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クズの鎮魂歌  作者: 叢雲@ぬらきも
第一章 始まり
6/11

美食家《グルメ》

 あれからアニマと甘い一日を過ごし、爆睡してしまった俺は重大な事に気付いた。

 風呂もトイレもないのも重要だが、何よりも重要なものが存在していなかった。

 食事だ。アニマたちにとって食事は必要不可欠なものでないらしく、むしろ食事を取る、と言う行動自体が珍しいようだ。

 起き抜けに盛大な音を立てて自己主張する腹の虫のおかげでこの事に気付けた。と言うより最初から懸念すべき最重要項目だ。

 アニマに用意してもらった『食料』は一言で言って―――。


「……不味いってレベルじゃねぇぞこれ……」


 真っ赤で瑞々しい果実、林檎。一口齧ればしゃりっとした歯ごたえと程よい甘味と酸味が口いっぱいに広がるジューシィな果物であるはずだ。

 だがこの林檎に似たものは見た目も味もそれとは程遠い代物だった。まず色が毒々しい。艶やかな紫色の皮は絶対毒あるだろとしか思えない。

 アニマが毒はないと言い張るので恐る恐る口にしてみれば、口いっぱいに広がるオイルのような液体と、咀嚼するたびにじゃりじゃりと砂を噛んでいるとしか思えない音が不快感を更に煽る。

 せっかく用意してもらったものだ。最後まで食べきろう―――とは思えないほど口に合わない。体は正直なもので、二回ほど咀嚼したところで限界を迎えた。


「うぶぇ……」


 アニマの手前、汚物をぶちまけるわけにもいかない。俺は今まで見せたこともない俊敏な動きでアニマの家から飛び出し、すぐ目の前の赤い海に向かって盛大にリバースした。


「うぉえ……はぁ、はぁ……こいつは、きついぞ……」

「ヒトマ様……やはりお口に合いませんでしたか……」


 いつの間にか追いかけて来てくれていたアニマが背中を摩ってくれていた。

 そのおかげで幾分か気分は良くなっているような気がしないでもないが、毒物を取り入れたとしか思えない感覚は収まりそうもない。

 と言うかやはりってなんだ。分かってて食わせたのかよオイ。

 用意してもらってこういうこと思うからクズなんだろうね。


「うぷ……もう大丈夫。それより、この世界の食べ物ってあんなのしかないの?」

「基本的に、私たちは食事、と言うものを必要としないので……」


 しゅんとしてしまったアニマに罪はない。むしろこんな時代に現れちゃった俺に責任があるとも言えよう。

 未来での生活一日目。早くも挫折しそうになった俺はアニマの知り合いに頼るハメになった。

 これどう見ても俺ヒモだよね? なんでアニマの知り合いにまで迷惑かけてんだろ。

 と言っても始まらないので俺はアニマに連れられてその知り合いの元へと足を向けたのだった。


「ヨミえもーん。お腹空いたよー。なんか便利な道具出してよー」

「食事か。まぁ予想していた範囲ではあるよ。しかし僕じゃあそれはどうにもならないね」

「そうだよね……」

「あのーヨミさん? あの……」

「僕じゃどうにもならないけど……美食家グルメならどうにか出来るんじゃないかな。食に拘る変人として有名だし、君も名前くらいは知っているだろう?」

「う、うん。どんな人なのかまでは知らないけど」

「安心するといい、彼女は悪人ではないよ。ちょっと変わってる(・・・・・)と言うこと以外はね」

「もしもーし。ヨミさーん」

「一応僕から紹介状を書いておくけど…あまり期待しないでくれ。彼女はなんと言うか……うん、変わっているから」

「う、うん……わかった」

「ちょっとー、僕空気ですかー? 話にいれてくださいよー」

「ああ、いたんだ。ごめん気付かなかったよ。で、何だい?」

「いや、もういいです……」


 しくしくと涙を流しながら隅っこでいじける。ここはヨミの診察所。とは言え未来の病院である故、見たこともない機械がずらりと並んでいる。

 下手にいじって壊したりしてはいけないと分かってはいるが、どうにも好奇心が勝ってしまう。


「クズシロヒトマ」

「え、あ、はい」

「好奇心旺盛なのは構わない。むしろ探究する心が強いと言うことは褒めるべき長所だ。だが、時と場所を選ぶといい」


 きょろきょろと周囲を物珍しく見回していると、机の前で何やら作業をしているヨミから硬質な声が上がった。

 思わずびくりと体が硬直する。無表情でわかりづらいが、怒気を孕んで睨みつけていることが雰囲気で分かる。


「迂闊な行動はするな、と忠告しているんだよ。昨晩のことを含めてね」


 昨晩、と言う単語にぎくりと肩が跳ね上がった。

 アニマを盗み見ると、それが何を意味しているか理解しているようで顔を真っ赤にさせて俯いてしまっている。

 何あれ可愛い。とにやけそうになっているとかつかつ、と机を叩く音で意識がそちらに向く。

 聞いてるのかクズ野郎と言った蔑んだ目でヨミが睨みつけていた。死ぬほど怖い。無言無表情の重圧がこれほど怖いとは思わなかった。


「生活面で色々弊害が出るだろうからと僕なりに助言を施そうとおもむいたんだけどね。アニマの居住から聞こえたそれはそれは気持ちよさそうな嬌声きょうせいのせいでその気も失せたよ」


 スッと細められた氷のように冷たい半眼が俺、アニマの順で流される。なんだこれ。浮気がバレた旦那が問い詰められてる感じなんだけど。

 すっごい気まずい。アニマもアニマで耳まで真っ赤にして何も言わないし。これは「俺のために争わないで‼」って言うべき時が来たと言うのか⁉

 そんなことを考えてると、ひゅんっと頬を掠める風の音が聞こえた。やや遅れてがすっと物騒な音が背後で聞こえる。

 恐る恐るそちらに顔を向けると、万年筆に良く似た棒状のものが壁から生えていた。さっきまでなかったのに、なんだこれは。


「真面目に聞け。次は当てるぞ(・・・・)

「……ハイ……」


 怒気を孕んだ低い声で、ヨミがもう一つの万年筆をわかりやすくこちらに向ける。

 殺すぞ、と言うオブラートに包んでもいない、正真正銘の脅しだった。

 俺が直立不動の状態で固まるのを見届けたヨミは呆れたように小さくため息を吐き、アニマへと目を向けた。


「感情が薄いと言ってもないと言う訳じゃない。友人の営みをわかりやすく見せつけられた僕の身にもなって考えろ。君たちがどういう関係を持とうが知ったことじゃないが、騒音に近い声を出せば機械人形マテリアルだって寄ってくる。自覚・・したまえ」

