蛇の詐欺師の“人助け”
詐欺師とは。
――そのものずばり、嘘をつく者のことだ。
***
チェルニータは半泣きだった。ほとんど“全泣き”と言っても良かったかもしれない。とにかく視界が潤む。涙をたっぷりとたたえた瞳では、景色がぼやけていた。
チェルニータはつい最近“冒険者”になるべく家を出た、ひよっこ魔導士だ。冒険者にはお馴染みの職業の“魔導士”は、簡単に言ってしまえば魔法使い。そこに火種がなくとも火の玉を作り出せてしまうし、砂漠でも清廉な水を生み出すことが出来る。高位の魔導士ともなれば晴天のもと、雷を落とすことが出来るとも聞いている。チェルニータはその超状現象的な力に憧れて“魔導士”となった。
――しかし、ひよっこの彼女に出せる魔法は、爪の先に灯せるほどの火だ。冒険者に成り立ての彼女の生活もまた、爪の先に灯をともすようなものだった。非常にわびしい。
(こんなことなら家を出なきゃよかった……!)
チェルニータは今、死にそうになりながら夜の町を駆けている。追われているのだ。それも屈強な男どもに。
田舎娘のチェルニータは全く全然これっぽっちも知らなかったことだが、冒険者とは普通同行者を募るものらしい。単騎――ソロ、一人でうろつく冒険者はよほど腕に自信があるか、頭がおかしいかのどちらかだと。
何故かと言えば危険だからだ。冒険者らしく未開の土地に行くときにも同行者がいれば心強いが、この“同行者”というのは精神的なもの以外の安全も保障してくれるものだった。
例えば、である。
チェルニータのような“魔導士”はほかの職業の“戦士”や“獣使い”、“騎士”みたいな者より遙かに打たれ弱い。冒険者は一般的に打たれ強いと専らの噂だが、魔導士やら治癒士なんかは間違いなく一般人レベルだ。簡単に言ってしまえばその辺の人間と変わらない防御力しかない。そのかわり“魔法”なんて不可思議な力を使えるわけだが。
そんな人間がふらっと出歩いていたときに心配されるべき事柄が“追い剥ぎ”だ。冒険者稼業はどうにも博打的で、仕事で一山当てたら一夜にして大富豪になることもあれば、ヘタな仕事でその後の一生につきまとうような怪我を負うこともある。しかしながらひよっこでもない限りはそこそこ財布が潤っている者がいるのも事実。ゆえに、強盗に遭いやすいのだ。そんなときに同行者がいれば狙われにくくもなるし、狙われたとしても撃退できる可能性が高くなる。――というか、強盗をする者も大半は冒険者崩れの者だったりするので、冒険者くらいにしか撃退できない。
さて、チェルニータはひよっこの新米魔導士だ。しかもうっかり単騎で夜の町をふらついていた。
結果。
案の定、強盗に目を付けられたのだ。――しかも、運の悪いことに強盗団に出くわしてしまった。
今更ながらチェルニータは自分がどれだけ無知で無防備だったかを思い知り、そのツケとして体力不足にも関わらず夜の町をかけずり回っている。しかしそれももう限界に近い。
田舎娘のチェルニータにだってわかる。
こんな暗い夜に破落戸に捕らえられた娘が、どんな目に遭うのかくらい。
全財産を追い剥ぎされるくらいならまだましだろう。服まで追い剥ぎされた後の事の方が大事だ。どうみてもひよっこでろくなローブも身につけていない、金のなさそうなチェルニータを狙う理由はそこにこそあるのだろうから。
誰でも良いから助けてほしいと、この犯罪行為から誰か救ってくれないかとチェルニータは涙をこぼした。無知とは罪深い。チェルニータは己の不運と己の無知を呪った。呪うことでこの状況から逃れられるのなら、いくらだって己を呪うつもりだった。
彼女は土地勘もなく、どんどんと裏路地のさらに深いところにまで追いつめられている。それに気づくのにも時間を使ってしまった彼女は――ついに、逃げ場のない行き止まりへと追い詰められてしまったのだ。人生もドン詰まった。もう精神的に死んだ。むしろ一息に殺してくれ――チェルニータは欲にまみれた男たちを目にして、本当に心からそう願った。最悪の場合は舌を噛みきって死のうと、彼女は口の中の舌に歯を当てる。
