みっつ目の自分 2
「俺ぁ、お前が嫌いだし、こっちに来て欲しくなかったんだがな」
藤次の言葉は、首尾一貫していた。
とにかく、先生に側に寄って欲しくないようで、自分が出て行くのも持っての他なら、ここに居座られるのも御免のようだ。
ただ、いますぐ実力でたたき出すという真似はせず、外が暗くなっているのを見て、中に入れてくれるのだから、根はいい人なのだろう。
囲炉裏の側に座ることが出来て、千秋はその温かさに本当にほっとしたのだ。
寒いのを辛いと考えてはいなかったが、こうして熱の側にいると、身体は辛がっていたのだと実感する。
「そうか、じゃあしょうがないな……出て行くとするか」
そんな千秋の横で、先生は藤次ではなく囲炉裏の火を見ながら、笑みの音を漏らした。
残念ながら、ここは冬の住処にすることは出来ないようだ。
望んだ山小屋が駄目なら、あとは何だったかと千秋が思い出そうとしていたら。
「じゃあ、この山の下の町で冬越えをしようか」
あっさりと先生が、次の候補を挙げてくれる。
顔をこちらに向けて、それでいいかと確認するように見てくるので、彼女は頷こうとした。
千秋は、無理を言いたかったわけではないのだ。
ただ、先生に無理なことなどないように思えて、それならばと掴んだ選択肢である。
第二希望が内町だったわけではないが、彼が選んだというのならば、否定する理由はなかった。
そう頷こうとしたのに。
「うわあああああ! やめろおおおおお!!!!」
突然。
突然、藤次が吠えた。
これまでのどんな拒否よりも強く、いまにも先生に襲いかからんばかりの勢いで。
その音量と勢いに、千秋はびっくりしつつも身構えてしまった。
反射的に、襲われた時の態勢を取ろうとしたのだ。
昔ならば、こんな男が大声を出したら、身が固まってしまったというのに。
先生との旅で、少しずつ自分が変わっていっているのを実感する瞬間でもあった。
「わ、分かった! お、俺が内町に住む、お前たちはここを勝手に使っていい!!」
わなわなと震える両手を、無意味に振り回しながら、ひどく狼狽した様子で藤次はわめき散らす。
「そっか、じゃあここを使わせてもらうよ」
そんな彼の有様に反応するでもなく、ただ先生は投げつけられた言葉を上手に受け取るのだ。
理由は分からないが、どうやら先生は藤次の嫌なところを的確に突いたらしい。
でなければ、さっきまであれほど抵抗していたことを、覆すはずなどないのだから。
「ああああ、ちくしょおおお、ぶっとばしてぇぇ!」
心底嫌でたまらないように、彼は大きな身体をそりかえらせるようにして頭を抱える。
そんな大きな動きをするたびに、床板はみしみしと軋み、囲炉裏の火さえも大きく揺らぐ。
先生とは真反対で、無駄な動きが大変に多い人のようだ。
そんな激しい情景とは裏腹に、千秋はすっかり心穏やかであった。
事情はどうあれ、ここで先生と冬を越せることが決まったのである。
しかし。
まだ、往生際悪くうおうおと呻き続けている藤次が、少し気になった。
先生がここに住むよりも、近くの内町に住む方が嫌なんて──どうしてだろう、と。
先生自身のことは、何となく聞きそびれるままここまで来てしまって、今更問いかけるのも間抜けな気がする。
しかし、今日出会ったばかりの藤次のことならば、すんなり聞きやすい気がした。
「内町に、何があるんですか?」
素朴な疑問として、千秋はそれを先生に聞いてみた。
瞬間。
藤次の大きな動きが、ぴたりと止まる。
まるで時を止めたように、本当にぴたりと。
「ああ、うんうん……多分、町には花枝がいるんだよ」
余りに不自然な男の状態を、千秋が二度見しようとも、先生はまったく変わらない。
言葉を淀むでも濁すでもなく、ずばっと言い終えた。
先生に関する質問も、全部こんな風に返ってくるんではないか──そんな気がするほど。
「うおおおおお、ちくしょおおおお!!!」
突然、藤次の時が戻った。
千秋が、花枝なるものを理解するよりも速く、彼は上半身を激しく前後に振り立てる。
囲炉裏の灰が舞い上がる勢いに、千秋はそこから膝で少し逃げた。
そして、先生ににじり寄る。
「花枝って何ですか?」
それは、どうやら藤次の泣き所らしい。
彼に聞かれると、もっと暴れそうな気がしたので、わめき声の隙間からそっと聞いてみた。
すると。
「花枝は、藤次の思い人だよ。でも、あの子は昔から僕を好きでね。藤次は、花枝にさんざん袖にされてるのに、まだ諦めきれないんだよ」
何ともあっさりと。
先生は、彼の秘密を暴露した。
勿論、声の大きさはまったくもって普通どおりだ。
そのとどめに、ついに藤次は床にのたうちまわり始めるではないか。
ええと。
千秋は、それらにうまく反応出来ずにいた。
藤次の暴れっぷりに、ではない。
先生がさらりと言った、千秋にとってはとても気になることのせいだった。