「……はい」

「……あう」


 そう言うヨミの頬は微かに赤らみを帯びていた。

 ふむ、ヨミも恥ずかしいと思う感情はあるのだなと思っていたらまた睨まれたのでこれ以上は考えないでおく。超おっかないもん。

 アニマはよっぽど恥ずかしいのか頭から湯気を出しそうな勢いで真っ赤っかになって俯いたまま。ごめんなさい、俺のせいで。

 言いたいことを理解してもらって満足したのか、ヨミが徐に机の引き出しからカード状の板切れを取り出し、俺に向かって差し出してきた。


「なんだこれ?」

身分証・・・さ。無論偽造だけどね」

「なんでこんなものを?」


 ヨミから渡されたカードは顔写真付きの良くわからない文字がびっしり刻まれていた。いつの間に俺の顔写真撮ったんだ。

 運転免許証に良く似た銀色のそれを矯めつ眇めつして眺めていると、ヨミがわかりやすく落胆したようにため息を吐いた。


「……君は知性があるようでないね。いらないのであれば処分するけど?」

「ありがとうございます!」


 ゴミを見るような目で手を伸ばして来たヨミに、社畜根性よろしくとばかりに90°の美しい姿勢で頭を下げる。

 それを見たヨミがまたため息を吐いた。なんでだろう、ちょっとゾクゾクする。また睨まれたので思考を止める。


「君は生きたいのだろう? であればこの世界の住人にならねば生きていくことは不可能。僕の出来る範囲で用意しただけの事さ」


 ヨミが用意してくれた身分証をじっと見つめる。正直何を書いてあるかはさっぱり読めないが、ひとつだけわかるものがある。


「Fランク……か」

「贅沢言える立場とでも?」


 FSD-TD、HITOMA。アニマと同じ身分。たかがそれだけの事に、何故か嬉しさが込み上げる自分がいた。

 ふっと頬が緩む。例え最低だとしても、クズの俺にはちょうどいい(・・・・・・)

