春の一 1
牛蒡を拾った。
農民らしい日に焼けた肌と、やせっぽちの身体を持つ彼女の第一印象は、そういうものだった。
出会いは、恒例の町への炭売り。
前を歩く、牛蒡みたいな女の子の尻を見ながら、春一はのらりくらりと歩いていた。
許可証なんて、持ってないんだろうなあ。
そう思いつつも、とりあえず目は尻に固定している。
肉付きが足りないと、勝手に見ている側のくせに、文句を思い浮かべていた。
案の定、彼女は門の前で門番ともめ始めた。
外村の貧農の子が、その窮状を役所に訴えようとしているのだろう。
それくらいは簡単に見て取れたが、途中であきらめて帰ると思っていた。
もしくは、門番の下卑た要求に泣く泣く応じるか。
後味が悪いねえ。
春一は、どっちにせよ胸の悪くなる光景だと眺めていたのだ。
なのに。
突然、少女の全身が怒りに燃え上がったかのように、彼の目には映った。
あきらめるでもなく、身を渡すでもなく、少女は怒りの炎を纏ったまま、槍の先に飛び込もうとしたのだ。
ちょっとまったぁぁぁ!!!!
おかしいから!
怒ったのに、そういう行動に出るのは、違うでしょおお!!!
もう、ほとんど反射だった。
玄人芸人の突っ込みよりも的確に素早く、春一は飛び出して彼女に手をかけていたのだ。
気が付いたら、その軽い身を引き戻しながらすっ転ばせつつ、突き出される槍の穂先をへし折っていて。
そして。
あー。
目立たず騒ぎを起こさず暮らしていた彼は、それが一瞬にして瓦解したのを知ったのだ。
やれやれ。
振り返ると、地面にへたりこんだまま、驚きで怒りも引っ込んでしまった牛蒡娘がいた。
「怒りは、そんな風に使うもんじゃないよね」
それが、千秋という少女の存在を認めた、一番最初の出来事だった。
※
『糸目先生』もしくは『先生』
それが、彼女が春一を表す時の言葉。
名前を聞かれてないので、教えていなかった。そのせいか、いつの間にかそんな呼び名で定着してしまったのだ。
主に『先生』と呼ぶのだが、あんまりエッチな嫌がらせが過ぎると、まれに『糸目先生!』と呼ぶ。
そんな少女と、春一は一緒に逃亡の旅をしている。
内町に入ることもせず、時折通りかかる外村で、農作業の手伝いなどをしながら食いつなぎつつ進んでいた。
農作業の手伝いをするのは仕事に慣れている千秋で、春一はというと、農民の歪んだ身体を整体などで整えてやる方が性に合っていた。
農民の身体は、朝から晩までいじめ抜かれていて、面白いほどにぱきぱきと音を立てる。
腰痛に苦しむ者も多かった。
千秋は働き者で、ちょうど収穫期の今は重宝されている。
しばらく住み込みで頼むと言われ、納屋まで借りることが出来た。
ここの村長はまだマシなのか、彼女のいた村ほどひどくはない。
よそから来た二人を食べさせるくらいは、何とかなっているようだ。
「先生、上掛け借りてきました」
古い綿入れの着物をひとつ、千秋が抱えてくる。
にこにこと明るい笑顔で差し出すそれを、春一はじっと見た後に、彼女の顔へと視線を動かした。
「上掛けは、ひとつだね」
「はい! え? あー! わ、私はわらをかぶりますから大丈夫です!」
元気よく答えてから、ようやく春一の笑顔の突っ込みに気づいたようで、千秋はわたわたと彼に上掛けを押し付ける。
「いや、それじゃ僕がひどい男になるんじゃないかな?」
一人だけ上掛けを使う男の図は、随分ひどい構図に見えるではないか。
「いえ、先生がひどい人じゃないのは、私、ちゃんと知ってますから、大丈夫です!」
必死にフォローする顔は可愛いが、どうも彼女は春一の思考と違う方向へとすっ飛んで行くきらいがある。
炭焼小屋で、修業している頃からそうだった。
一度捨てた命を、有効活用するのかと思いきや、彼女はいかにして『前向きに死ぬ』かと考えていたのだ。
そんなものは、国のために命を捨てる軍人に求められる精神であって、農民の娘である彼女が極めるべき道ではない。
なのに、千秋はその道を全速力で走っていったのだ。
出会いの槍への突進からして、彼女は随分思いつめていたのだろう。
16歳にして人生に絶望させるような国は、無駄に広い国土のせいでもある。
地方の町にまで中央の執政がきちんと届かず、それぞれの地域の町の長に預けるような形となっている。
そのため、地域によってひどい格差が生じることとなるのだ。
彼女が暮らしていた外村のように。
ただでさえ、無法者から守られにくい壁のない場所だ。
特に、いま外の農地にいる者のほとんどが、内町の出身であり、守られることに慣れていた者たちである。
何世代にも渡って住み続ければ、心も身体も頑丈になっていくだろうが、第一世代にはつらかろう。
そういう意味では。
千秋は、第二世代になるはずだった娘だ。
ひどい理由で村にいられなくなったが、そんな時代を経験しているせいか、痛いとか辛いとか口に出すのは悪いことだと思っているように見える。
更に、春一を「すごい先生」か何かだと勘違いしていた。
だから彼女は、彼に良い環境を準備しようと、がんばってしまうのだ。
そんなに、いい奴じゃあないんだけどねぇ。
きらきらの、尊敬の眼差しがこちらに向けられる度に、春一はささやかな良心が痛む時がある。
「まあ、とりあえず……一緒に寝ようか?」
渡された綿入れを広げて、千秋においでおいでと呼びかける。
「わー! と、とんでもないです!」
彼女は、面白いくらいに大きくぴょんと飛びのくと、真っ赤になって逃げてしまう。
あー。
惜しいことをしたなあと、春一は苦笑した。
やっぱ、あの時、おいしくいただいとけばよかったかな、と。