大烏・後編
「ガァーガァー」
大烏の濁った鳴き声が聞こえてくる。ティム達はまだ距離のある大烏を警戒しながら歩いていた。大樹に腰を下ろしていても、むしろ大樹の方が小さく見えるような大烏は、呑気に欠伸をしていた。
そう、そんな距離まで近付いて来ているが、大烏は飛び去って行く様子を見せないのだ。
「ちっ、渓谷の対岸ってのは厄介だな」
「まぁべつに無理やり戦う必要はないんじゃない」
「でもよ…」
少し前方で、対岸の大樹に佇む大烏を睨めつけているティムは残念そうに唸っていた。
大烏が動くたびに戦えるか、戦えないかと一喜一憂を見せるティムを見て、既にティム達に逃げる選択肢はないと悟ったセキは、せめて大烏がそこから動かないでくれるように祈ることしか出来なかった。
が、ティム達は大烏に近付いているのだ。その背丈は大樹に紛れる羽虫のごとく、その歩みは空を舞う大烏からすれば小さな一歩。だが、どんどんと近づいてくる小さな生き物に大烏の意識が向いた時…大烏は大きな翼を広げて飛び立った。
「来るぞ!!」
ティムが叫ぶ。
「止まっていてくれと願っただろお!」
その瞬間を1番恐れていたのはセキだった。セキはティム達の中で1番早く行動を始める。自らの不幸を嘆きなげきつつ、せめて先制攻撃を加えようと魔法を放った。
ティム達を狙って1度高く飛び上がった大烏が、遥かな上空から高速で滑空してきていた。
セキのやり切れない気持ちが具現化したような5つの火球は、獲物を狙って滑空してくる大烏に悠々と回避され、あるいは風魔法で弾かれた。
「無駄よ、魔法はもっと引きつけてから放つか、大烏の体内に直接生じさせなさい」
「良し分かった。なら、戦えないだろう! 1度撤退しよう!」
一縷の望みを携えたセキの提案は軽々と無視される。
セキの魔法を胃にも介さない大烏を前に、ミオは当然のように弓に矢を番えてタイミングを見計らっていた。
「何故逃げない? 死にたいのか!?」
「大烏が風の魔法を使うなら、矢は簡単に防がれるからね!」
「分かってるよ!」
撤退を訴え続けるセキの意見は、また軽く流された。
着々と戦闘準備を進めるティムは、ミオの注意など当然だと聞き流して、大剣を構えて大烏の接近を待っている。
「もぉ目の前だぞ!!」
セキが恐怖を抱くほどに大烏が迫って来ると、最初にミオがその大きな顔を目掛けて矢を放つ。大烏はミオ達の予想通り風の魔法を使って矢を弾いた。当然そうなるだろうと予測していたミオだが、他に特別な対抗手段を取ることもなく、続いて矢を放ち続ける。
ミオが放ち続ける矢は、その悉くを風の魔法に弾かれていた。
「ミオ良いぞ」
「無駄じゃないか!」
ミオの攻撃はセキには無駄な行動にしか見えなかった。だが、ティムはそれを好機とでもいうように大烏に向かって走り出す。
矢を弾く為の風魔法の余波でティムの身体が切り刻まれる。それなのに、ティムは速度を落とすことなく突っ込んで行った。
「ギョァァっ!!」
その行動が意外だったのか、威嚇なのか、近づいて来るティムを見た大烏は大口を開けて叫んだ。その隙にティムは大烏の肩口を大剣で斬り付け、大烏の突進を避ける為、地面を転がる。
大烏の肩口から血飛沫が舞う。大剣での一撃といっても、大烏のその大きさ故に大した深手にはならない。が、傷付いた大烏は地面を蹴ると、悲鳴を上げながら上空へと逃れる。
「何だ!? どうなったんだ?」
セキは目の前で繰り広げられた行動が理解出来なかった。何故、無駄だと分かっている矢を放ち続けるのか。金属鎧すら切り裂く風魔法に向かって何故、突進したのか。
実際、ティムはその見返りに身体を切り刻まれているのに。
だが、セキは思考の途中で小さな違和感に気付く。
「…何故生きているんだ?」
金属鎧すら切り裂く筈の風魔法の嵐の中に特攻したティムは生きている。体中を切り刻まれながらも、致命傷となり得るような大怪我を負わず、生きているのだ。
「セキ、ボーッとしてんじゃねぇよ。お前もミオと一緒に魔法を連発してろよ」
思考の坩堝に嵌っていたセキは、ティムの言葉に驚き、身を震わせた。
ティムはミオに回復魔法を掛けられて、止血をしていた。多数の傷から流れる血液を放置しておけば、ティムは死に至るだろう。ティムは特別、超人というわけではないのだ。
「だが、風魔法に弾かれるだろう!? ミオも何故、無駄と分かって矢を放つんだ?」
まだ戦闘中だから魔力を温存しておけと、ミオの回復魔法を振り切るティムに向かって、セキがやり切れない思いをぶつける。