 身分相応とでも言うのか。俺には何もない。だからこそこれで良かったのだと思う。

 何もない俺に、生きる意味をくれるアニマと共に生きる資格があるのかは分からない。

 だけど、それでも。今はこの子と一緒に歩いてみたい。そう思った。


「いや、アニマと一緒だな、と」

「はい、一緒ですね。ヒトマ様」

「のろけなら他所よそでやってもらえるかな? 不愉快だ」


 見つめ合い、頬を染め合う。幸せ絶頂の最中、冷ややかな言葉と刺すような視線で我に帰った。

 見るとヨミがにっこりと微笑んでいた。

 おお、そんな顔できるんだと思ったが顳顬こめかみにぶっとい青筋が浮いているのが見えてひぃ、と悲鳴を上げてしまった。

 まぁでもヨミも感情があると確認できただけでも収穫だとしよう。言ったらホントに殺されそうだから言わないけど。


「ひとまず美食家かのじょに会ってきてはどうだい? この街の地下にいるはずだよ」


 半ば投げやり気味に放たれた言葉に従い、俺とアニマは食の問題を解決するべく美食家グルメと呼ばれる変わり者が住む地下へと足を向けた。


           ◇


美食家グルメ……か。一体どんな人なんだろうな」

「変わり者、とは聞いてます。なんでも食に尋常ならざる執着があるとか……」


 ミッドガルズの隅っこに置かれた金属のコンテナ―――もとい、ヨミの診療所から出てすぐに、美食家グルメについて話し合っていた。

 と言ってもお互いどんな人物か知らないので中身のない話を繰り返すだけなのだが。

 ふと、嫌なものが脳裏をよぎる。食に執着があるとすれば、その可能性は無いと言い切れない。


「……俺、いきなり食われたりしないよね?」

機械人形マテリアルでない限り、それはないかと……」


 そう言うアニマの表情はどこか硬い。絶対にないと言い切れないからこそ、歯切れの悪い答えしか出来ないのだろう。

 やばい、足が震えてきた。喝を入れるために足を叩くと、軽い衝撃が走った。

 結構な力を入れたにも関わらず、手を置いた程度の衝撃しか伝わらなかった。

 改めて自分が着ている衣服に目を向ける。今の俺は日本で着ていた普段着ではないのだ。

 ヨミが人間であることを隠すための服装として用意してくれたのは全身にぴったりフィットする黒のレザースーツ。


 なんでも俺の体格に合わせて収縮するらしく、たとえどんなに太ろうが破れないスグレモノだそうだ。もやしだから関係ないけどね。

 防刃、防弾仕様も備えており、もし万が一機械人形マテリアルに遭遇してもある程度は防いでくれるそうだ。優しくて涙が出るね。

 無論戦闘など出来もしないので逃げるに越したことはないが、普段着のままより生存確率が数倍跳ね上がるんだそうだ。

 その大層素晴らしいレザースーツの上に纏っている艶のあるダークグリーンのマントはレザースーツよりも高価な代物らしい。

 値段は教えてくれなかったが、アニマが目に見えて驚いていたことから相当値が張るものなのだろう。


 まさに至れり尽せりなのだが、なんでそんな高価な代物を俺に無償で譲ってくれたのか良く分からない。

 ヨミはアニマに感謝するといい、とだけしか言ってくれなかったが、どうにも後味が悪い。

 いつか何らかの形でお礼しないといけないな。


「しっかしこれ……違和感がすげぇな……」

「人間であると分かってしまえばどうなるか分かりません。ヨミの言った通り、人間であることを隠したほうがいいかと。それに、似合ってますよ」


 見れば見るほど患ってる人にしか見えないファッションだ。黒のレザースーツにマントってどこの蝙蝠男だよ。

 これ空とか飛べんのかなと夢を膨らませたりしたが、やはり大人として羞恥心が勝ってしまった俺がついぼやくと、隣をぴったりついて歩くアニマがにっこりと微笑んでくれた。


「うーん……まぁ、アニマがそういうのであれば……」


 絶世の美少女であるアニマにそう言われればやぶさかではない。何様だ俺は。

 正直似合ってると言われれば悪い気はしない。でもやっぱり違和感凄いんだよなぁ……。


「さて……鬼が出るか蛇が出るか……」

「大丈夫です。いざとなれば私がヒトマ様をお守りします」


 思考を切り替えて、美食家グルメの根城へと意識を向ける。目の前には記憶の墓場やヨミの診療所と変わらない正方形のコンテナ。

 コンテナの前で立ち止まり、アニマへと視線を流す。

 するとアニマはことりと首を傾げてどうしました? と言いたげに見つめてきた。

 あれ、さっきもヨミのとこで開けてもらったからてっきりまたアニマが開けてくれるもんだと……。


「えっと、また開けてもらっていいかな?」

「今度はヒトマ様が開けてみてください。せっかく身分を手に入れたのですから」


 身分と言っても一番低い身分なんですけどね。あ、アニマもか。

 アニマのどうぞ、的な笑顔に押されて渋々コンテナの前に立つ。

 確かヨミもアニマも顔をギリギリまで近付けていたはずだ。

 二人がやっていた事を思い返し、コンテナに顔を目一杯近付けてみる。


『網膜パターン、虹彩解析―――検索中…該当コード認証。体組織解析―――正常確認。―――キーコードを』

「おお……すっげ」


 思わず声が漏れる。本当に俺がこの住人になれたと実感出来た瞬間だった。


『HITOMA―――キーコードを』


 感動に浸っている俺を急かすように、機械音声が名指しで続きを催促する。


「神の雫」

『―――承認』


 音声からやや遅れてコンテナに亀裂が入る。瞬く間に形を変え、コンテナの中に現れたものは地下へと続く長い階段。

 この階段を、正確には似たような階段を降りるのはこれで二度目だ。

 お互い視線を交わし、無言で肯き合う。

 意を決し、段差に足をかける。


「あ、アニマ、離れないでね?」

「はい。私はここにいますよ、ヒトマ様」


 うん、我ながら情けない。それでもアニマは嫌な顔一つせず手を繋いで一緒に降りてくれた。


「あの寂れた街の地下に……こんなもんが……」


 階段の終わり、つまり最下層に到達した先に広がる光景に絶句する。

 見覚えがあるのだ。目の前に存在する建物に。

 それはこの世界には似つかわぬこじんまりとしたお店(・・)

 看板と思しきものにはなにやら文字が刻まれているが、この時代の文字を読めない俺には落書きのようにか映らない。

 しかしそれは明らかな客引きを目的とした看板というのは見て取れる。


 そもそも地下にあるお店に客足があるのかと言う疑問が真っ先に浮かぶが、こんな辺鄙な場所に客など来るわけもなかろうと自己解決する。

 しばらくそれをぼーっと眺めていたが、いつまでもそうしている訳にもいくまい。


「これも美食家って人がやったのか?」

「恐らくは……」

「どんな人か知らないんだっけ?」

「美食家はとにかく美味しいものを食べることが何よりも優先すべきと言って機械人形マテリアルとの戦いに一切興味を持っていません。確か彼女はAランクだったはずです」


 予想外の情報に目を剥く。Aランクって上から二番目じゃん。

 なんでそんな高いランクのヒューマノイドがこんなところに店を構えているんだ。

 あ、変人ってヨミが言ってたな、そう言えば。


「Aってめちゃくちゃ高いな。確かランクが高いとそれなりの生活出来るんだよね?」

「はい。C以上は機械人形マテリアルとの戦闘に参加する義務が発生するんですが、強制と言う訳ではありません。参加しない代わりに権限を失うんですけど……自らそれを望む方は珍しいです」

「てことはつまり?」

「私たちと変わらない……と言うことです」


 その言葉に一筋の光明が閉ざされたような感覚に陥る。うっそマジかよ、ここまで来てそりゃないよアニマさん。

 

「……大丈夫なのかな、ホント」

「今は行くしかないです。行きましょう」


 幸先が思いやられる。嫌な予感しかしないんだがこれ。

 行くしかないのはわかってるけど、ホント大丈夫かこれ。

 行ってみて実は何もないですとか来た意味マジでないからね。


「すみませーん」


 美食家グルメの店……飲食店そっくりの建物の扉を開け、一応声をかける。

 明かりが点いてると言うことは誰かいる……はず。

 しかししばらく待っても何の音沙汰もない。

 しん……と静まり返った空間のみがそこに広がっていた。


「……誰もいないのか? すみま」

「なんじゃ、儂に何か用かわっぱ


 もう一度声を出した瞬間、いきなり真下から声がした。思わず飛び上がってしまった俺は素早くアニマの背後へ隠れる。

 心臓がうるさいほどに高鳴る最中、盾にされたアニマが困ったように笑う気配がした。

 深呼吸して心を落ち着かせる。そろりとアニマの背後から顔を覗かせると、何故か幼女が腰に手を当ててふんぞり返っていた。

 ただし、床まで届くほどの長い白髪に、アニマよりも濃い赤い瞳。真っ赤なチャイナドレスを着た妙ちくりんな幼女がそこにいた。


「えっと、美食家グルメって人に会いに来たんだけど……」

「だからなんじゃと聞いておろう」

「……だから、美食家グルメって人はどこにいるのかな?」


 イマイチ話が通じていないらしい。この幼女はお留守番かなにかだろうか。

 しかし俺は大人だ。子供の尊大な態度にもいちいち目くじらを立てたりしない。

 もう一度目当ての人を呼ぶようにそれとなく伝えてみると、幼女は呼ぶどころかあからさまに顔を歪めて大きく舌を打った。


「くどいぞ。わざわざこんなところまで来たのじゃからそれなりの話があるのであろう?」

「えと、だから……」


 このガキしばくぞ。早く美食家グルメとやらを呼んで来いよ。

 とは言わずになんとか意図を伝えようと頑張る。顔の筋肉が引き攣りまくってるが。


「……同じことは二度言わんぞ、わっぱ


 ぞくりと悪寒が全身を駆け巡った。瞬きした次の瞬間、幼女は目の前で浮いていた(・・・・・)

 背中を向けて浮いていた幼女が前を向く。刹那、凄まじい暴風が吹き荒れた。


「―――ごえっ⁉」

「……ほぉ、お主なかなかやりおるな。儂の蹴りを受けて壊れなかったのはお主で二人目じゃ」

「ヒトマ様には指一本触れさせません」


 気付いたら床に這いつくばっていた。蹴り? 今俺は蹴られたのか?

