逃げられない闘い
「離せっ!!」
「ダメだよ、逃げるんだよ!」
「離せよぉぉ!!」
ゴブリンキングを見た瞬間、殺してやろうと駆け出したティムは、リオンに羽交い締めにされていた。
「アガァァ〜」
ゴブリンキングはティム達の事などお構い無しで、入口に山積みされたゴブリンリーダーの屍体を弄んでいる。ゴンッと蹴飛ばし、山の中からこんがりと焼けた屍体を見つけると顔ごと近付き、スンスンと匂いを嗅いでいる。
「アイツは…アイツは俺が殺してやる! 俺がぁぁぁ!!」
ティムは父親を殺された恨みを晴らそうというのだろう。ゴブリンを引き連れていた白服を殺すのはモチロンの事だが、実際に父親に手を下したゴブリンキングにもティムの恨みは向いているようだ。
「アルバートさん、一旦引き返します! 魔法陣を動かして下さい!」
「えっ!? あぁ…」
リオンの声にアルバートは戸惑ったように了承する。
何故戦わずに逃げるのだろうか、セキがそんな表情を浮かべているが、それはアルバートも同様だったのだろう。確かにゴブリンリーダーよりも遥かに大きいが、ゴブリンリーダーを蹂躙出来るほどの力を持っていれば、それ程恐怖を抱かなくとも良い気がする。
アルバートは首を傾げながらも、急いで魔法陣を起動しようと魔力を注ぐ。
「…ダメです、魔法陣が反応しません!」
「嘘っ…そんな!?」
「離せよぉぉ!」
ゴブリンキングがこんがりと焼けたゴブリンリーダーの屍体を貪り食っている最中、一刻も早く逃げたいリオンとミオは2人掛かりで魔法陣までティムを引っ張っていた。
しかし、肝心の転移魔法陣は動かない。
アルバートがいくら魔力を注いでも、ピクリとも反応しないのだ。
「師匠、手伝います!」
セキが師匠を手伝い始める。2人は、魔力を注いだり、魔法陣を調べ始めたりと、忙しなく動き始めた。
「駄目だ反応しない!」
「師匠、この魔法陣自体が何かしらの封印…いや、暗号のようなモノで保護されています。その解除方法がわからない限りは…」
「殺してやる! 殺してやるんだ!!」
師弟が必死に魔法陣を調べている側で、ティムの目が血走っている。
リオンを何とか振り切ろうと全力で暴れていた。
そうこうするうちに、ゴブリンキングはティム達にも気付いたようだ。赤い血糊で汚れた口が、ティム達を見て三日月型に歪められる。
「来るわよっ!!」
「仕方ない…ティム!! しっかりしろよ! アイツの強さは痛い程知ってるだろ! 頭に血が上った状態でどうやって戦うっていうんだよ! 正気に戻れよ!」
「うるさいっ! 離せ!! 離せよぉぉぉ!!」
「駄目だよ…」
コムル村が蹂躙されたあの頃…あの頃よりは自分達も強くなった筈。リオンは幼い自分を振り返り、今の自分をかえりみた。しかし、それでも勝てる見込みが湧いて来ない。時間稼ぎすらティムがいなければ成り立たない。
時間を稼がなければならない。
到底勝てるとは思わないが、魔法陣の起動までの時間を稼がなければならないのだ。
それなのにティムはリオン達を無視して狂ったように殺意を漲らせるだけだった。
「グルぅォォぉ!!」
ゴブリンキングの雄叫びがリオンの心を震わせた。恐怖に震えた身体は、つい、ティムを抑える力を緩めてしまう。
「駄目よ!!」
「くっ…ミオ、援護は任せたよ!」
「リオン!」
リオンの手から逃れたティムは、ゴブリンキングに一直線に走り出す。リオンは震える心を無理矢理押さえ付けて、無謀に走り出した背中を追った。
「アガァァ〜」
間延びした声とともに、ゴブリンキングの右手が自分へと迫ってくる矮小な生物へと差し出される。右手に握った戦鎚が振るわれた。
感情的になっているティムだが、その背筋を冷たくするような攻撃には突進したく無かったのだろう。一旦止まって、やり過ごす。
ガゴンッ!!