「風魔法を攻撃に使わせない為よ。あの大烏がどれ程のモノかは知らないけど、防御と攻撃を同時には使えないみたいね」
「何だその曖昧な答えは?」
セキは耳を疑った。
確かに魔法の多重行使は難しい。攻撃か防御、どちらか一方しか使えない可能性はあった。
しかし、ミオの言葉は、確信があっての行動ではないと物語っていた。ティム達は不確かな憶測の中で命を賭けて動いたのだ。大烏が風魔法を攻防同時に展開出来れば、ティムは自分の命を堕としていたのだ。
「ティムがバカなのは今更だから良いのよ」
「戦闘中だ! やる事やれ!」
ティムの怒声でセキの問答は中断される。しかし、セキの頭の中では先刻の光景が頭に焼き付いて離れなかった。
命を懸け金にしたような戦闘方法、それで良い筈がない。
セキはそう思うが、そんな不確かな行動の結果も目にしてしまっていた。防御の風魔法の余波を受けたティムの傷はミオの回復魔法で簡単に癒えるようなモノでしかなかったのだ。
対して大烏は、ティムの大剣に傷付いた。結果は、不確かな行動が正解だったと告げていた。
「それでも…」
納得は行かない。そんな事をしてまで強敵と戦おうとするティム達を理解出来なかった。
「セキは魔法の準備でもしてろ! そろそろ、あの大烏がまたこっちにやって来るぞ」
セキはティム達の行動の是非に何かを言おうと口を開いて…諦めたようにまた閉じる。このまま戦い続けていれば、必ず彼らは死ぬ事になる。しかし、そんな賭博のような戦闘を続ける彼らを止める言葉が見つからなかった。
「グガァァァ〜!!」
そんな時、再度滑空を始めた大烏が奇声をあげて、空から堕ちてきていた。
見れば、ティムが斬り裂いた肩口から更に多量の血が流れ出ている。
「おぉ〜流石リオンだな。セキはもう下がってても良いぞ」
「リオン? 今度は何だ!?」
頭の中のモヤモヤを拭い去れないでいたセキは、地上にリオンの姿がない事に気付けないでいた。
遠距離からの攻撃方法を持たないリオンやティムにとって、飛行可能なモンスターとの戦闘は、どうやって間合いを詰めるかが鍵となる。ティムに気を取られていた隙を狙ったリオンは、大烏に気付かれないようにその背に乗っていたのだ。
地上から見る事は出来なかったが、リオンはおそらく、ティムが斬り裂いた肩口に加撃を与えて大烏の飛行能力を奪おうと動いたのだろう。
結果、片方の翼を満足に動かせなくなった大烏は、大空の舞台から引きずり下ろされたのだ。
ドシンと腹に響く音を響かせて堕ちてきた大烏を中心に、強風が吹き荒れた。地に伏しても暴れ回る大烏は、衝撃で大きな怪我でも負ったのか、動きから精彩さを欠いていた。
そんな大烏の背中に矢の雨が降り注ぐ。強風を避けて、ほぼ真上から降る矢は、多くが大烏の硬い体毛に弾かれる。が、その隙を縫った矢も多数あり、体中に突き刺さった。どうやら、堕ちた大烏には風魔法を使って防御する余裕も無かったようだ。
さらに傷を負った大烏は、それ以上、何も出来ずにティムの大剣によって首を切り落とされる。首元から溢れ出る大量の血が大地を赤く染めた。
「まぁ、余裕だったな」
「今日は焼き鳥ね」
ティム達が豪勢になるだろう今日の食事内容に喜んでいると、近くの大樹から全身に切り傷を作ったリオンがひょっこりと帰って来る。
「余裕…なのか?」
ティムが何を持って余裕があったと言っているのか、セキには分からない。分からないが、樹海の外では、出会えば逃げるしかないと言われていた大烏の死体が目の前に転がっていた方が。
ティム達は、賭事のような戦闘方法で、誰一人失わずに勝利したのだ。
セキはモヤモヤとした気持ちを秘めながら、これ以上何も言えずに黙り込んだ。
セキの目には、笑顔で武具の手入れをしているティム達が不思議な生き物のように思えた。
ーーー
ティム達は戦闘後の高揚感に包まれながら、焚き火を囲んでいた。その焚き火では食べ易く切り分けられた大烏の肉が日に炙られており、そこから滴る脂が芳ばしい香りを散漫させていた。
大した味付けもいらず、素材だけでも十分に美味い焼き鳥で一行は腹を膨らす。
食後の腹ごなしに、各々が各々の時間を有意義に、あるいは無駄に過ごしている時、焚き火を凝視したまま考え込んでいたセキがポツリと呟いた。
「いつも、こんな戦い方なのか?」
「何よ、いきなり」
セキの呟きは、空を見上げて寝転んでいるティムにも、食事の片付けをしていたリオンの耳にも届いていた。