 それにしてはどこも痛くない。ふと視線を上に向けると、アニマの白い足とピンクの三角布がばっちり視界に飛び込んできた。

 いやどこ見てんの俺。問題はそこじゃない。

 後ろにいたはずのアニマが俺の前にいる。そして幼女の足がアニマの細腕に密着している。

 つまりあれか? あの幼女が目にも止まらぬ速さで飛び上がり、回し蹴りを放った。それを防ぐためにアニマが俺を突き飛ばし、蹴りを防いだってのか?

 

 今更ながらに全身が粟立つ。もしアニマが守ってくれなかったら俺はどうなっていた?

 ここは俺がいた日本ではない。あの二人は人間を超える存在、ヒューマノイドだ。

 まともに受けていたらそれこそ、俺は今こうして生きちゃいないんじゃないのか?


「……なんじゃ、喧嘩を売りに来たのか。儂はてっきりリョウリについて聞きに来たのかと少しばかり期待したのじゃが……」


 幼女は残念そうにため息を吐き、アニマの細腕を蹴り飛ばしてくるくると宙を回転しながら綺麗に着地した。

 今の動きは人間じゃ絶対に出来ない芸当。まず重力に反してるしどれだけの筋力とバランス感覚が必要となるか想像もつかない。

 目の前の幼い子供がこれほどまでに恐ろしいと思ったことは未だかつてない。

 カチカチと恐怖で歯がぶつかり合い、磔になったようにその場から動けない。


「あ、あ……うあ……」

「……なんじゃ人を化物のような目で見おって。情けないわっぱじゃのぉ……これしきで怖気づいてどうする」


 ただ怯えることしかできない俺を、彼女は失望の眼差しを向ける。だが戦意は確実に削がれたようで、呆れたようにやれやれと肩を竦めていた。

 何も出来ない俺を見兼ねたアニマが一歩踏み出し、彼女に向かって何かを差し出す。恐らく、ヨミが書いてくれた紹介状だろう。


「あの、私たちはあなたと戦いに来たのではありません。あなたの力を貸して欲しいのです」

「ん? 儂は戦争に参加せんと前から言っておるが。それとも腕ずくで連れ戻しに来たか? さては貴様、『オーディン』の狗か」

「読めばわかります。私はヨミの紹介を受けてこちらに伺いました」


 ヨミと言う単語が出た途端、彼女の表情がわかりやすく一変した。

 アニマからひったくるように便箋を奪い取ると、ふむふむと時折相槌を打ちながら一枚の紙に目を走らせていく。

 そして読み終わった瞬間、紹介状をくしゃくしゃに丸めて後ろにぺいっと放り投げた。

 こんなものに興味はないとばかりに俺とアニマに爛々と輝く瞳を向ける。


「ふむ、確かに。それならそうと先に言え、たわけ」

「ごめんなさい」

「そこのわっぱ! いつまで寝転んでおるのだ! さっさと立たんか!」

「ひっ……!」

「……なんじゃこの情けない体たらくは……ええい世話の焼ける!」


 僅か数分前の出来事が嘘のように友好的な態度に打って変わった幼女が、なぜか憤慨しながら俺を無理やり引っ張り起こそうと腕を掴んできた。

 恐怖で身が竦んでしまう。そのせいでうまく体を動かすことが出来ず、されるがままになってしまう。

 俺より遥かに小柄で華奢な幼児体型の癖して、引っ張り上げる力は尋常じゃなく強かった。腕が千切れるんでねーのってくらい痛かった。


「あ、え、うあ……」

「おわっぷ⁉ しっかり立たんか馬鹿者! 儂との身長差を考えろ!」


 当然無理やり立たされても腰が抜けてるので倒れそうになる。

 引っ張る慣性に従って幼女にもたれかかるように崩れると、潰されそうになった幼女から抗議の声があがった。

 それでも倍近くある体格差の相手を片腕一本で支えているのだから驚きだ。


「全く……ここまで情けない者を見たのは初めてじゃぞ」

「ヨミの紹介……わかっていただけましたか?」

「ん? ああ、それは承知した。そう言えば主らのコードはなんじゃ?」

「私はアニマです。この方はヒトマ様です」

「アニマに……ヒトマじゃな。うむ、覚えたぞ。儂は美食家グルメことフィルリンク。フィルと呼ぶが良い。久しぶりの客人じゃ、丁重にもてなそうぞ」


 うまく喋れない俺を気遣って、アニマが話を進めてくれた。

 そして、留守番かなにかだと信じて疑わなかった目の前の幼女が―――意中の人物、美食家グルメだとは思いも寄らなかった俺は目ん玉飛び出るんじゃないかと言うくらいに仰天した。

 幼女こと美食家グルメ、フィルリンク。彼女はかかっ、と奇妙な笑い声を上げ、快活に笑う。そこだけを見ると悪い人物ではないのか、と思えてしまう。

 幼女が儂って違和感ぱないな。アニメだとありかもしれないがリアルだと若干引く。


           ◇


「あの、フィル……さん?」

「む? なんじゃ? 遠慮せずに食すが良いぞ」


 フィルリンクことフィルさんに連れられて店内のカウンターに座る俺とアニマ。

 それをカウンターの奥からかかっ、と朗らかに笑って見つめるフィルさん。

 

 目の前には馴染みのある料理がほこほこと湯気立っている。出来立てアツアツの料理は冷めないうちに召し上がるのが好ましい。

 冷めてしまえば風味が落ち、味が劣化してしまう恐れが非常に高いのだ。

 冷めた料理、冷めた食卓ほど味気ないものはない。それは一人暮らしの長かった俺が痛いほど熟知している。

 だが―――目の前の料理。

 更に盛られたチャーハンと思しきものははっきり言って酷い。


 まず野菜と肉がでかい。一口サイズどこかぶつ切りってレベルじゃない。まるっとそのままぶち込んで炒めました感をまざまざと見せつける。

 そして米。パラパラどころかごろごろとした塊が皿の上にごんろごんろ転がっている。卵使ってないなこれと素人目でもわかるほどダマになっている。

 何より匂い。焦げた醤油とオイスターソースの香ばしい匂いが食欲を掻き立て、黄金色に輝いているはずのチャーハンだが、これにはそれがない。

 つんと鼻を付く刺激臭に加え、てっかてかと艶やかに光る米の塊

(のようなもの)。

 しかしせっかく用意してくれたのだ。ここは好意に甘んじて食べる他あるまい。


「い、いただきます……」


 死を覚悟し、なぜかこの時代にもあったスプーンを米の塊に突っ込む。ねっちょりとした感触が見事に食欲を削いでいく。

 うはぁ……これ油いれすぎだろ……。


「―――ッ⁉」


 目を閉じ、半ば自棄糞気味にそれを口に突っ込む。そして―――走馬灯が走った。


「なんじゃ⁉ ウマイのか⁉」


 スプーンを咥えたまま遠い世界に旅立っている俺を見て、フィルさんが目をキラキラと輝かせてカウンターの奥から身を乗り出してくる。

 ウマイわけがない。クッソ不味い。クッソ不味いのだが―――食えないわけではない。どう料理すればこうなるのか検討もつかないが、きちんと料理すれば俺が普段食べていた味になるであろうことは判明した。