獲物を逃した戦鎚が地面を叩きつけた。巨岩を叩き潰したような音が響いて、地震のような振動が地面を伝ってくる。
衝撃で土埃が舞う中、ティムは正面から突っ込んで行く。ゴブリンキングは待っていましたとばかりに、左手の戦鎚を振り下ろした。
「違うよ!」
リオンはティムを蹴飛ばし身を翻す。左手の戦鎚も獲物を捕らえられず、揺れと砂塵を生んでいた。
「おらぁぁ!」
「それも、違うよ!」
リオンの蹴りで飛ばされたティムは、颯爽と立ち上がりまた正面から突っ込んで行く。
リオンは再度ティムを蹴飛ばした。ティム達は白服を追う限り、いつかはゴブリンキングと相対すると覚悟していた。その為、3人でどうやって戦えば勝てるのかを何度も話したのだ。それなのに、ティムはそれすら忘れたように無謀に立ち向かおうとしている。
「ティムは右! 僕は左! そうでしょ?」
「邪魔すんなっぁぁぁぁ!!」
ティムはリオンを振り払い駆け出す。その表情は決して正気だとは思えない。
しかし、今度は真正面へとは向かわない。やっと連携を思い出したのか、偶然か、ゴブリンキングの左手側、リオンから見れば右側に駆けて行った。
「そうだよ、それで良いんだよ」
リオンは迷わずゴブリンキングの右手側に走った。
「殺すっ!! 殺すっ!!」
ティムはゴブリンキングの左手に斬りかかる。ティムの渾身の一振りがゴブリンキングの皮膚を薄く裂いた。
「…硬いね」
土埃が晴れていく中、そんな様子を見ていたリオンは、ゴブリンキングの頑強さを改めて認識する。ティムの一太刀は、暴れ猪すら牙ごと両断するものなのに、ゴブリンキングには薄っすらと傷を付ける事しか出来ていない。
(でも…僕らも強くなってる。いつの間にか頭の中で敵を強くしてしまっていたんだね)
ゴブリンキングの動きは遅かった。
樹海の中のモンスターと比べるならば、最低ラインの遅さだろう。それを見て、これなら何とかなるかも知れないとリオンはほくそ笑んだ。
倒すことは出来ないだろう。ティムの一撃でもマトモなダメージが通っているようには見えないんだから。ゴブリンキングの攻撃が当たらずとも、こちらの攻撃が効かないならば、倒す事など出来ない。
それでも、時間稼ぎは出来る。それがリオンにヤル気を抱かせた。
ーー昔のようにただ怯えるだけでは終わらない
「たぁぁ!」
のっそりと戦鎚を振り上げる右手に、リオンは小剣で斬りかかる。小剣から壁を殴ったような反動が伝わり、リオンの腕を痺れさせた。それどころかリオンの一撃では薄い傷すら付けられない。
(武器が軽すぎたかな…でも、戦えるよ…母さん)
リオンの機動力を重視した攻撃では傷すら付かない。だが、リオンはそんな事では落ち込まない。3人は闘えているのだから。
大剣を振り下ろしたばかりで動きを止めたティムを狙って、ゴブリンキングの戦鎚が振り下ろされようとしていた。
「ウガァァ〜」
突然ゴブリンキングが声をあげる。
ティムを見ていたゴブリンキングの視線がフッと移ろい、何かを嫌がるように首を振る。
風の刃がゴブリンキングの顔を襲ったのだ。
ミオの魔法もゴブリンキングには傷すら付けられないようだが、気を引くのには十分だった。戦鎚はティムを素通りして地面を揺らす。
ティムがゴブリンキングの左手に少しづつ切り傷を増やしていく。
リオンは右脚に狙いを定めていた。
ティムとリオンの2つの目標に気を紛らされるゴブリンキングは、脚を止めて二対の戦鎚を振るっている。
動く腕よりも立ち止まっている脚の方が狙いやすい…リオンはゴブリンキングの脚を小剣で叩きつける。切る事の出来ない小剣など、もはや刃の付いた鈍器でしかない。だが、鈍器として考えるならばそれはそれで良いのだ。
