千の秋 1
「だめだ、だめだ! 許可証を持たぬ者を、入れることは出来ん!」
ぬうと立つ門番二人は、千秋の前に立ちふさがっていた。
標準よりも小さい16歳の少女にすぎない彼女からすれば、彼らは鬼のように大きく恐ろしい者に見える。
しかし、通してもらえないからと言って、「はいそうですか」と、回れ右出来ない理由が、千秋にはあった。
「どうしても、内町のお役所に、申し上げたいことがございます。それさえ終わればすぐに出ますので、どうかお願いします!」
大男の背にそびえるのは、門。
その門の両側に広がる、高い高い石組の壁。
堅牢な壁で覆われた、守られた町。
千秋は、その中にどうしても入らなければならなかった。
粗末な着物を帯一本で縛りつけただけの、貧乏農民の末娘である彼女は、鼻緒のちぎれた草履を手に持ち、着物の裾から伸びる竹のように細く頼りない足を踏ん張って、門番の頑なな心を何とか緩めようと必死に訴える。
この国では、西と北の端の一部を除けば、多少の違いこそあれみな黒い髪と黒い目をしており、彼女もまたそのありふれた色を持つ一人だった。時間に任せて伸びただけの、何の手入れもされていない肩下ほどの髪を、紐と呼ぶにもおこがましい布地を裂いた切れ端でひとつに縛っている。
美人と呼ぶには華もなく、醜女と呼ぶには毒もなく、栄養状態が悪いため痩せ過ぎている事を除けば、何の特徴もない娘──それが千秋だった。
対する門番は、この国の軍では一般的な、鋳造された量産型の兜と鎧を身につけている。防具だけでなく、槍まで持っている。
兜のてっぺんから伸びているひれは、色あせた緑色だ。元々は鮮やかな緑で、西域を担当する軍の所属であることを表していた。
この町の治安を維持するために、中央から任を与えられた者たちだ。
彼らより身分の高い者からの命令、あるいは相当な額の賄賂でも積まない限り、彼らの心を動かすことは難しいだろう。
だが、その両方を持ち得ない千秋は、ただ懸命にお願いするしかないのだ。
「だめだと言っておるだろうが!」
すがりつこうとする千秋を、門番はいともたやすく跳ね飛ばした。
軽い彼女の身体は、まるで毬のように放り出され、地面にすっ転がる事になる。
身体のあちこちが痛むが、千秋はそれでも諦めきれない。
立ち上がり、門番にもう一度懇願しようとした時。
「これ以上、我々の手を煩わせると、本当に容赦しないぞ」
門番は、手に持った槍を構える素振りを見せた。
千秋は、さすがに躊躇した。
ここで、自分が死んでは誰が役所へ訴えるのか。
だが、引き下がっては、結局同じことになる。
千秋は、着物の袂から、手紙を引っ張り出した。
彼女の父が書いたものだ。
役所に訴えたいことの仔細が、ここに記されている。
自分が入れなくとも、この手紙が届けば何とかなるかもしれない。
「では、これを役所の方に渡してもらえませんか?」
紙を手に入れるのも難しい中、何とか用意したものである。
しかし、門番二人は顔を見合わせ、嫌そうな表情を浮かべてみせるではないか。
「軍人を、タダ働きさせる気か?」
告げられた言葉は、堂々と賄賂を要求するものだった。
人はともかく手紙は入れてやらないでもないが、タダでは駄目だと言っているのだ。
千秋は、上に立つ者の中にひどい人間がいるのは知っていた。
下の者を虐げ、踏みつけることなど何とも思っていない人種だ。
だが、そんな人間ばかりではないと、心のどこかで思ってもいたのだ。
何故なら、幼少の時に過ごした町では、偉い人の中にもいい人がいたのを見て来たから。
だが、千秋の前に立ちふさがるこの軍人たちは、平民よりほんのちょっとだけしか偉くないにも関わらず、腐りきっている。
ギリと、奥歯を噛みしめて、彼女は怒りを喉元までせり上がらせた。
次に彼らが言うことを、千秋は知っている。
「まあ、そうだな。金がないって言うんなら……身体で払ってもいいぞ」
視線が、彼女の身体を舐めるように動いた。
痩せて、凹凸など皆無に等しい彼女の、こんな鳥ガラのような身体であっても、そんな目で見ることが出来るのだ。
ああ。
どこも、同じだった。
千秋は、手紙を握りしめて怒りにわななく。
喉元でとどめていた怒りが、いまにも唇から炎のように飛び出しそうになるのを感じながら、彼女は一歩踏み出していた。
こんな世になんて。
「お金の代わりに、私の命を差し上げます……」
こんな世になんて──未練なんかない。
千秋は、門番に向かって駈け出した。
反射的に突き出される槍の先に。
彼女は。
飛び込んだ。
※
千秋の世界は、一瞬にして目まぐるしく変化した。
自分の身体が突然一回転し、鈍く激しい音と共に地面に落ちていたのだ。
地面に尻もちをついたまま、彼女はほけっとその光景を見ていた。
自分と槍の間に立つ、炭を背負った後ろ姿。
槍の穂先はへし折られ、千秋の足元に力なく落ちている。
わなわなと震えている軍人たちを放置して、その人は千秋の方を振り返った。
「怒りは、そんな風に使うもんじゃないよね」
明るくあっけらかんとした声の、糸目の男がそこにはいた。