プロローグ
大幅改稿工事を致しました。
今まで読み進めて頂いている方々には多大な迷惑をお掛けいたしますが、どうぞ変わらぬご愛好をお願いいたします。
あの日の事…思い出しても何も良い事なんてない日の事、そんな日の事を俺は毎日思い出す。
まだ俺が小さくて、親に甘えて何の力も持っていなかったし得ようともしていなかった頃の話だ。俺の身体が成長していくにつれて、幼い記憶は糸がほつれるように薄っすらと消えていくが、その日の事だけは忘れちゃいけない。
「あぁぁぁぁぁ!!!」
「ティム、静かにしなっ! 大丈夫…父ちゃんが何とかしてくれるよ」
記憶はいつもココから始まる。目の前の森から突然現れたゴブリンの集団を見て泣き叫ぶ俺と、それを諌める母ちゃん。それでも泣いていた俺なのに、ゴブリンから2人を護るように立ちはだかるデッカい背中を見て泣き止むんだ。この広い背中を見ていると何があっても大丈夫なんだ、って気がして。
親父はゆっくり振り返り、泣き止んだ俺の頭を撫でて褒めてくれる。
「母ちゃんは任せたぞ」
「あっ…」
親父のゴツくて温かい手のひらが俺から離れていくと、1人でゴブリンの群れに突っ込んで行く。子どもだった俺でも、そんな特攻は危ないって分かっていた。親父の背中がゴブリンの群れの中に溶け込んでいった時、串刺しにされる親父の絵面が思い浮かんだ。
ーーそれは間違いだった。
ゴブリンか空を舞う。日が陰り出して薄暗い空の下を、あの頃の俺と同じぐらいの身長のゴブリンが舞っていた。愛用の大剣を親父が横薙ぎに一振りするだけで、親父を囲んでいたゴブリンがポンポンと飛んでいく。いくらゴブリンの数が多くても、親父の前では意味がなかった。ゴブリンの隙間から垣間見える親父の背中がいつもより格好良く見えたんだ。寝物語に聞いていた、英雄ガルドはココにいたんだ! …って。
いつの間にか親父の隣にはハンスさんがやって来ていた。近所に住んでるリオンとかいう奴の親父だ。俺はそれにムッとする。
リオンは俺より少しだけ生まれたのが早いからって年上振ってくるような奴だ。そのクセ母親が大好きで、俺の目の前で母親に甘えるようなガキっぽい奴だ。そんな奴の親父が俺の親父の横に並んでるのが腹が立つ。そこは俺がいるべき場所なのに。
ハンスさんとペットの犬が親父に加わると、ゴブリンは見る間に数を減らしていった。ハンスさんも実力がある事が分かると、なおさら俺は苛立った。俺はこの後、親父に剣を教えてもらおうと決めた。この次は俺が親父の横に並ぶ為に。
親父が居るこのコムル村を襲った愚かなゴブリンは全滅するだろう。バカなゴブリンだーーこの時、群れを見て最初に抱いた恐怖心は露と消え去っていた。
このくだらない戦闘も、もうすぐ終わると思った頃、いきなり闇夜が赤くなった。周囲の家々から悲鳴の声が聞こえて来た。その時呟いた母ちゃんの驚きに染まった言葉を今も覚えている。
「まさかっ…ゴブリンが時間差で多方面攻撃をかけて来たってのかい」
あの時は言葉の意味など分からなかった。母ちゃんが何で驚いているのかも分からなかった。ただ、何か予想外の事が起きているのだろうとしか思わなかった。それを証明するように、ハンスさんがペットを連れて親父から離れていった。不安からか、俺を抱き締める母ちゃんの力が強くなったが、俺は何の心配もしていなかった。だって目の前には親父の背中が在るんだから。