あとは“特殊性癖”をもっていないことを祈るしかない。じりじりと追いつめられる彼女は、熊みたいな体格をしている男に詰め寄られる。顔は豚そっくりだった。これはこれで複合生物みたいだとも思うが、悲しいことに中身は人間である。人間故にチェルニータは命以外の心配をしなくちゃいけない。
男の手が伸びてくる。豚そっくりの顔が近づいてきた。人なのだからせめて猿に似ていてほしいと心から思った。
もうダメだとチェルニータは舌に当てた歯を思い切り押し当てようとして――
「なにやらかしてるんですか、そこの人?」
一瞬にしてチェルニータと強盗の間に“落ちてきた”青年は、戸惑いも遠慮もなく男の顔を蹴り飛ばした。蛇のようにしなやかな体は男の顎を正確に狙った蹴りを繰り出し、チェルニータに背を向けて破落戸たちの前に立ちはだかる。チェルニータには彼の星のような金髪しか目に入らない。どこの誰ともわからぬ青年が自分を助けてくれている――それだけで膝から崩れ落ちそうになった。自分で舌をかみ切らなくて済んだのが何より嬉しい。田舎娘は痛みに慣れちゃいないのだ。
「そろいも揃って醜悪な面構え。生きてるのは楽しいですか? そんな顔に生まれついてしまったら、俺は鏡を見た瞬間にショック死しそうです。あ、――鏡って見たことあります?」
――こんな場合でいえることではないのだが、すごく失礼な青年だなとしみじみしてしまった。顔の造作が酷かっただけでこの言われようだ。
チェルニータを囲んでいた男たちも呆気にとられている。そりゃそうだろう。出会い頭にこれまでこき下ろされてしまっては。面食らわないのは余程の冷静な人間か、失礼な対応になれているか、もしくはそういう罵倒が大好きな人か――だ。そのどれにもチェルニータはなりたくない。
「月夜の夜にこんにちは! この満月は俺の美しさを引き立ててくれていますが、一方で残酷なまでに君たちの醜さも照らし出してくれているようですね?」
「何だお前……」
途方に暮れたような声だ。明らかに変なのに絡まれたぞと言わんばかりの声だ。チェルニータもさすがに少々強盗たちに同情した。降りてきた青年はまるで自分が舞台俳優かのように振る舞っている。別にそれは構わないのだが――。
「俺? 俺ですか? 希代の美青年です」
――自分で言うか?
都会には変な人がいるもんだなあとチェルニータは複雑な思いになってしまう。変な話、都会にも興味を持って冒険者になったはいいけれど、都会にはこんな人ばかりなのだろうか。人知れず不安になる。
「何だお前――蛇の動物人間か?」
「アニマリアン? 違いますよ、蛇の怪物です」
動物人間とは、簡単に言えば動物の特徴を持った人間のことだ。犬なら犬のような顔つきだったり、犬の尾を持っていたり、耳を持っていたり。人によって程度は違うが見た目に少し“動物”の要素が混じる。身体能力はその“動物”に準拠したものになる――とチェルニータは知っている。田舎の方に行くと、結構そういう人が多いのだ。彼らは大抵の人間より丈夫だったり、力持ちだったりするので――農業にはぴったりである。
彼らは普段、獣民などと呼ばれている。
けれど、彼らを動物人間というときは侮蔑の意味を込めている、というような話をチェルニータは聞いたことがある。彼女の出身の村ではまず聞くことはない言葉だから、侮蔑を込めて発されたそれを聞いたのは今が初めてだ。
しかし目の前の青年は自らを蛇の怪物だといった。蛇の怪物といえば“実在していた幻の存在”であり、国一つくらいあっさりと滅ぼせたかもしれないモンスターだと聞いている。ただし、今はもうその姿を見ることはない。
「金色の瞳がその証明ですよ」
「メドゥーサが生きてるわけねェだろ。アニマリアンがよく言うぜ――」
まあ確かに、と青年は場違いに笑う。なんだか薄気味悪かった。
