第13話 存在の皮膜
空気が跳ねた。
その“音”が届くよりも早く──クレパスは、そこにいた。
蒼の身体は、本能だけで動いた。
“そこにあったはずの何か”を避けた瞬間、背後で地面が裂ける音が轟いた。
「──っ⁉︎」
跳ぶ。
逃げる。
思考より先に脚が動いていた。
次の瞬間、視界の端が“抉れた”。
クレパスの腕──否、“刃”のように変異した構造体が、地をなぞるように振り抜かれる。
それは剣でも爪でもない。
「存在の密度そのものを削る」
──概念のナイフ。
風を裂かない。
空気を動かさない。
ただ、“空間だけが裂ける”。
蒼は反射的にグラウンドの縁へ滑り込み、転がった。
心臓が爆ぜる。
肺が空気を吸えず、喉奥に血と汗の金属臭が滲む。
世界が鈍く、遅れて揺れていた。
「なんだよ……これ……っ」
視線の先、音もなく“滑る”ようにクレパスが着地する。
足音がない。
質量すら感じない。
──なのに、確かな“圧”だけがあった。
影が追ってくる。
クレパスは歩かない。
「次の座標に出現する」ように、地面を這う影とともに染み込むように迫る。
瞬きの隙間に、世界の“裏側”から滲み出すように。
振り返るたびに、影が伸びる。
影と影が繋がり、重なり、絡まり──
気づけば蒼の足元に届いている。
(逃げろ……!)
脳が叫ぶ。
だが、脚が追いつかない。
呼吸が浅く、視界の隅に黒い“シミ”が広がっていく。
──クレパスの影が、蒼の左肩を掠めた。
「ッ……ぐっ⁉︎」
“何か”が削れた。
痛みではない。
熱でも冷たさでもない。
ただ、“皮膚という存在がなかったことにされる”感覚。
服の繊維が音もなく崩れ落ち、
その下、肌の上に纏っていた“存在の皮膜”が──剥がれた。
血は流れない。
痛みもない。
けれど、それは確かに“傷”だった。
否。
それは「傷」ではない。
──“否定”だった。
クレパスの“腕”は、蒼という存在の“形”そのものを拒絶していた。
「う……ぁあっ!」
蒼は転がるようにしてグラウンドを離脱。
校舎裏の通用路へ──見慣れたはずの景色が、すべて“異質”に思えるほど遠い。
クレパスは歩かない。
影から影へ、まるで“光の死角”に染み込むように現れる。
速度ではない。
移動でもない。
──「結果だけが、そこにある」。
(間に合わない……)
意識が叫ぶ。
脚がもつれ、肺が軋み、視界が揺らぐ。
校舎の影へ滑り込もうとした、その刹那──
ガシュッ。
背後から、影が伸びた。
足首にそれが“触れた”。
──いや、それは「絡みついた」のではない。
まるで“重力”そのものが蒼の足に宿り、地面へと引きずり込もうとするかのような圧力。
「っぐあ……ぁぁっ……!」
逃げたい。
踏み出したい。
だが、身体が地面に“縫い付けられている”。
影はすでに、蒼の腰へと達していた。
黒い泥。
光の一切を失った、焦げついたタールのような“何か”。
それは液体ではない。
質量をもつ、“概念の残滓”。
否定された時の“残音”。
動けない。
抗えない。
──“死”がそこにある。
直感がそう告げていた。
思考が崩れ、意識が沈む。
吸い込まれる。
どこか、“この世ではない場所”へ。
(こんな……こんな終わり──認められるか……!)
叫びたい。
掴みたい。
しかしそこには“何もない”。
──その瞬間。
空気が割れた。
耳を突き破るような、
鋭く切り裂く“衝撃”。
何かが──
蒼の前に、割って入った。