だが、返事をしたのは、焚き火の前で新しい矢を作ったり、回収した矢の手入れをしているミオだった。
「いつか死ぬことになるぞ?」
セキは炎の揺らめきに取り憑かれたように目線を動かさず、それでもなお、言葉だけでミオに迫った。
ミオはセキが何を言わんとしているのか理解して、静かに溜め息を吐く。
「私もね…何度も言ったのよ。もっと堅実に戦えば良い。もっと慎重に生き残ることを考えてって」
「ならっ!!」
分かっているのに何故まだそんな戦い方を続けているのだ。ミオに目線を移した勢いは、セキの気持ちを代弁していた。
「死んでたわ!」
「なに?」
セキの威勢を抑える為に、強い口調でミオが言い返す。その一言が理解出来ず、セキの勢いは減衰した。
ミオはそんなセキに優しく話し掛ける。
「周りが強敵しかいないこの樹海の中で、逃げる選択肢を最優先にしてしまうと…結果、死ぬことになるのよ」
「…どういう意味だ」
「モンスターの大繁殖も強さの次元が違う異常種の発生もこの樹海じゃ良くある事よ。コムル村を守る為に…私たちの身を守る為には、それらを未然に防ぐには、逃げているだけじゃダメなのよ。生き残れるか、死んでしまうか、そのギリギリの道を選択し続けないと…護れないのよ」
逃げれば、放置すれば、それらの異常事態は簡単にコムル村を襲う。発生直前、もしくは直後に対応しなければ、これらの事態は抑えきれない。そこに圧倒的な優位性でもなければ、生死のギリギリを賭けて戦うしかなかったのだ。そしてもちろん、樹海なモンスターを相手に圧倒的な優位に立てるはずがない。
セキもその言葉の意味は分かる。樹海の中で生き続ける以上、自分の限界に挑戦し続けなければ、強大なモンスター達を前に成されるままに死ぬしかないのだ。
「…そうなの……だろうな。だが!」
「だから、私達もそういった異常事態が、しばらくの間発生しないようにモンスターの数を間引いてきたわ。でも、フモール達だけだと少し心配な部分もあったわ」
「それは…そうだろう」
「だからね、アルバートさんが皆んなに魔法を教えてくれて、その副産物で身体強化が出来るようになって…それでやっと安心出来るようになったの」
「だから、ありがとうね」
それは、アルバートが村に残ってくれた事に対する感謝なのだろう。フモール達を強く育ててくれる事に関する感謝なのだろう。そんな風に言われれば、セキもこれ以上口を挟めなくなる。
しかし、セキはふと気付く。
話がすり替わっている事に。
「それは、別の話だ! 無謀な戦い方を続ける理由にはならないじゃないか」
そんなセキの憤りを、ミオが哀しそうな目で見つめていた。
「同じ事よ」
「違う!!」
セキはミオが何故、そんな目をするのか分からない。ただ、そんな目を浮かべるミオに胸が締め付けられる思いを抱いていた。
「コムル村を護る為、私達が安心して生きていく為に、やらなきゃいけない事があるの。それを成し遂げる為には、ゴブリンキングの群勢が相手でも…いえ、もしかしたらゴブリンキングよりも強いモンスターの群勢が相手かも知れないわ、それでも勝たなきゃいけないのよ」
「そんなのに襲われたら全滅に決まっている。そんな事がそうそう起こる訳が……」
セキは続きを言い淀んだ。これ以上の言葉を紡いでも、ミオ達の過去を掘り返すだけになってしまうと気付いたからだ。
彼らは、実際それを見たのだ。
そしてそんな理不尽で、無慈悲な苦難に立ち向かおうとしているのだ。その原因と思われる白服の男に復讐を果たすという名目で。
「ギリギリの道を歩き続けないと、私達は死ぬのよ。白服の男の目的は知らないけど……もしかしたら、私達は本当に英雄に成ろうとしているのかも知れないわね」
セキは、3人の過去を知っていても、白服の男への復讐を誓っていると知っていても、今以上の強さを求めていると知っていても、それがどのようなモノなのかピンときていなかった。
それが今、ようやく彼らが抱える目標の形を漠然と知った気がする。
セキは、そんな想いを幼少期から抱え続けて生きてきた3人を前に何も言えなかった。同時に、彼等の抱えているものが重過ぎると感じていた。
「王都に着いたら、別れましょう。セキは私達の旅について来る必要ないもの。それが良いのよ」
沈黙を続けるセキはその言葉にも即答出来ない。
何かを言わねばならぬと、パクパクと口を動かしても、それでも頭の中で纏まり切らない想いが言葉になる事はなかった。
ただ、ミオの方は話が終わったようで、言葉を探すセキを残して、その夜は更けていった。