良くも蹴ってくれやがったな、と血反吐を道に吐いた男に「行儀が悪いなあ」と青年は笑いながら剣を構える。こいつ剣士か、と強盗は舌打ちをしながら懐からナイフを取り出して青年につっこんだ。危ない、とチェルニータが叫ぶのと同時に、青年の手のひらから勢いよくふき出た水が男の顔面を直撃した。へぶっ、と妙な声が宵闇に響く。
「おやおや、水でもかけたら水も滴るいい男になるかと思ったのだけども! これはぬれた溝鼠だなあ。同じ濡れた動物でも雨に打たれた子犬はかわいいのに。君は豆で撃たれた鳩みたいな顔をしている」
「お前――魔導士か!」
さてねえ、と青年はからかうように口にしたけれど、チェルニータはどきどきとしていた。今のチェルニータには水の玉を五、六個宙に浮かせるくらいが関の山で、だからこそ目の前の青年がどれほどの魔法の使い手なのかもよくわかる。間違いなく高位の魔導師だろう。
「魔導士なんか打たれ弱いことで有名なんだ! 囲んで袋にしちまえばぐずぐずだぜ!」
「その言葉、そっくりそのまま返そうか」
声だけでも青年がにたあ、と笑っている様子が手に取るようにわかる。もしかしたら助かるのかもしれない、とチェルニータはどきどきと早鐘を打つ胸を押さえた。
青年は一度、ワルツでも踊るかのようにその場でくるりと回ってみせる。今までは青年の背中しか見えていなかったチェルニータだが、青年が回って見せたことで彼の顔がちらりとだが確認できた。月明かりに浮かぶ顔は、確かに自分の容姿に全幅の信頼を置いてしまうくらいに美しい。ただ、顔にはところどころ蛇の鱗のようなものが浮き出ていたし、彼の瞳は自ら言っていたように蛇のごとき金色だ。しゅっと細く黒い瞳孔が、蛇を思わせるには十分すぎた。獣民だ、とチェルニータはつぶやく。
「月夜に狩るのはふくろうの役目なんだけどねえ?」
そう言いおいて、重さを全く感じさせない動きで高く跳躍した青年は、男の後ろに並んでいた破落戸たちを華麗な剣捌きで次々に斬り伏せている。あれこの人魔導士じゃないの――? そう思ったチェルニータだが、馬鹿みたいに綺麗なその動きに魅了されていた。月並みだが、踊っているような動きだったのだ。
「はーァ、弱い弱い! まあ俺が相手なら仕方ないですかね!」
「な――なんだお前!」
チェルニータは今夜だけでこの男の「なんだお前」を三回は聞いている。その中でも一等戸惑っていたのが今発された「なんだお前」だろう。
魔導士なのに剣士並の剣捌きのこの男性は、チェルニータにとっても謎だ。なんだお前と聞きたくなる気持ちは良くわかる。
対するこの青年は、いっそ道化みたいな笑みを浮かべ、剣についた血を振り払って、ひどく穏やかに「詐欺師ですよ」と当然のことのように微笑んだのだった。
詐欺師。
その場の空気が一度固まった。
青年は続けて柔らかく微笑むと、「犯罪者じゃあないですけどね」と剣を納める。この場に立っているのはチェルニータと青年、破落戸のリーダー格らしき男のみだ。青年は一人であっさりとこの場を制圧した。
その意味をチェルニータは理解して――頭を抱えた。
詐欺師、とは人を騙す人間をさす。月の光を受けて金色に燦々と煌めく金髪は神々しいが嘘くさい。つやりとした光を返す鱗もまた、作り物臭い。――が、おそらくこれは本物だろう。青年は“犯罪者じゃない”と口にしたから、それは冒険者の職業としての“詐欺師”だ。
冒険者としての詐欺師は、ある意味最強で、ある意味最弱だ。“詐欺師”は周りの者を全て騙し通せる力を持つ。詐欺師が“魔導士”のように振る舞えば魔法も出るし、“剣士”のように振る舞えば剣だって扱える。嘘――詐欺――を現実のものとする、まさに万能の職業だ。
しかしそこには大きな弱点がある。詐欺師は詐欺師と知れたときから詐欺を働くことを許されなくなるのだ。つまり、魔法も剣も扱えないただの一般人となる。詐欺師が最強でいられるのは、己の嘘を見破られる前までなのだ。だから、多才に恵まれた冒険者には「お前、詐欺師か」と聞くのが一般的だったりするし――ジョーク的な意味で問うこともあるが――調子に乗って自分の手の内、つまり詐欺師故の多彩さを披露すればすぐに見破られてしまうというやっかいな職業だったのだ。
