『地上』
学校からの帰り道。
夕日に沈む、宙の街。
宙に浮かぶ地平線はどこまでも続き、くすんだ太陽は遥かビルの谷間へと消えて行く。
気温はほんの少し肌寒く、
この長い髪を軽く揺らす程度の心地よい風が時折吹く。
余り人には通じない説明だが、
この気候は昔世界に存在したという季節。
私の名字にある、『秋』というものに良く似ているという。
異なる点を挙げるとすると、それは空気だろうか。
秋というものの空気は、空と共にとても澄んでいたという。
秋空に暮れ行く夕日は一切のくすみも無く、それはそれは美しいものだったそうだ。
ふと、夕日がちらつく路肩を見遣る。
目に映るのは、緩やかに流れる朱に染まった細い川。
川とは普通地中を流れるものだが、所々このように地上に顔を出す場所がある。
最も、昔はこのようなものは用水路などと呼び、
山から海へと、地表を流れるものを川と呼んでいたらしい。
私の名字にある『沢』も、この川の種類の内の一つを表す言葉だったそうだ。
一般的には、余り川幅の無い、山中に存在する比較的川の湧き水に近い地点を指していたらしい。
人の手が一切、或は殆ど加えられておらず、
生命に溢れ、水中の魚類、両生類だけでは無く、
その畔は、植物、虫、鳥類、哺乳類、爬虫類。様々な動物達の拠り所だったという。
そんな沢に生きる物達の中でも、特に人気を博したのが、私の名前。
『蛍』という、腹部を光らせる事の出来る虫だったそうだ。
異性を求め夜ごと煌めき、舞い踊る蛍火の群れは、さぞ美しかったことだろう。
私の名前、秋沢蛍は、
全て人が捨ててきたもので容作られた、酷く幻想的な名前だ。
今、この地上はその全てが人の手により管理されている。
犯罪に手を染める人間が一切存在しない程に恵まれており、
食糧、生活用水、電気の類いに困ることは万に一つとして無い。
人の住む地域は常に晴れ渡り、川の始点となる人工湖にのみ常に雨が降る。
季節は無く、気温、湿度は常に一定。
台風、地震に代表される天災は、既に過去のものとなって久しい。
そして、愛玩動物を除く、虫等大多数の人間が不快感を催す生物。
その殆どが、この地上には存在しない。
人間が生きる上での理想郷である事を目指し造られた世界。
それが、私の生きる『地上』という世界だ。