「あ、アニ―――」

「どうされました?」


 感想を俺の口から言えるはずもなく、青い顔を隣に向ける。その瞬間、絶句した。

 アニマはこのゲロマズチャーハンをさして気にすることなくぱくぱくと何事もなく食べているではないか。

 表情が変わらないので美味しいのか不味いのかもわからないが。


「なんで普通に食えるのさ」

「と、言われましても……私は慣れていますので……」


 一口食べただけでもう食べる気が失せてしまった俺を尻目に、アニマはどんどん皿の上のものを綺麗に平らげていく。

 うーむ。舌がこれに慣れきってるから平気ってことなのかな。

 まぁヒューマノイドに娯楽はないと聞くし、美味い料理ってのが存在しないことは容易に想像出来るが。


「ぬ? もしや……」

「あ、いやっ……」


 チャーハンもどきと神妙な顔つきで睨めっこしていた俺を不審に思ったのだろうフィルさんが乗り出した身をそのままに、笑顔を凍りつかせる。

 慌ててフォローを入れようと頭を働かすが、味が悪いことを目ざとく悟ったフィルさんはすごすごとカウンターの奥へ身を引っ込め、しょんぼりと俯いてしまう。


「顔を見れば分かる。不味いのじゃろう?」


 いや、不味いってレベルじゃないけどね。正直。とは口が裂けても言えない。

 そもそもこれを料理と呼べるのかどうか怪しいレベル。

 そんな心中を察したかどうかはわからないが、俯いているフィルさんの小さな肩が小刻みに震え始めた。


「……やはり見よう見まねではうまくいかぬか…ふぐう…」


 ぐしっ、と鼻を啜る音がやけに大きく響く。もしや―――泣いているのだろうか?

 だとすればなぜ? たかが料理に失敗したくらいで泣くほどのものだろうか。 

 すっかり冷めてしまったチャーハンに目を落とすと―――皿が消えていた。

 隣を見るとアニマがもそもそと食べ続けていた。なんていい子なんだと感激した。


「いいのじゃ。儂はずっと一人じゃったからの。誰かに食べてもらうことなどなかった。これでは夢のまた夢じゃのぉ……」

「夢?」


 独白のような呟きを復唱する。別にそこまで深く踏み込むつもりはないが、関わってしまった以上は無関係で済ますわけにもいかない。

 俺の言葉に反応したフィルさんが徐に顔を上げ、寂しそうに、どこか儚げに微笑んだ。

 その微笑みが何を意味するかは、俺には分からない。


「……儂は戦いは嫌いじゃ」


 そしてフィルさんは目を伏せ、ぽつり、ぽつりと語り始める。

 俺と、すっかり二皿分のチャーハンを平らげたアニマが静かに耳を傾けた。


「やつらが儂らの生活を脅かしていることは重々承知じゃ。じゃからと言って、来る日来る日も壊してばかりでは気が狂いそうになるのじゃ」


 奴ら、とは機械人形マテリアルだろう。まだこの目で見たことはないが、ヨミやアニマがあれだけ念を押すと言うことは相当危険な存在なのだろうと予想出来る。

 ヒューマノイドが人の生み出した奇跡だとすれば、機械人形マテリアルも人が生み出した魔物なのだろう。

 人が生み出した魔物が奇跡を探している。俺には想像もつかないが、とてつもない長い時間戦いに明け暮れると言うことは肉体も勿論、精神も磨り減っていくのだろう。

 やはり俺には出来そうもないことだけど。

 

「このままでは儂が壊れる。そう思って放浪しておった時、出会ったのじゃ」


 懐かしむような微笑みを浮かべたフィルさんが眺める先は、油でてかてかと光る空の食器。


「料理?」

「そうじゃ。儂はこの『ちゃあはん』とやらを口にした時電流が走った。食事など必要ないものと思っておったが、そうではなかった。リョウリは不思議な力を持っておる。美味いリョウリを口にすれば、誰もが笑顔になる」


 チャーハンにそんな作用があるとは思えないが、言いたいことは理解出来る。

 『食』はとても大事なことだ。俺も普段疎かにしがちだが、美味い飯を食えばつい気分が高揚する。

 嫌いな人間と食べればどんな美味い料理も味気なくなるし、好きな人間と食べればそれが最高のスパイスとなって味を引き立ててる。

 笑顔は作り手にとっても、食べる側にとっても最高の調味料だ。フィルさんはきっと、その味の虜になってしまったんだろう。


「儂はな。この世界で誰もが笑顔になるような美味いリョウリ屋を開きたいのじゃ。あの人のように、誰もが『ありがとう』と笑顔になるようなリョウリを作りたい。……結果は、到底叶わぬようじゃがの……」


