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春の一 2

『あの時』


 千秋の覚悟は、分かりやすく春一に透けて見えていた。


 もし、彼が望むのならば、千秋はその身を自分に差し出しただろう。


 その申し出は、魅力的でなかったわけではない。


 彼女は、人にはない美しさがある。


 決して美人とは呼べないが、覚悟を決めてきりと前を向いた時は、目を引かずにはいられない独特の雰囲気を醸し出す。


 春一は、自分があげた着物でそれを思い知った。


 いや。


 その着物よりも、もっと前。


 門の前で怒りを纏った後姿は、まさに圧巻だった。


 春一でさえ、目を離せなかったほどのあの一瞬は、誰も彼女が農民の娘だなんて思いもしなかっただろう。


 もっと気高い、違う領域に足を踏み込んだ者のそれに見えたのだ。


 だから。


 後味が悪くても、首を突っ込もうなんて思ってもいなかった春一が、反射的に手を出してしまったのである。


 そう、彼女はとても魅力的なのだ。


 なのに、千秋は胸や尻に触られることを許しながらも、こちらに詫びめいた視線を送ることがあった。


 貧相な身体は、触られるに値しないとでも思っているかのように。


 おかしなことを考えるなあ。


 自分が触りたくないなら、春一は触らない。


 触りたいと思うから触るのだ。


 時折彼女の見せる、彼の見たことのない魂の燃える瞬間。


 それが、本当にこの細い千秋の中に入っているのか、不思議だったのだと思う。


 胸に触れば、彼女のとびきり元気な鼓動が手のひらに伝わる。


 尻に触れば、もうちょっと肉をつけないと子供を産むのが大変そうだと余計なことを思う。


 個人的な趣味と実益を兼ねた、理屈をつけたとしても男としては最低の行為だろう。


 そんな最低な行為でも、彼の胸は痛んだりはしない。


 いいだろ? 僕が助けたんだし。


 千秋が聞いたら卒倒するようなことを、春一は普通に考えていた。


 命を助けたから、その命が全部自分のものだとまでは言わないが、近いことは思っていたのだ。


 その身を助けるのに、彼もまた犠牲は払ったのである。


 町に出入りする許可証が、事実上無効になったことそのものには、さしたる犠牲だとは思っていなかったが。


 いかようにも使える千秋の命を、春一は自分の目を信じて育てることにした。


 そのためには、まず彼女をしがらみから解放する必要があった。


 あの全身から噴き出す怒りを、少し勿体ないが昇華させようと考えたのだ。


 春一がやれば、ほんのわずかな時間で出来ることを、彼女自身の力で成し遂げさせることにする。


 希望が達成されれば、きっと彼女は自由になるだろう。


 それは、村にも帰れない形の自由だったが。


 だが、春一にとっては好都合な話だ。


 そうすれば、彼はその手を握って、千秋を堂々と連れ出せるのだから。


 彼女も、きっと拒みはしないだろう。


 ただひとつ。


 心配はあった。


 村長むらおさの屋敷で、彼女を助けに入る時、そこで見せる自分の姿に怯えられる可能性があったのだ。


 春一の手は、いまでこそおとなしいものだが、綺麗なものではない。


 炭よりも、もっと赤黒いもので汚れた時期もあった。


 彼女をその道に落とすことは考えられず、しかし、千秋を羽交い絞めにして殴り飛ばし、女としてズタズタにしようとした男たちに容赦をしてやる気にもなれず、春一は本性の一部を表したのだ。


 そんな彼を見て。


 千秋は──怯えてはいなかった。


 驚いてはいたが、その瞳には何の恐れもなく、それどころからこれまで通りの『糸目先生』を見る目だったのだ。


 大した胆力だよ。


 それには、春一の方が驚くほど。


 だから、彼は千秋の手を握って村を出た。


 宿無しの生活が始まっても、彼女は毎日楽しそうにしている。


 笑顔の朝を迎える度に、情愛も増していくのは、おかしい話ではない。


 彼女は、深い女性になる素質があった。


 その片鱗は、これまで見た姿の中に見えていたのだから。


 じっくり育てて、おいしくいただきたいものだね。


 困ったことに、春一は『純粋』に、本気でそんなことを考えていた。


 早く、自分が食べたくてしょうがなくなるほど、素晴らしい女に育てばいい。


 そのためには。


「風邪をひいている暇はないよね?」


「あ……せ、先生……」


 身を固くして春一を拒む彼女の身体を、自分の綿入れの中に引っ張り込んだのだった。




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