(硬いなら、弱い所を集中的に…)
刃が通らないならば、関節を砕けば良いのだ。今まで樹海で戦った経験は伊達ではない。
「グゥゥゥゥ」
目に見える傷は出来なくとも、リオンの攻撃は効いていた。ゴブリンキングがリオンの攻撃を嫌がるように脚をのそっと動かす。
「クスッ」
自分の攻撃が効いていると確信出来たリオンは自然と笑みをこぼした。
リオンはさらに追撃を加える。心なしか、緑の皮膚が赤く染まってきたようにも見える。
ドスゥゥゥン
「ウガァァ!!!」
その時だ、重いモノが地面に落下する音と、ゴブリンキングの叫び声が洞窟に響いた。あまりの大きな声に洞窟の天井から、石片が溢れ落ちてくる。
鼓膜を刺激する大声に、リオンは思わず耳を塞ぐ。痛む頭を堪えてリオンが見たのは、大剣を振り下ろした姿で固まるティムと、左手の小指を失ったゴブリンキングが戦鎚を落として痛がっている場面だった。
「避けて!!」
ミオが叫んだ。
ゴブリンキングは小指を失った手を握りしめ、拳でティムに殴りかかっていた。リオンは咄嗟に脚へと一撃を繰り出すが、頭に血が上ったゴブリンキングはリオンに背を向け相手にしない。
ミオも風の刃で気を逸らそうと必死になっていたのだが、小指を失った痛みは煩わしいだけの攻撃など全て無視させた。
ガキィィン!!
「ティム!」
ティムが洞窟の中を飛ぶ。
普段なら難なく避けられるであろうゴブリンキングの拳を真正面から受けてしまった。頭よりも大きな拳が、ティムの身体をくの字に曲げて吹き飛ばした。
大きく滑空するティムは、入口付近の屍体の山にドサリと落ちる。
「ダメよ!!」
吹き飛んだティムの元へとミオが疾走する。
絶対に死なせない。
例え全ての骨が砕けていようと、全ての内臓が潰されていようと、必ず助けてみせる。
命だけは…
回復魔法にも限界はある…しかし、たとえそんな状態になっていたとしても命だけは繋いでみせる。ミオの目はゴブリンリーダーの屍体に埋もれたティムにまっすぐ向けられていた。
ゴブリンキングの視線が、いきなり走り出したミオを捉える。
「させないよ!」
ミオに向かって戦鎚が振り下ろされる。ソレを渾身の体当たりで軌道を逸らした。
ミオはリオンに感謝をつげながら一気にゴブリンキングの横を走り抜けた。
獲物に攻撃を当てられないゴブリンキングが鬱陶しそうにリオンへと左手を伸ばす。リオンはひらりとそれを避け、変わりに攻撃を加えてやろうと小剣を構えるが、続いて右手の戦鎚が頭上から降ってきた。
「っ!」
リオンは途端に攻撃を諦め、避ける事を選択する。たとえ攻撃を加えたとしても、リオンの攻撃を蚊ほどにしか感じないゴブリンキングは微動だにしないからだ。それこそ、ミオを助けた時のように全体重を乗せた体当たりでもかませば少しは動揺するであろうが、体当たり後の不安定な体勢で、続く攻撃を何度も避ける自信が無かった。
「くそっ!!」
リオンが珍しく悔し気な声で叫んだ。
1人になったリオンは、もはや防戦一方で逃げ続ける戦法しか思い付かないのだ。
それを証明するように、リオンの左右からゴブリンキングの攻撃が降り注ぐ。リオンは必死に避け続けた。
(せめて、攻撃範囲がもっと狭ければ…)
相手が2メートルもの巨体だからこそ、その攻撃範囲も広くなる。つまりは、その分避ける時の移動距離が大きく、近付く為の隙が見つけられないのだ。
リオンは自身の無力を嘆きながら、下唇を噛んでいた。
「アルバートさん! セキ! 逃げて下さい!」
ティムが戦線離脱させられ、避けるだけで精一杯のリオンには時間稼ぎすらままならない。何とか目標を自分に絞らせてはいるが、移動範囲を上手く誘導出来ずに魔法陣の側へと近寄っていた。