 ああ、と納得してしまう。例えどんなに時が流れようと、根っこはやっぱり変わらないものだと実感する。

 目の前の未来人は俺とどこも変わらない。俺、と言うより人間と言うべきか。

 フィルさんは夢を追ってひたむきに走っているだけなんだ。どこにでもいるようでいない、夢を持った一人の人間なんだ。

 そして今、叶わぬ夢と挫折し、心が折れそうになっている。もはや言葉は必要あるまい。

 俺は落ち込むフィルさんに敬愛の眼差しを向け、そっと微笑む。


「……フィルさん」

「なんじゃ?」


 答えるフィルさんに覇気はない。俺はこの女性を良く知らない。

 だけど、悪い人ではないとこの目で確かめることが出来た。

 見ず知らずの俺に料理まで振るってくれた。結果はアレだったが、一飯には変わりない。

 可能な限り、出来る範囲で、礼を尽くそう。それくらいは俺にだってやれるはずだ。


「厨房、お借りしていいですか?」

「む? まさかお主……」

「男料理になりますが、チャーハンくらいなら俺にだって作れますよ」


 自慢じゃないが、一人暮らしが長いとそれなりに家事のレベルも上がってくる。

 さて、俺の料理の腕前を見せてあげるとしましょう。

 訝るフィルさんの視線を背に受けながら、チャーハン制作に取り掛かったのだった。


           ◇


「……うん、食える」

「こ、これは……」


 出来上がったチャーハンはまぁ普通。油や調味料があったおかげで味を調えるには苦労しなかった。

 普通に食べれると言うことに感動を覚えたことは言うまでもあるまい。

 これで食については解決―――と一安心していると、目の前の幼女ことフィルさんが俺作のチャーハンを穴が開くほど凝視し、わなわなと小さな体を震わせていた。


「この微かな刺激を与える香辛料の香り、口の中でパラパラと弾けて遊ぶコメ、噛むほどに広がるヤサイとニクの旨み……」

「あ、あの、まずかったらまずいって言ってくれて……」


 ただ事ではない気配を察知し、フォローを入れる。

 こんな時に頼りになるアニマはと言うとめちゃくちゃ幸せそうな顔でチャーハンを食していた。

 え、これ美味いの不味いのどっちなの。

 そうこうしている間にフィルさんは椅子がひっくり返るほどの勢いで立ち上がり、


「うっ……まぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい‼」


 これでもかと言う程目を見開いて力の限り叫んだ。もともと大きい目がもっと大きく見えてちょっと気持ち悪かった。


「……ソウデスカ」

「なんだこれはうまいうまいぞいくらでも食が進むさてはお主天才かそうなんだないやはや恐れ入ったぜひ儂に手ほどき願いたいなんでもするぞ」


 ん? 今なんでもするって言ったね? 耳聡く聞きつけた単語にあらぬ妄想が膨らむが自重。

 美味いと言われて悪い気はしないが、あそこまで大袈裟に言われるとそうですかとしか言い様がない。

 それはさておき、食べながら喋るものだから食べ滓が凄まじく飛んでくる。

 見た目通り子供か、と呆れつつも苦笑してしまう。


「とりあえず食べながら喋るのはやめてください。米粒がめちゃくちゃ飛んでます」

「おかわりッ‼」

「アッハイ」


 聞いちゃいねえ。持って来いオーラが凄まじいフィルさんの皿に鉄製っぽい鍋からチャーハンをがっつり盛り付ける。

 見た目に反してフィルさん食うのよ。そう言えばヒューマノイドに胃袋ってあるのだろうか。

 とどうでもいいことを考えながらフィルさんに皿を渡した直後、もう一つの皿がすっと差し出された。


「……美味しいです……」


 恥ずかしそうにはにかむ天使はアニマだった。そう言ってくれると凄く嬉しい。

 なので愛情を込めて皿に盛ってあげる。結構な量を作ったというのに、ものの十分もしないうちにチャーハンはなくなってしまった。

 ふむ。誰かに食べてもらうのは悪くない、とちょっと塩辛いチャーハンを食みつつそう思うのだった。


「げっふ……もう入らぬ……」

「あれだけ食べたらそうなりますよ……」


 一人で軽く三合近く米を平らげたフィルさんは至極ご満悦の様子でぽんぽんとお腹を叩いてふやけきっていた。

 このちっこい身体のどこに入ってんだこれ。人体の不思議だ。


「いやしかし、お主リョウリ出来るのじゃな。一体どこでそんな技術を?」

「あー……いや、環境のせいでやむにやまれず」

「環境? リョウリなぞ儂以外好き好んでやるものはおらんぞ。なにせ失われし技術(ロストテクノロジー)じゃしな」


 聞き慣れない単語が飛び出した。羽のついたロボットアニメの主題歌だっけそれ。否! 断じて否‼


「ろす……?」

「ん? なんじゃまさか知らんとでも言うのか?」

「フィルリンク様、ヒトマ様は記憶回路の損傷で今までの記憶がほとんどないのです」


 痛いところを突かれ、返答に窮しているところにアニマが助け舟を出してくれた。

 恐らくヨミがそう言った設定を作ってくれたのだろうが、俺も初耳だ。

 記憶喪失のヒーローか……ふっ、悪くない。

 自分に酔いしれて浸っていると、フィルさんが表情を曇らせて目を伏せてしまった。


「む。そうじゃったか……済まぬ。無粋な事を言ってしもうた。無礼を許せ」

「あ、いえ、気にしないでください」

「しかし……お主」


 隣に座っていたフィルさんがずい、と俺の方へ身を寄せてきた。

 ほぼ密着する形でフィルさんの小さな体があるため、否応がなく清涼な香りが鼻腔をくすぐる。

 目と鼻の先にある幼い子供の顔がじろじろと俺の顔を舐めるように見つめる。

 じっと見つめながら、すんすんと可愛らしい小さな鼻を鳴らしながら匂いを嗅いでいる。

 何してる、と言いかけたところで頬に湿り気のあるざらざらした感触が走った。


「⁉」

「っ‼」


 ほぼ同時に声が上がった。俺は慌てて身を引き、目を白黒させてフィルさんを見つめる。

 アニマは柳眉を逆立て、威嚇するようにフィルさんを見つめていた。

 匂いを嗅いでいたと思っていたフィルさんが何を思ったか、俺の頬をぺろりと舐めたのだ。

 美人にやられたら嬉しいとか言う問題じゃない。何をしているんだこの人は。


「変わったニオイと味がするのう。機械人形マテリアルともヒューマノイドとも違う。不思議なわっぱじゃ」


 俺とアニマの視線をさして気にする素振りも見せずに、小さな唇に人差し指を添えてうーんとなにやら唸っている。

 何、ヒューマノイドに味とかあるの? アニマは別に無味無臭だったぞ。いい匂いはしたけど。


「じゃが……嫌いじゃない(・・・・・・)