「アイツはっ!? …ちっ」
親父が最後のゴブリンを斬り捨てて、俺達の所に戻って来ようとした時、背後の森から巨大な影が現れたのだ。
母ちゃんが焦ったように俺を突き放した。俺に隠れているように指示しながら、母ちゃんは両刃の戦斧を持って親父の元に走り出した。親父も気付いたのか、後ろを振り返って大剣を構える。
「すげぇ〜!!」
そんな2人の姿に、俺は無邪気に興奮していた。親父と母ちゃんが昔冒険者をしていたのは知っていたが、2人が揃って戦う所など見た事がない。それを見る事が出来るのだと全身に血が巡るのを感じていた。
揺らめくような赤い光が巨大な影を照らし出すと、その全貌が朧げに見えてくる。デッカい親父よりもなおデカい、怪物みたいな奴だった。見ただけで俺の身体に恐怖が走り、強いってのが分かる。それが分かると、なおさら親父と母ちゃんがどうやって倒すのかが楽しみだった。
怪物に2人が左右に分かれて攻撃を仕掛ける。親父が右側、母ちゃんが左側だ。親父の大剣が怪物の左手に食い込んだと思うと、叫び声を上げる怪物に母ちゃんが戦斧を振り下ろす。母ちゃんは衝撃で仰け反っただけの怪物を見て驚いているようだった。母ちゃんの力じゃ怪物の皮膚を薄っすらと切る事しか出来ないみたいだ。
母ちゃんが親父に視線を送ると、親父は頷いていた。親父はサッと1歩下がり、母ちゃんが1人で怪物を相手取り始める。
(何でだろう? 母ちゃんじゃ倒せないだろ? 親父が相手すればいいのに)
俺の疑問はすぐに解決される。
親父の身体から白い光が溢れてきたかと思うと、その光が大剣に吸い込まれる。親父が合図すると母ちゃん道を開け、親父が大剣を振り下ろす。親父の大剣から巨大な光の刃が飛び出して怪物を一刀両断にしてしまった。
「…すげぇ」
光の刃は怪物の背後に続いていた森をも斬り裂いていた。この一撃を繰り出す為に母ちゃんが防御に徹して時間を稼いでいたんだな。俺は2人の戦いを英雄譚のように心に刻み込んだ。
敵のいなくなり、俺は2人の元へと走り寄っていく。
近付いてくる俺を見た2人は、一瞬表情を緩ませて、またキッと引き締める。
「バカ野郎!! 戦場に来るんじゃねぇ!」
「隠れときなって言っただろう!?」
親父の怒声で俺の足が止まった。見ると、母ちゃんも怒気を発している。
追い払われた俺はおずおずと元いた場所に帰って行く。敵はもういない筈なのに…俺は2人の戦いに興奮したって伝えたかっただけなのに…
俺がトボトボと歩いていると、突如背後から金属音が鳴り響いた。驚いて振り返ると、先程の怪物と同じ奴が3匹、親父達と戦闘していたのだ。その内の1匹が白い服を来たヒトを担いでいた。白服は怪物達に向かって、サッサと片付けろと喚いていた。
ーー何処から湧いて出たんだ!?
俺は振り返った体勢のまま、動きを止めていた。さっきの怪物が今度は3匹も同時に現れたのだ。何処から? そんなのは分かりきっている。他の奴らと同様に森の中きら出て来たんだろう。それよりも、3匹も同時に現れたことが問題だ。
さっきみたいに時間稼ぎは出来るのか?
今の状況で親父が出した技はもう一度使えるのか?
俺が戦っているわけでもないのに、俺の心を親父達への不安が埋めき出した。
ーーヤバい…ヤバい! ヤバい! ヤバい!