せめて2人は逃げて欲しい。
ゴブリンキングと戦う理由など無い2人なのだ。リオンの中では巻き込んだという思いが強かった。
「師匠?」
「セキ、リオンさんを援護しなさい!」
「…はいっ!」
「違う!! 逃げるんだよ!」
リオンとしては魔法陣など捨てて、自分が気を引いている間に入口から逃げ出して欲しかった。
しかし、アルバートは逃げようとしない。ティム逹との戦闘を見てまでゴブリンキングを侮っているわけではないだろうが、セキに助力を命じた。
そしてアルバート自身は全員でここから無事に逃げ出す為に、魔法陣の封印解読を急いでいた。入口から逃げてもゴブリンキングが他にいないとは限らない。ならば、一度通って安全を確認している場所へと戻るべきだ。
逃げなかったのにはセキへの絶対的な信頼もある。
無詠唱での魔法発動を行える麒麟児。
拾ったのが自分でなければ、王都の魔術学院に主席で合格していただろう天才児。
何より火系魔法を最も得意とする戦闘向きのその才能をアルバートは知っていた。
時間稼ぎだけでなく、セキなら、もしかしたら倒せるかも知れない。そんな期待すらあった。
「リオン、射線を空けろ!」
自分が囮になる覚悟を決めていたリオンはセキの言葉に躊躇いを覚える。セキの魔法は強力ではあるが、ミオの魔法でも気を反らす程度しか効果がなかった為、どうこうできるとは思えなかった。
それでも、飛んでくるセキの魔法に巻き込まれる訳にはいかないリオンは大人しく射線を空けるしかない。
セキは魔力を練った。今更床が抜けることなど構っていられない。すぐ目の前まで迫って来ていたリオンの背中が退いた瞬間、全力の魔力を込めた1つの紅い玉を撃ち放つ。
「【紅玉】」
魔術を放った後にこぼした言葉、それは詠唱ではなかった。自ら生み出した魔法、自分の子どもを愛おしむようにその名前を周囲に告げたのだ。
セキが自信満々に放たれた魔法は、リオンに焦りを生ませる。
紅玉はセキの拳程の大きさしかなく、とてもゴブリンキングに敵いそうも無い。もしかしたら、紅玉に続いて更に強力な魔法を使うのかも知れない。そんな思いがリオンを掠める。
そんな期待は裏切られる。見れば、セキは明らかに疲弊していたのだ。
体内の魔力の殆どを使ったセキは、肩で呼吸して追加で魔力を練る事など出来そうになかった。
「ギリッ…何とか…僕が何とかしなきゃ…」
リオンがもう1度ゴブリンキングに突撃しようと足を踏み出した時、紅玉がゴブリンキングに衝突する。
同時に悲痛な叫びと高温の熱風が吹き荒れた。
「ギュァァァァ!!!」
紅玉はゴブリンキングに触れた瞬間、その巨体を炎で包みこんだ。
見た目とは裏腹に多量の魔力を孕んだ紅玉はゴブリンキングを炎の中で踊り狂わせる。
「はぁ、はぁ…っくはははは、私の炎で焼け死ぬが良い」
まだ呼吸の乱れが残るセキは、ゴブリンキングの叫び声の中で愉悦に浸る。自身最大の炎系魔法を受けたゴブリンキングが無事でいられる筈がない。セキは勝利を確認して笑っていた。
紅玉の予想外の威力にリオンは固まる。
「師匠、終わりましたよ!」
アルバートに向き直ったセキは首を傾げた。
必死の形相のアルバートが走り寄って来ていたからだ。
まさかと思い後ろを振り向くと…そこには炎を身に纏いながらも、振り下ろされようとされる戦鎚があった。
セキの目には、熱で黒く変色したそんな鉄の塊が映っていた。
セキは背中を押し飛ばされる。戦鎚がセキのいた場所に振り落とされた。
グジャリと肉が潰れる音がした。
戦鎚が離れた地面は赤く彩られていた。