しかも、一度正体を見破られた相手には今後一生詐欺を働くことを許されなくなる。嘘吐きに二度も騙される馬鹿はいない――つまりはそういうことだ。
その致命的とまでいえる種明かしを、目の前の青年はやって見せた。つまり、今までの魔法や剣捌きのすばらしさも全ては“詐欺師”の能力によるもので、彼はこの瞬間にそれを全て捨てたのだ。何の意味があってやったことなのかチェルニータにはわからないし、助けてもらっておいて言うのもどうかとは思うが――馬鹿やろう! と叫びたくなる。
「ほーぉ、なるほどなァ? 蛇の動物人間なだけあるぜ」
「それほどでも――しかし俺は蛇にありながら実直です」
「馬鹿なだけだろうが!」
一般的認識において、蛇の獣民は“狡猾”だと言われている。故にその賢さを活かす“詐欺師”という職業を選ぶことが多いとも。だが――この青年はその狡猾さをどこかにおいてきてしまったとでもいうのだろうか。愚直ともいえる素直さというか、馬鹿さを発揮してチェルニータの目の前の大男に爆笑されている。
チェルニータも吹き出しそうになったが、笑い事ではない。いっそ自分だけでも逃げてしまおうかと思った。チェルニータは村でも有名なほど臆病な娘である。なぜ危険が付き物の冒険者になったのか。今となっては本人すらこの選択の愚かさに嘆いているところだ。
「馬鹿? ――さて、それはどうでしょうかねえ?」
「蛇なんざかっ捌いて干物にしてやる!」
相変わらずダンスを踊るような動きをしながら、詐欺師の青年は破落戸に近寄っていく。先ほどまでは優雅に見えたそのステップも、種明かしをされた今となっては酔っぱらいの千鳥足に見えないこともない。彼が詐欺師である以上、もう彼は“嘘”をつけないのだから。
ぶっ潰してやる! と見た目通り物騒な声を上げ、青年につかみかかっていった男の体は虎のように獰猛に青年へと飛んでいき、ネズミのように非力に壁に打ち付けられた。
「豚は捌けるかなあ」
青年は平然とそこに立っていた。ぱんぱん、と男を吹っ飛ばした足を払ってから、「お怪我はありませんかね?」などと軽くチェルニータに聞いてくる。何が起こったのか彼女にはわからなかった。彼は詐欺師であるはずなのに――その攻撃力は衰えなかったのだ。
「あなた、詐欺師だって」
「ええ。詐欺師ですよ」
「じゃ、じゃあなんで――」
「詐欺師ですからね。ペテンにかけることくらい朝飯前って奴です」
「え?」
彼の言いたいことはつまり、職業じゃない詐欺師になら、職業としての詐欺師をまねることくらい余裕ですよ――といったところなのだろうか。しかしそれには剣士並の剣捌きでありながら魔導士並の魔法の腕を持たねばならないという事で、そんな人間はまずいないはずだ。神話上の怪物だとでも言うのなら話は別なのだろうが。
――チェルニータの頭からはすっかり抜け落ちていた。彼がメドゥーサだと名乗ったことが。
「まあ、ご無事で何より」
「あ、ありがとうございました」
宿屋まで送りますよと青年は極めて紳士的に口にして、それから「こんな夜に一人であるいていたら危ないと思いますけどねえ」とのんびりチェルニータを見る。
「君みたいに純朴そうなお嬢さんは、俺みたいな奴に狙われることくらいよくあるってのに。――ねえ?」
ちろり、と蛇らしく長い舌が唇をなめる。
た、助けてくれたんですよね――とチェルニータの声は震えた。青年は胡散臭く微笑んでから、決まっていたようにある言葉を口にする。
「――詐欺師ですからねえ。ペテンにかけることくらい朝飯前って奴ですよ」
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物好きの“蛇の怪物”の青年が、とある田舎娘に一目惚れしたあげく、半ばペテンにかけるような方法で恋人にした――そんな話が、とある国の“詐欺師”たちの間では使い古された話のネタとして残っている。