 そう言って、フィルさんはにやっ……と妖しく笑った。ぶるりと全身が震える。

 今の言いようのない悪寒はなんだ? まるで何か(・・)を警告するような―――。


「してヒトマとやら。儂に一体何用であったのじゃ?」

「あ、いや、俺の用事はまさしくそれです」


 妖しい笑みを浮かべていたのはほんの一瞬。すぐに表情を戻して問いかけてきた。

 一瞬反応が遅れたが、当初の目的を思い出し、言いながら空になった白の食器に目を向ける。


「……リョウリか?」

「ヒトマ様は『神の雫』の機能が著しく低下しています。定期的に食事を取り、動力を得ねばならないほどに」


 正確には料理ではなく、俺が食べられる食材と言うのが正しいだろう。

 しかしそれをどう伝えればよいのか言いあぐねていると、またしてもアニマが助けてくれた。

 マジ天使。結婚しよ。


「それはまた奇妙じゃな。何故転生しない?」

「それは……」

訳あり(・・・・)と言う事か。成る程、得心した。しかし、もう一つわからぬことがある」


 フィルさんの言うことは最もだ。本来ヒューマノイドは自身に深刻な影響を与える障害が出た場合、古い肉体を捨てて新しい肉体へ生まれ変わる転生を行う。

 成長に時間を要することになるが、そうすることで生活、及び戦闘に備えると言うことが常識として成り立っていた。

 しかし俺は『神の雫』なるものを持っていない普通の人間。そこをどうやって誤魔化すかが最大の難関になるのだが、フィルさんは自己完結してくれたようで、深く追求してくることはなかった。

 ほっと一息吐いたのも束の間、フィルさんはスッと目を細めて出会い頭に見せたあの(・・)威圧を纏ってアニマを見据えた。


「お主は何者じゃ? こう言ってはなんじゃが、儂の蹴りを受けて破壊されぬなど並大抵の硬度ではない。見るにお主らはFランク。有り得ぬぞ(・・・・・)?」


 俺はランクによってどれだけ力が変わってくるか知らない。

 しかし、フィルさんがどれだけの力を持っているのか見せられずとも本能が理解する。

 彼女は強い。恐らく俺が見てきた中で誰よりも、何よりも。

 自信過剰に思える発言も、それだけの力があると自覚しているからこその発言。

 アニマは何も答えない。ただじっと、強い意思を宿した瞳を真っ直ぐ注いでいる。


「しかし食事を必要とする―――まさに人間じゃの。これは愉快じゃ」


 ふっと威圧感を解き、かかっ、と快活に笑うフィルさん。どうやら詮索するつもりはないと言った心境の現れなのだろう。

 しかし辺りを包む空気は重い。口を閉ざしてしまった俺たちを見て、フィルさんは慌てて身振り手振りで警戒を解こうと話し始めた。


「……あ、う、うむ。別に追求するつもりは毛ほどもないから安心するといい。儂も久々に話し相手が見つかったし、美味いリョウリも食せた。充分すぎるほど満足したからの」

「てことは……」

「うむ。儂にリョウリを教えると言う条件付きであれば、儂の食材を使う事を許可する。それともう一つ、ここに住め」


 心の中でよっしゃ! とガッツポーズしていた俺だが、最後に聞こえた言葉に耳を疑った。

 聞き間違いでなければ、ここに住めと言ったような……。


「え? 今なんて言いました?」

「これをなんと言ったのかの……そうじゃ、住み込みあるばいとじゃ!」


 腕を組み、しかめっ面でうんうん唸るフィルさんの姿を見て不覚にも可愛いと思ってしまった。

 見た目はホント10歳くらいの少女なんだよね、この人。多分俺より年上なんだろうけど。いや、俺のほうがお爺ちゃんか。なんせ100年以上も前の人間だしな。

 そんなフィルさんから捻りでた言葉は聞き覚えのある単語だった。


「バイト?」

「そうじゃ。お主が儂にリョウリを教える。その対価として儂の食材を使う。悪い条件ではなかろう?」


 まさにギブアンドテイクの関係か。サラリーマンだった俺としてはその言葉は非常にすんなり受け入れられる。

 料理を教えるバイト代として食料を提供してもらえる。しかし、なぜ住み込みなのだ。まぁ、あの廃墟同然の倉庫より綺麗な建物だけども。


「いや、フィルさんの都合はいいんですか? その、俺男ですよ?」

「なんじゃ雄の本能が強いのか主は? 乳繰り合いたいのであればいつでも構わぬぞ。儂の体が雌として魅力があるかは知らぬが」


 そう言うや否や、フィルさんがぺろんとチャイナドレスの裾を持ち上げた。

 ややむっちりとした肉質の白い太ももの付け根辺りまで露出したところで、視界がぶれた。


「ごっふぁ⁉」

「フィ、フィルリンク様! ご冗談はやめてください‼」

「いや、冗談ではないんじゃが……なんじゃ主ら番い(・・)か。これまた愉快じゃのぉ」


 強風に吹っ飛ばされた紙のように俺の体が真横に吹っ飛んだ。

 アニマの掌底が俺の横っ面を的確に捉え、吹っ飛ばしたのだ。

 当然俺は受身も取れることすらできずに椅子を薙ぎ倒しながら激しく床に転がった。

 なにこれ超痛い。いや冗談抜きで死ぬってマジでこれ⁉

 床で蓑虫のように激しくのたうち回ってる俺の耳に、フィルさんのかっかっか、と奇妙な笑い声が届く。


 俺は全然面白くない! つか超痛い助けて死ぬ!

 苦悶に呻く俺の声が届いたのか、アニマが漸く自分が何をしたか理解したのか目を回してすっ飛んできた。

 ごめんなさいと呪詛のように繰り返すアニマの腕に抱かれ、俺は静かに息を引き取った―――。なんて冗談言える場合じゃないくらいに脇腹が痛い。


「まぁ、主らがよければの話じゃが」


 その声は痛みの中でも不思議としっかり届いた。痛みで歪む視界をそちらに向けると、フィルさんが穏やかな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