俺の心が警鐘を鳴らす。母ちゃんも親父も防戦一方…というより、もう少しで押し切られそうになっていた。親父と母ちゃんの視線が交差した。今度は母ちゃんが頷いた。
(そうか、また時間稼ぎを…)
そう思っていたのに、母ちゃんは俺に向かって走ってくる。母ちゃんは走り際に俺を抱えて、速度を緩めず走り続ける。
「母ちゃん!? 親父は!? 逃げるの!?」
「父ちゃんは大丈夫だよ! 大丈夫…だよ!」
“大丈夫”俺に言い聞かせているのか、自分に言い聞かせているのか…母ちゃんはそれだけを繰り返して走り続けた。俺だけでも親父の側に戻ろうと、腕の中で足掻いてみるが、戦斧すら振り回す母ちゃんの怪力には敵わない。俺は親父を呼びながら母ちゃんに連れ去られていった。
やがて、母ちゃんはリオンの家に着く。そこで、脱力して地面に膝を付くハンスさんを見つけると、大声で叫んだ。
「ハンス! この子を連れて逃げておくれよ!」
ハンスさんは近付いてくる俺達に視線を送るだけで、動こうとしなかった。母ちゃんはそれでも俺をハンスさんに預けようと、物凄いスピードを保って走り寄る。そして、ハンスさんの足元に転がる怪物と…ヒトの残骸を見つけて、歩みを止めた。
「…そうかい…ローザが…」
ローザさん、リオンの母ちゃんの名前だったと思う。どうやらハンスさんは妻を失った悲みに暮れていたようだ。
「…ハンス! この怪物はもっとたくさんいるんだよ。もしかしたら避難所も危ないかも知れない! …リオンちゃんも危ないかも知れないんだよ!!」
残骸を見つめたまま、動こうとしなかったハンスさんは、リオンの名前に反応する。そのまま青ざめた表情で、避難所へと顔を向けた。
「ティムも連れて行っておくれ!」
ハンスさんは、俺の手を掴むと一目散に避難所へと向かう。母ちゃんの怪力から解放された俺は、もう一度抗おうと動いてみたが、ハンスさんの力にも打ち勝つ事が出来なかった。
母ちゃんは俺とは逆方向に走って行く。一人残された親父がいるだろう場所へと向かって走って行く。俺は、母ちゃんと一緒に親父の元へと行きたかった…
避難所となっていた洞窟の中は変な雰囲気だった。俺よりも幼い子どもがいっぱい居るのに、鳴き声も喚き声も、布擦れの音も、何の音もしなかった。ただ、ミレーヌさんが傷付いた子どもを癒して回る以外、動いている者はいなかった。ここに居る全員が同じように、目の前で起きた現実が理解出来ないように呆然としていた。
外から聞こえてくる悲鳴が止み、ゴブリン達の足音もしなくなると、入口付近で警戒していたハンスさんが外の様子を伺いに出て行った。
俺もミレーヌさんの制止を振り切って走り出た。親父と母ちゃんを探す為に。
俺は家に向かって全力で走った。
ゴブリンに蹂躙され、焼かれた村は見る影もなくなっている。それでも、生まれ育った家の場所を忘れる筈が無い。俺はむしろ、遮られる建物が無くなったことに喜び、まだ炎が燻る瓦礫の中を真っ直ぐ走った。炭と化した柱を飛び越え、誰とも知れない屍体を踏み付け…ただ両親だけを求めて走った。家に向かって真っ直ぐ走る中、村の中央にあった風の大精霊を祀る神殿が崩れているのが目に入る。石材で建てられた神殿の為、焼けてはいないが、周囲の木材の火が映ったのか、黒い焦げ跡みたいなのが付いていた。
俺はそこも真っ直ぐ抜けようとして…足を止めた。見慣れた大剣を見つけたからだ。
親父が愛用していた大剣が無造作に落ちていた。
俺は周囲に親父の姿を探す。
親父はすぐに見付かった。
「…ぁ…ぁっ…」
俺は声にならない声を出していた。
親父は腕を1本無くしていた。残った右腕は母ちゃんを抱き抱えていた。最期に…母ちゃんを護るように、ガッシリと抱き締めていた。
「母ちゃん………親父?」
掠れたような声だった。その場に誰かが居たとしても気付かないような…そんな小声に意図せずなっていた。
それでも母ちゃんは気付いてくれる。親父は気付いてくれる。俺は何処かでそう思い、2人が振り向くのを待っていた。
「親父!! 母ちゃん!!」
いつまで待っても振り向かない2人に、苛立った俺は大声で叫んだ。2人を振り向かせようと肩を掴んでこっちに引っ張った。クソ重い親父の体重が俺の手に掛かる。
親父の身体がゴロンと転がった。
それでも親父は動かなかった。
母ちゃんも動かなかった。
俺は泣けなかった。
涙を流したいのに目はカラカラに乾いていた。
ーーどうしてこうなった
【殺してやる】
ーー誰が俺の大切なヒトを…
【妾の大切な×××を…】
俺は親父の大剣を見た。
両手で持ち上げようとしても、持ち上がらない大剣を掴む。柄を握った瞬間、俺の中から力が湧いてくるような気がした。
ーー殺してやる、ゴブリンも怪物も…全てを殺してやる
【全てを無に帰し、もう一度新たな再生を】
俺はこの日の事を思い出す。
この日抱いた決意が揺るがないように、何度も何度も思い出す。