けない明るさを滲ませているのだ。
そして、またモンスターと出会うのだった。
「はんっ! そんな攻撃、当たらないわよっ!」
猪突猛進という言葉がピッタリと合うような猛突進で猪型のモンスターが突き進む。それを綺麗に躱したフモールが不敵な笑みで猪を嘲った。
猪のモンスターは突進を簡単に避けられて、ドゴンッと鈍い音を立て大樹にぶつかる。大樹から木の破片が飛び散る。避けられた猪は幹を4分の1程抉っていた。
自信を身に付け、敵を侮っていたフモールは、避けられはしたものの、予想外の突進力に驚愕に包まれる。
「立ち止まるな! 暴れ猪は突進を繰り返すぞ!」
ティムの劇が飛ぶ。
言葉を聞いて、気を引き締めようとしていたフモールは、目の前まで近付いて来ていた影に息を呑む。大樹にぶつかった衝撃などなかったかのように方向転換した暴れ猪が、再度突進してきていたのだ。
慢心で確認を怠ったフモールは、暴れ猪の通り道、そのど真ん中で青ざめていた。このままでは先程の大樹のように自分の内腑を飛び散らせることだろう。
嫌な光景を思い浮かべたフモールは立ち竦む。全身の力が抜けて、動けなくなる。目の前に迫る暴れ猪のなすがまま、小石のように吹き飛ばされることだろう。
「フモール!!」
様子のおかしなフモールを見たビリーが横から飛び込んでくる。勢いそのままにフモールを押し飛ばした。
ビリーの足に鋭い痛みが走る。
その身を挺してフモールを守ったビリーは、暴れ猪の鋭い牙に脚を切り裂かれた。
「ミオ!!」
ティムが叫ぶ。そのままティムは、暴れ猪目掛けて突っ込んで行く。
ティムの意図を理解したミオはすぐさまビリーに駆け寄った。切り裂かれたビリーの足は、千切れていないのが不思議な程度でつながっていた。
既にマメルが液状の回復薬を患部に振りかけ、小さな噴水のように噴出していた血液は止まっている。しかし、半ばまで抉れた脚がつながる事はなかった。
ミオはすぐさま患部に触れると、精霊に意思を伝え始める。ビリーの傷を癒さんとする光が患部を刺激した。
「うぐぅぅ」
「ビリーっ!!」
ビリーの呻き声でフモールが恐怖から自分を取り戻す。何故か地面に倒れている自分に気付き、ビリーに助けられたのだと理解する。そして自分の代わりに傷付いたビリーを見た。
自分の流した血溜まりの中で悶えるビリー。その力なく垂れ下がっているだけの脚はただ繋がっているだけなのだろう。もう2度と戦うことは出来ないのだろう。フモールはそう悟った。
フモールの顔が赤く染まっていく。
自分よりも劣っていると思っている者に助けられた恥辱なのか、自分の未熟さへの怒りなのか…それとも別の感情なのか。
押し飛ばされた時に手放した剣を拾い、フモールはティムが注意を逸らしている暴れ猪を睨み付けた。
「おぉぉぉぉあ!!」
そのまま、上段に剣を掲げてフモールが走り出す。憎しみを込めたような雄叫びを挙げながら。
「なっ!? フモール、ダメよ止めなさい!」
突然大声で走り出したフモールを見て、ミオが叫ぶ。
激情に任せて戦いを挑んでも碌なことにはならない。経験則でそれを知っていたミオはフモールを呼び止めようとした。しかし、激昂したフモールがそんな言葉で止まるはずもなかった。たとえそれが尊敬しているミオの言葉であっても。
フモールは走った。
暴れ猪に向かって。
剣を掲げたまま。
「フモール!!」
ミオが魔法でビリーを癒しながら、動けない自分に歯がゆさを覚える。ビリーの脚が元に戻るかどうかは治療の素早さにかかっているからだ。今、治療を止めれば、もしかしたらビリーは一生歩けなくなるかもしれない。だからミオは離れられなかった。フモールの事はティムに任せるしかなかった。
フモールは暴れ猪に向かって剣を振り下ろす。ティムとの戦いに集中し、疲弊していた暴れ猪は突然の横槍を避けることも出来ずにその身に受けた。
ティムは驚いたようにフモールを睨み付ける。
「ブモォォォォ!」
暴れ猪が悶絶する。
フモールの一振りは暴れ猪の横腹を大きく切り裂き、致命傷を与えた。
自分の一撃、たった一撃で致命傷を与えられるような暴れ猪に怯えていたのか…。
フモールは矮小な生命に怯えた自分を恥じた。怯えて、動けなくなった自分に憤った。
「ビリーの仇よ!!」
フモールが嬉しくも無さそうに口にした。そして絶叫する暴れ猪をつまらなそうに見つめながら、最後の一撃だともう1度剣を振り上げた時…突如、フモールの身体が飛んだ。
「邪魔だ!!」
剣を振り上げ、ガラ空きになったフモールの胴体をティムが蹴飛ばしたのだ。ティムは同時にその場から飛び退いた。
思ってもみなかった所から攻撃を受け、身構えることも出来ていなかったフモールは数メートル飛ばされ、ズサズサと地面に転がる。
