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春から秋へ 0
千秋から──手を離す。
その感触を、春一は楽しんでいた。
既に、彼女は春一の助け無しに、一人で立ち、歩き、生きることが出来るほどに成長している。
放っておいても野垂れ死ぬことはないし、それどころか、もっと創意工夫をして、新しい千秋として成長していくに違いない。
春一は、そんな『新しい千秋』を見てみたくなったのだ。
自分の手から離れ、予想だにしない方向へ育つ彼女というものを。
そう感じたら、彼は握っているこの手を離さなければならないことに気づいた。
次に握るその日を、楽しみにしながら。
嗚呼。
準備を終え、誰もいない藤次の炭焼き小屋を後にしながら、彼は己の胸を過ぎる気持ちを存分に味わった。
こんな気持ちを覚えたのは、千秋の他にもう一人だけ。
まさか、あの時と同じ思いを味わうことが出来るとは。
その感覚は、春一の中に離れる寂しさよりも嬉しさとして浮かび上がってくるのだ。
さあ、千秋。
彼は、山を降りながら、細い瞳の端で呟いた。
さあ、千秋──『ここ』までおいで。