―――どうする? と試すような視線。しかし、俺には断る理由も必要もない。フィルさんの力がなければ、俺はアニマと共に生きていけないのだから。


「……じゃあ、お世話になります」

「決まりじゃの。かかっ、これで儂の覇道への道が一歩近づいたわ!」


 床に横になった状態でぺこりと頭を下げると、フィルさんが例の笑い声を上げてくるくる回って踊りだした。

 その反動でドレスの裾がふわふわとめくれ上がったりするもんだからついつい視線がそれを追ってしまう。

 ほう、黒のレースか。見た目は幼女の割に派手なものを穿いている。などと視姦に勤しんでいると、みしっ、と骨が軋む音が聞こえた。


「ヒトマ、様?」

「あ、アニマ? 違うんだ、これは男であれば誰しもが―――」


 満面の笑顔。しかし目は完全に座っている。みしみしと頭蓋骨が軋む音が徐々に強まっていく。

 アニマはこくりと一度だけ首を縦に振り、俺の頭を胸の中にすっぽり収まるように抱き、しっかりと腕を回した。

 えも言われぬ至福感に包まれていると、頭上から死刑執行を言い渡す天使の声が届いた。


「私以外の方にご興味を持つなんて、いけないお人ですね。うふ、うふふふふ……」

「アニマさん? ちょ、柔痛いんですけど」

おいた(・・・)をしないよう、僭越せんえつながら主君に諫言かんげんさせていただきますね?」

「ちょ、アニ……いっだだだだだだだだだだぁ⁉ マジで痛いって砕ける砕ける砕ける‼ あぎゃあああああああああああああああああああああッ‼」


           ◇


「ここを好きに使うといい。どうせ儂以外住んじゃおらんのじゃから勝手に弄ってくれて構わぬ」

「あ、はぁ……」

「なんじゃ、何か不満か?」

「いえ、相部屋……ですか」


 テキパキと部屋の案内をしてくれるフィルさん。風呂トイレ付きとは俺にとっては願ってもない条件の物件だが、どうも腑に落ちない。

 そう、アニマと同室なのだ。俺とアニマの関係をどう説明したら良いか頭を悩ませるが、どうもフィルさんは勝手に自己完結する嫌いがあるらしく、ぽんぽん先に進んでいく。

 深く追求されればされたで返答に窮することが多いので助かっているのだが。

 

つがいなのじゃからそのほうが都合が良かろう。風呂はそこ。かわやはそこじゃ」

「厠?」

「便所じゃ。主は必要じゃろう?」

「―――っ」

「食事が必要ともなれば排泄も必要なのじゃろう? 詳しくは聞かぬがそのうち話してくれれば良い。儂は無理に聞き出すことは好まぬ」


 心臓が止まるかと思った。一瞬俺が人間であることがバレたのかと思って血の気が引いた。

 しかしフィルさんはわかっておる、と言いたげにかかっ、と快活に笑った。


「ありがとう、ございます」

「ふふ、お主も変わった奴じゃの。さっきの件、アニマの体に飽きたら儂を使っても構わぬぞ?」

「フィルリンク様? 聞こえておりますよ?」


 感謝の意を込めて頭を下げると、フィルさんは腕を組んでうんうんと何度も肯いていた。

 何か珍しいことでもしているのだろうか? そうであればアニマがさりげなくフォローしてくれるはずなんだが。

 と言うか今なんつったこの人。さらっと流したがとんでもないこと言ってなかったか。

 背後から殺気を感じたので振り向くと、ものっそいいい笑顔のアニマが蜃気楼のようなものを纏っていた。


「おっと怖い怖い。それでは邪魔者は退散するとするかの。あ、そうそう」


 本気で怖いと思っているかどうかは本人にしかわからないが、意地の悪い笑みを浮かべてひょいひょいっと俺たちの根城になるであろう部屋から出て行く。

 扉を閉める寸前、何かを思い出したようにひょこっと顔だけを覗かせて、


目合まぐわうのは構わぬが、儂に聞こえぬようにな。睡眠を邪魔されるのが一番嫌いじゃからの」

「げふっ⁉」

「フィルリンク様‼」

「かかっ、それではの」


 最悪な爆弾を投下して本当に退散していった。

 残された俺たちは気まずい沈黙が残り、まともに目を合わせられなかった。

 気を紛らわすために部屋を見回してみるが、割と小綺麗な造りだった。

 定期的に清掃しているのか、床には目立った汚れやゴミは見当たらない。

 ヒューマノイドでも環境を気にするのか、と新たな疑問が浮かんだ。


「……暇だ」

「あの、フィルリンク様の言う通りではないのですが……私をお使いになりますか?」

「いやなんでだよ。俺は猿じゃないんだぞ」


 美人のお誘いは断らない主義だ。誘いが来たことすらなかったけど。

 それでも今はそんな気分じゃない。丁重にお断りしておく。


「そう言えば、何か大事なものとかなかったの?」

「あそこには何もありません。ただ身を隠すための場所でしかないので」

「そう。ならいいけど」


 いきなり住む事になったわけだから当然着の身着のままの状態。

 あの倉庫に貴重品などおいてあるのかと思ったが別にそんなことはないらしい。

 即答で返されて気が抜ける。立っているのもなんだったのできちんと整頓されているベッドに腰掛ける。

 ふわりと弾力のあるベッドはアニマの家のベッドよりもずっと上質なもののようだった。

 出張先のホテルをなぜか思い出した。仕事詰めで死にそうだったけどな、あの時。


「ヒトマ様」

「ん? 何?」


 俺の名前を呼ぶアニマがそっと隣に腰掛け、柔らかく微笑む。

 こうして至近距離で見つめ合うとやっぱ緊張するな。


「ヒトマ様のこと、聞きたいです」

「俺の? 何を聞きたいの?」

 

 俺の事を聞いてもつまらんと思うぞ。だってクズだし。


「ヒトマ様のいた時代のことです。どんなものがあったのか、すごく知りたいです」

「あー……つまんないよ。多分」

「そんなことないです。よければ、ですが」

「じゃあ……」

 

 目をきらきらさせながらすすっと擦り寄ってくるアニマ。近い、そして理性を刺激する甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 アニマの民族衣装のような服は襟ぐりがすごく緩い。少しでも前かがみになったり、上から覗けば見えるのだ。おっぱい。黙れ。

 聞かせて聞かせてと犬のようにぶんすか尻尾を振っておねだりしているように見えてしまうアニマに、俺は仕方ない、と頬を掻いて話し出す。

 しかし、何から話したものか。よし、まずは会社と言うものが如何に黒いものか教えてやるとしよう。

 課長! 資料出来ました! あっそう、じゃあ次これね。佐藤、今度の営業の資料。おっ、サンキュー国栖! じゃあこれも頼むわ!


 一を終われば二を要求。三四がなくて、五に三倍。なんだこれ終わらないループ。ちなみに佐藤は後輩で営業だ。敬語使えよボケ。

 てな感じでアニマに会社がなんたるかを教える。大半愚痴だけどね、気にしない。

 話に夢中になっている俺たちは気付いていなかった。

 すぐ傍で聞き耳を立てる幼女の存在に―――。


「ほぉ……なかなか面白い事になっておるではないか。かかっ、やはり世界は面白いのぉ」

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