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春と秋~大神来国の少女  作者: 霧島まるは
馬丁見習い編
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愛すべき血肉 5(残酷描写有)

この話には残酷な描写があります。魚を自分でさばくのが怖い方、目の前で絞められた鳥が調理されたものを食べられない方、それらを想像するだけでダメな方などは、この話を避けることをお勧めします。

 馬をつぶす覚悟さえあれば、速く駆けさせることは出来る。


 千秋は、前方へと追いつくためにがむしゃらに馬を走らせた。


 馬質は落ちるものの、彼女に追い立てられ、馬は懸命に駆けてゆく。


 再び長い直線になり、遠くまで視界が広がると、前方の馬が団子になっているのが見える。


 おそらく『柳』も転倒により万全の状態ではなくなり、速度が落ちてしまったのだろう。追いつかれ、馬上から繰り出される攻撃を、牡丹が技術だけで持ちこたえているに違いない。


 一人、馬から蹴り落とされたのが見えた。


 千秋は、更に馬の速度を上げる。


 激しい呼吸音が悲鳴のように馬から伝わってくるが、千秋は容赦しなかった。


 この馬に、愛着はない。


 そういう意味で、千秋は牡丹とは違う戦術が取れるのだ。


 千秋は、鞍の上に両足を乗せ、膝を深く折ったまま追いついた敵の馬に横から寄せて──飛んだ。


「なっ!」


 固い膝で側頭部を打ち抜く。しかし、今度はすぐには、男は馬から落下しなかった。


 気絶しながらも、鐙に足がひっかかっているせいで、馬上の邪魔な重石となったのだ。


 千秋は、そんな男の肩を踏み台にして、強く蹴ってもう一度飛ぶ。


「うおっ!」


 更に横にいた、次の馬へと襲い掛かったのだ。


 愛馬でなければ、馬は乗り捨てることが出来る。


 走るという仕事さえしてくれれば、どんな馬でもいいのだ。


 千秋が騎馬族よりも身軽なものは──その思考だった。


 あと三騎。


 馬を奪い、残騎を確認した時、千秋は前方からの土煙を見た。


 新手による挟み撃ちかと思ったが、そうではなかった。


 そこには、鬼の形相で馬を走らせる──万人隊長の松露しょうろの姿があったからだ。


 千秋の視界で、牡丹が馬上に大袈裟に身を伏せた。


 反射的に、千秋もその真似をした。そうしなければならないと、彼女を見て思ったのだ。


 次の瞬間。


 ブゥンっと空気を切り裂く音が響き渡り、男の身体が馬から突き落とされる。


 顔面に、矢を撃ち込まれたのだ。


 すぐさま二本目の矢が、次の男を落とす。


 馬上から放たれる弓だというのに、寸分の狂いも、無駄撃ちもない。


 おそるべき弓術だ。


「うーちーのーむーすーめーにー……何してくれとんじゃああ!」


 怒号と共に、最後の男が落下した。


 まだかなり距離が離れているというのに、物凄い音量である。


 そんな化け物の後方から、もう一騎、馬が出てくる。


 あっ。


 瞬間的に、千秋はその男が誰か分かった。


 やれやれと松露をちらりと見た後、彼の顔が彼女の方へと向き直る。


 細い目のせいで、何を見ているのか分からないが、いま彼はしっかりと千秋の姿を捉えているはずだ。


 先生!


 そう大声で呼びたい心をぐっと抑えて、千秋は馬を駆けさせた。


 いま、一番速く彼の元へ駆けつけるには、それしか方法がなかったからである。


「父さん!」


「牡丹! 無事かあっ!」


 そんな親子の再会を横に。


「春一先生、『楠』が……それと、何人か置き去りにしてきました」


 千秋は、まだ片付け終わってない事項を、敬愛する男へと捧げるのだ。


「うん、分かった。一緒に戻れる?」


 そう聞かれる前に、千秋は馬首を来た道へと返していた。


「はい!」


 転倒のせいで、着物も髪も砂まみれだ。身体のあちらこちらが、今頃になってズキズキと痛み始めている。


 だが、それがどうしたというのだろうか。


 もはや、千秋がどんな状況であろうとも、負けることなどありえない。


 春一という男が、共にいてくれるのだから。


 そんな彼女の瞳に、先生は笑ってくれた。


 感情はよく分からないが、満足げなものに見えて、千秋の心は温かくなるのだ。


 そして、再び馬を駆けさせる。


 後片付けが、そこで待っていた。



 ※



 後から駆けつけた騎馬族により、生きている男たちは引っ立てられた。


 街道で彼女らを転倒させた綱は、そんな男たちを縛るのに好都合だった。


 後、千秋に残されている課題は──『楠』だけ。


 もはや、立てる見込みは無い。横たわったまま、まだもがいている大きな馬体の前で、千秋は膝をついた。


 おそらく、足を骨折してしまったのだろう。


 速く長く走れる、よい馬だった。


 そんな馬体を、彼女はやさしく一度撫でる。


「どうする?」


 敵の落とした刀を持って、先生が近づいてきた。


 優しい優しい、先生の声。


 千秋は、それに溺れたい気持ちになるが、その水から空に向かって顔を出すのだ。


「私が、やります。教えて下さい」


 自分の起こしたことの責任は、自分で取らなければならない。


 彼女がもっと聡明であったならば、起きなかったかもしれない事態。おそらく、先生であれば、こんな無様なことはしなかったはずだ。


「分かったよ」


 先生は、千秋に刀を持たせた。


 初めて持つその武器は重く、ずしりと千秋の両手に負荷をかける。


 横たわる馬の頭の後ろに先生が回ったかと思うと、予備動作なくその後頭部を蹴りつけた。


 一見、ひどいことをしているように見える。


 しかし、千秋はそれにちゃんと意味があることに気づいた。


 馬は脳震盪を起こし、暴れるのをやめたのだ。


『楠』が、痛みや苦しみを感じる時間を、短くしてくれたのである。


「ここに、大きな血管が通っている」


 先生が、静かになった馬の首を指す。


「分かりました」


 ごめんなさい──そんな陳腐な言葉を、千秋は口に出すことはしなかった。



 ※



「おう、千秋、座れ座れ」


 夜遅く、松露の屋敷では夕食となった。


 全ての後始末を終えて帰ってきたら、そんな時間になったのだ。


 普段であれば、くりやの隅で食事をする千秋だったが、今日は松露に無理やり広間に連れて来られた。そこには牡丹もいて、彼女にニヤリと笑みを向けられる。


 居心地悪く、千秋は先生に促されるままに、彼の隣へと座る。


「嫁入り前のうちの可愛い娘を、助けてくれたこと……恩に着るぜ、千秋」


 大勢の騎馬族の男の前で褒められるが、これっぽっちも嬉しくはない。


「いえ」


 それどころか、千秋の目には別の試練が映ってしまった。ごくりと、千秋は唾を飲み込んだ。


「野郎ども、今日は娘の無事の祝いと、『楠』の弔いだ。たらふく飲め」


 広間は、男たちの「おお!」という叫びに包まれた。酒が回され、あちこちが騒がしくなる。


 そんな中、千秋は膳を前に動けなかった。


「千秋、食え食え」


 松露の声が飛ぶ。


 それにようやく右手を動かし、彼女は箸を掴んだ。


 左手で、皿を掴む。


 豪快に焼かれた肉の塊が、そこには乗っていた。


 分かっている。


 松露も言ったではないか。


『楠』の弔いだと。


 だから千秋は──これを食べなければならなかった。


 それこそが。


 最後の。


 千秋の責任だった。



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