地面と擦れて痛む傷を気にしながら、何が起こったのかと顔を上げた。
「ブモォォぉぉン!!」
直後、ティムとフモールがいた場所を暴れ猪が走り抜ける。周囲の邪魔な生き物をまとめて殺してやろうと、口の両端に付いた大牙を振り回しながら。
フモールは、その狂暴な猪の姿に目が釘付けになった。あの猪の突進に巻き込まれていれば、自分は死んでいたであろうと。手負いのモンスターが危険だと話には聞いていた。しかし、先のビリーよりも深く傷を負い、血を流す暴れ猪が、あんなに動けるとは思ってもみなかった。
だから、最後の一撃を放つ時に防御を考えず、全力で攻撃しようとしていたのに。
また助けられたと気付いたフモールは、赤ら顔で俯いた。
自分は仮初めの自信で…過信で、怒りで、動いてしまったと。
「何やってんだ!!」
ティムの怒声がフモールに届く。
フモールは覚悟した、ティムから怒りの鉄拳を与えられることを。
「顔をあげろ! 目を離すな! 暴れ猪はまだ生きてるだろうが!」
だから、言葉だけが届いたことにためらった。何を言われているのかが良く分からなかった。
言葉の意味に気付いた時、暴れ猪は自分に顔を向けていた。フモールの目と暴れ猪の目が交差する。
フモールは自分の内から恐怖が湧き上がるのを感じた。
また、突進されるだろう。
また、立ちすくんでしまうだろう。
ーーまた、誰かに助けられるだろう。
ティムの顔が脳裏を横切った。
ビリーの顔が脳裏を横切った。
脚を失くして落ち込むビリーの姿が脳裏を横切った。
「嫌よ!! そんなのは絶対に嫌ぁぁ!!」
フモールは拒否した。
自分が立ち竦めば、誰かが第2のビリーになる。そんなことは受け入れられなかった。
フモールは自分の身体に喝を入れる。力が抜け、動こうとしなかった肢体を無理矢理動かす。剣を握る手を感じた。地面を踏みしめる足を感じた。
フモールは、あらん限りの力で地面を蹴った。
直後に暴れ猪が駆け抜けていく。
「ブモォォ!」
暴れ猪の雄叫びが響いた。
直後に大樹にぶつかる鈍い音が轟く。
飛び込んだ先で地面に這いつくばっていたフモールは、荒い息を吐きながら顔を挙げる。暴れ猪がどうなったのか、次に何をするのか、それを確認する為に。
暴れ猪はまた突進を繰り返そうと、ゆっくりと方向転換を始めていた。
突進を止めようとしない暴れ猪の姿を憎々しげに見たフモールは腕に力を込めて立ち上がろうとする。しかし、腕に力が入らなかった。
恐怖ではない。
極度の緊張の中で戦闘を行い、気付かぬ内に体力が底を尽きかけていたのだ。
「立ちなさいっ」
弱い自分に嫌気がさしながら、自分の身体に命令する。無理矢理立ち上がったフモールは足にも力が入らず、途端によろける。
その背中を誰かが支えてくれていた。
「ダラしないな、人一倍努力してるフモールは樹海のモンスターなんか一捻りじゃなかったのかよ」
「兄さ…うっさいのよ、バミルは」
バミルだった。
弱々しさを醸し出すフモールを見て、ニヤけるバミル。
バミルの顔を見た瞬間、フモールは安堵からまた力が抜けてよろめいた。バミルは他の誰かにそれを気付かせないように、フモールの背中をしっかりと支えて嫌味を口ずさむ。
だからだろうか、何故なのだろうか、フモールはまだ気を抜けないと教えられた気がした。
「慈愛神様の加護は最後まで諦めない勇者に注がれるそうです。…ぅぅ」
マメルも居た。
暴れ猪の姿に慄きながら、それでもフモールの側に来てくれていた。
フモールは振り返る。
マメルがここにいるならビリーはどうなったのかと。
そこには、ミオに支えられながら両足で立っているビリーがいた。ビリーは自らの苦痛を隠しながら、強い眼差しで何かを訴えようとフモールを見ていた。
「フモールはよ、もぉそこらへんで休んどけよ。後は俺とマメルで何とかしてやるからよ」
「…ぅぅ、頑張ります」
ニヤニヤと笑うバミルが言った。
「……うっさいのよ! バミルこそ、こんな面倒くさい事はほっといて休憩でもしてなさいよ!」
そう言って剣を握りしめた。
フモールは、手足に力が戻って来ているのを感じた。休んだ訳でも、回復魔法をかけてもらった訳でもないのに。
3人は、見合わせて笑顔を浮かべると暴れ猪に駆け出した。
また暴れ猪の気を引いていたティムは、3人の表情を見て道を譲る。ティムはそのまま剣を鞘に収めた。自分の仕事は終わりだというように、樹に背中を預けて3人の…4人の戦いを見守った。
その晩は、猪鍋をみんなで食べた。
楽しそうに笑う4人を見つめ、ティム達年長者組は笑っていた。
食事中、ティムは見張りの順番を決めていく。樹海での夜営を越える為の注意点を教えていく為に。
「あいつらは…リオンに任せるかな」
寝る前に…ティム達は沈黙の中で食事を終えた3人の子どもを見ていた。