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春と秋~大神来国の少女  作者: 霧島まるは
罪と饅頭編
19/71

罪と饅頭の重さ 5

 千秋は、ようやく新しい女物の着物に袖を通すことが出来た。


 古着屋さんに売られる直前で取り返した着物を、その店で着替えさせてもらったからだ。


 ついたての陰で着替えながら、おばさんが女にしているお説教を聞くともなしに聞いていた。


「ちょ、痛いじゃないか! 女を縛るなんて、変態だろ!」


「はいはい、僕は変態ですよ」


 そのお説教の向こう側で、先生はどうやら女を拘束しているようだ。


 馬耳東風な糸目先生のやりとりに、千秋はぷっと吹いてしまう。


「お待たせしました」


 着物を着終えた千秋は、その騒ぎにようやく参加することが出来るようになった。



 ※



「だって、あんた外の人間だろ?」


 着物の紐で縛られて動けないまま、女は予想通りの言葉が投げつけてくる。


 余りに予想通りすぎて、これ以上の尋問は必要ないと思えるほど。


 千秋は、ふぅとため息をひとつついてから、先生を見た。


 どうしたらいいんでしょう、と。


 軍人に引き渡すのは、簡単だ。


 しかし、そうなると被害について説明しなければならない。


 偽の許可証で町に入ったという後ろ暗さもあるし、町の軍人に顔をじろじろ見られるのは避けたい。


 既に手配書が回っているかどうかは微妙だが、危険な賭けになる可能性があった。


「思いつくものを、あげてごらん」


 先生は、素直に答えはくれなかった。


 それぞれの提案の先にあるものは考えなくていいという言外の意を汲んで、千秋は指を立てた。


「ひとつ、詰所に突き出す。ふたつ、二度と盗みをしないように指の一本でもいただく、みっつ、町の外に連れ出す……他になんかありますか?」


 考えられる限りを素直に挙げた千秋に、おばさんと女は青くなっていた。


 十六の小娘の口から、指をいただくだの、外に連れ出すだの聞くとは思わなかっただろう。


 おばさんにまで引かれた事実に、千秋は少しバツが悪くなった。


 先生は、苦しそうに背中を丸めて笑い出していたが。


「あはは、いい思考だ。最高だね」


 胸の中からわきあがる笑いを抑えきれないまま、彼は何度も吹き出しながら、千秋を褒めてくれる。


 先生の教えをすぐそばで学んでいるせいで、思考の方向がだんだん町の人とずれてきているのがよく分かった。


 だが、一度見た地獄の記憶は、千秋からはもはや決して消えないのだ。


 生ぬるい考え方とは、自然と無縁になっていくのかもしれない。


 ただ、おばさんのような善良な人を、虐げたいなんてこれっぽっちも思いつきはしないのだが。


「じゃあ、選ばせてあげるよ……いま、うちの可愛い子が言ったみっつの中の……どれがいい?」


 縛られて動けない女に、先生は三本の指を突きつけながら顔を近づけて行く。


 うまいなあ。


 こちらの弱みを見せないまま、先生は女にひとつしかない決断を迫ろうとしているのだ。


 千秋のあげた質問は、実質選択肢は2つしかないのだ。


 詰所に突き出されるのと、町の外に放り出されるのは、同じものに近い。


 要するに、町から出されるか、指一本差し出すか。


 その選択肢なのだ。


 女は、さんざん言葉を費やした。


 持っているお金をあげるだの、いい着物をあげるだの、先生と千秋を交互に見ながら必死に乞い願う。


 そんな言葉に、心の動く千秋ではない。


 物やお金に、執着があるわけではないのだ。


 いや、先生に買ってもらった着物や、前にもらった着物には意味がある。


 勿論、執着もある。


 しかし、それは先生にもらったものだからだ。


 この女性にもらうものに、何の意味も感じない。


 だから、ただ静かに女の顔を見ているしか、することはないのだ。


 心の動かない二人の顔に見つめられ、女は最後には泣きわめき始めた。


 心底恐ろしいように、何度も何度も詫びる。


 手もつけないせいで、古着屋の板張りの床に額をこすりつけ、反省の言葉を繰り返し、解放を乞いた。


 その余りのうるささにも動じない二人を見かねたのか、おばさんと古着屋の主人が、口をはさんでくる。


「この女のことはさ……私らが責任を持って預かるから、その辺にしてやっとくれないかい?」


「これ以上騒がれたら、商売あがったりだ。おかみさんの旦那と、きちんと相談するからもう帰っとくれないか」


 聞けば、おばさんの夫は、この町の治安を守るの軍人だという。


 この近所の人らしく、古着屋の主人とは昔からの馴染みらしい。


 千秋は、先生を見た。


 先生は、にこにこしている。


 いつも通りの笑み。


 好きにしていいよ。


 そう言ってくれているのが、よく分かる。


「では……おばさんにお預け致します。ありがとうございました」


 千秋は、そこで初めておばさんに向かって手をついてお辞儀をした。


 いい人と、悪い人に会った。


 それが、今回の千秋の収穫。


 足し引きで、結果がどうだとかそういうのは関係ない。


 人というものは、一人一人違っていて、数字では何の答えも出ないのだ。


 面倒見がよくて、お節介なくらいだが、おばさんは本当にいい人だった。


 おそらく、この山吹色の着物を見る度に、これからずっとこの人のことを思い出すだろう。


 この女は、悪い人だった。


 どんな詫びや反省の言葉も、千秋の心には何も響かない。


 いま泣きわめいているのも、自分の身かわいさのためだけだ。


 本当に詫びる気がある人間ならば、こんな言葉を駆使することはない。


 指の一本も自分から差し出せば、彼女の心も少しは動いたかもしれないというのに。


 痛いのもいや、町の外の怖いのもいや。


 それなのに、悪いことはする。


 余りの小ささに、千秋はもはや怒りの気持ちひとつ浮かびはしないのだ。


 おばさんにはお礼を、女には静かな視線を。


 千秋は、『人』を見て、見合う態度を取る。


 それが、これまでの旅で彼女が身につけてきた、心の中の土台になっていた。


 その土台の上に建てられた建物に、いくばくかの人がいる。


 屋根の一番てっぺんで遠くを見ている人は、たった一人。


「じゃあ、行こうか」


 細い細い瞳で笑う──千秋の先生。





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