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春と秋~大神来国の少女  作者: 霧島まるは
秋冬春編

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39/71

秋冬春 6

 布団の中で、千秋は夢を見ていた。


 先生も布団に入ってきて、彼女を温かく抱きしめてくれる夢。


 彼女が熱の余韻で大きなため息をつく度に、『千秋』と呼んでくれる夢。


 先生の匂いで、いっぱいになる夢だった。



 ※



 翌朝、千秋はケロっとしていた。


 熱が出たことさえ嘘のように、すがすがしい冬の朝だ。


 しかし、寝坊したのは間違いないようで、既に囲炉裏の鍋からは、汁の煮えるよい香りが漂ってきている。


 戸が、考えられる内で一番静かな音で開けられるのを、彼女は見ていた。


 先生が、首を竦めるようにして入ってくる。


 ああ。


 そんな唇の動きと共に、彼はこちらを見た。


 優しい笑顔が、そこに浮かぶ。


「おはよう、千秋」


 朝から。


 先生は、彼女の心を撃ち抜く。


 昨日起きた出来事は、本当にあったことなのだと、千秋に強く実感させられる瞬間だった。


「おはようございます……」


『先生』と付け足しかけて、彼女は一度止まった。


 昨日と今日とが違うからと言って、千秋にとって彼が『先生』であることには変わりない。


 しかし、いままでの彼女の認識としては、それは『糸目先生』の略称に過ぎなかった。


 彼の名を、知らなかった頃ならば、それでもいいのかもしれないが、もはや違う。


 春の名を持つ男であることは、はっきりと知っているではないか。


「お、おはようございます……春一先生」


 だんだん小さくなる声をそのままに、千秋は挨拶を言いなおした。


 下がったはずの熱が、また上がってしまうような瞬間だ。


 胸はばくばくするし、喉から口に何か飛び出していきそうだった。


 先生は、戸を閉める事なく動きを止めて、こちらを見ている。


 不快な事だっただろうか。


 心配になりながら、千秋が彼をそっと伺い見ると。


 彼は、『あの顔』をしていた。


 郷愁の果てを見る顔だ。


 その表情に目を奪われていると、先生はその顔の上で秋から春までの季節を一瞬にして巡らせた。


 郷愁の表情を一度無に変え、そして──微笑んだのである。


「その名前は、地史君にもらったものだけど……千秋が欲しいなら、あげるよ」


 先生の唇から、君の名が出る。


 同じ唇から、千秋の名も出る。


 その唇は、己の名を口にすることはなかったが、二つの名前の間を流すように、千秋の前に届けられた。


 彼女の羨望する、みっつ目の自分を持つ人からもらった大事な名を、差し出してくれるのだ。


 もしかしたらそれは。


 先生にとって、一番大切なものだったのかもしれないのに。


 代わりに。


「さて、千秋……朝餉にしようか」


 先生の表情は、春のまま。


 春のまま、秋の名を呼ぶのだ。


 それは、先生が──彼女の名をもらってくれたということだろうか。


 いまの千秋は、ただ彼の名をぎゅっと抱え込むので精いっぱいで、その疑問の答えに行きつくことはなかった。




『秋冬春編 終』






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