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scene2 : ぼろ屋と食卓

 翌朝、ヨルは屋根に上がった。


 仮止めした梁の状態は持っている。昨日打った釘三本が木に食い込んで、添え木と合わせて梁を固定していた。ただし、仮止めであって修繕ではない。冬の雪が積もればきっと持たない。


 北側から点検を始めた。板を一枚ずつ触る。指先で木の状態が分かる。乾燥して割れかけているもの、湿気を吸って膨張しているもの、腐食が内部まで進んでいるもの。釘の頭を親指で押す。緩んでいれば指に遊びがある。錆びている釘は表面がざらつく。


 湿った木の匂いが鼻につく。四十年分の雨と霧を吸い込んだ木材は、独特の酸っぱい匂いがする。板の裏側に手を入れると、指先が湿った苔に触れた。


 ヨルは腰の袋から紙切れと炭筆を出して、状態を書きつけていった。


 北側の屋根。板の交換が必要な箇所が十二。梁の入れ替えが二箇所。桟木の補修が四箇所。防水処理をやり直す面積が全体の三分の一。


 東側、南側、西側と順に回った。日当たりの良い南西は北側ほど傷んでいない。それでも板の交換、釘の打ち直し、雨樋の接続部の緩みと、書きつける項目は増えていった。


 屋根から降りて、壁と窓枠と暖炉を確認した。北側の壁は漆喰が全面的に劣化していた。指で触ると粉が落ちる。隙間風の原因はここだった。二階の窓枠は三箇所腐食し、暖炉は煙突の接合部にひびが入っている。冬に火を入れたら煙が食堂に漏れる。


 食堂のテーブルに紙切れを並べた。


 修繕箇所のリストが長い。冬までに何を終わらせなければならないか。何を後回しにできるか。


 屋根が最優先だった。雪の重みに耐えられなければ、他の全てが意味を失う。次に壁の漆喰。隙間風を止めなければ暖炉を直しても意味がない。窓枠は三番目。暖炉は最後。


 ヨルは必要な資材を書き出した。板材、梁用の角材、釘、漆喰、防水塗料、窓ガラス、煉瓦の目地材。それぞれの量と、集落の雑貨屋での価格を暗算する。


 とにかく、金が足りなかった。


 宿の収入は宿泊客の泊まり賃と食事代だけで、客足は戦争で減っている。手持ちの金では屋根の資材を買えば壁の漆喰が買えない。壁を先にすれば屋根の板材が足りない。全部やるには、冬までに客が今の倍来る必要がある。来るわけがなかった。


「...他にも、直して欲しい」


 クルミの声が後ろからした。


 いつの間にか食堂に入ってきていた。菜園から戻ったところらしく、手に泥がついている。ヨルのリストを覗き込んで、「二階の廊下の床、三枚目と七枚目」と言った。


「踏むと沈む」


「分かった」


「あと、裏口の戸の蝶番、外れかけてる。去年の冬から」


 去年の冬から、とクルミは言った。つまり一年間放置してそのまま使っていた。外れかけた蝶番の戸を毎日開け閉めして、自分で直すでもなく、ただ使い続けていたのだろう。


 ヨルのリストには載っていない箇所を、クルミは五つ追加した。


 ヨルはリストを見直した。修繕箇所が増えた分だけ、必要な資材と金も増えた。


「金が足りない」


 ヨルは言った。クルミは何も言わなかった。


「だが冬までに屋根だけは終わらせる」


 金が足りないなら、最も重要なものから片づける。屋根が持てば冬は越せる。壁の隙間風は毛布で凌ぐ。窓枠は板を打ちつけて一冬持たせる。暖炉がなければ薪を多く焚く。順番に片づけていけばいい。


 ヨルは資材の調達計画を組み始めた。板材は集落の雑貨屋では足りない。峠の手前の材木置き場から購入するか、裏山の杉を自分で切り出すか。梁用の角材は太いものが必要で、雑貨屋のおかみに取り寄せを頼むか。釘は鍛冶屋の爺さんに注文する方が安い。


 クルミがヨルの横に座っていた。座っていると言っても、ヨルの作業を手伝うでもなく、ただテーブルの端に腰かけて菜園の土を爪の間から取っていた。


「屋根が先なら、二階の客室は使えない」


「ああ。しばらくは一階だけで回す」


「そう...ならいいの。お客さんは来なくても掃除はするから」


「分かってる」


 会話はそれで終わった。クルミは立ち上がり、菜園に戻った。


 ヨルはリストを食堂の壁に貼った。


 屋根北側。壁漆喰。窓枠。暖炉周り。四つの項目が、炭筆の文字で並んでいる。


 それから一日、屋根にいた。仮止めの状態を確認し、明日から剥がす板に印をつけ、腐った桟木の寸法を測った。手順を組み立てる作業で日が傾いた。


 夜になり屋根から降りると、クルミが厨房でスープを作っていた。匂いに釣られたのか、ナギが二階から降りてきた。廊下に吊るした薬草の束を確認してから食堂に入り、テーブルの左端に座った。ヨルが正面、クルミが右。特に誰が決めたわけでもないが、三人の位置はもう固まりかけていた。


 ランプの光が三人の皿を照らしている。夕方の光が窓から斜めに差し込んでいたが、食堂の奥はもう暗い。大きすぎるテーブルの端に三人。反対側には誰もいない。十人分の椅子に三人。


 スープを飲もうとしたとき、ヨルの視線が窓枠に止まった。


 がたついている。風が吹くと微かに揺れる。枠の木が痩せて、ガラスとの間に隙間ができていた。冬になれば隙間風が入る。今すぐ仮止めだけでもしておけばと思い、ヨルが立ち上がろうとした。


 箸がヨルの手を叩いた。


 クルミだった。右手にまだ箸を持ったまま、ヨルの手の甲を正確に打っていた。痛くはないが、明確な拒否だった。クルミは何も言わず、自分のスープを飲み続けた。


「食事中くらい座ってて。冷めちゃう」


 ナギが言った。パンをちぎりながら、視線はスープに落としたまま。


 ヨルは座り直した。スープの皿に手を戻す。窓枠は気になったが、クルミの箸の一撃は覚えておくべきだった。


 ヨルがスープを一口飲んだ。

 熱い液体が喉を下りて、一日屋根の上で冷えた体の芯に落ちていく。皿を持つ手から指先にようやく感覚が戻った。トマトの酸味と何かの野草の苦みが口の中に広がり、あとから温かさが追いかけてくる。ようやく気が落ち着いた気がした。

 

「ありがとう...。少し焦っていたようだ」


 クルミが小さく頷いた。


 食事を終え、ナギが立ち上がり、厨房に皿を運んだ。水を流す音が聞こえた。


 ヨルは食堂に残り、テーブルを拭いた。布巾で拭くとき、テーブルの木目が指先に伝わる。古い木だった。傷が多く、焼け跡が二箇所ある。先代が使っていた頃の痕跡が残っている。


 窓枠のがたつきをもう一度見た。


 明日やればいい。


 そう思えたことに、少し驚いた。朝からリストを書き、屋根に上がり、足りない金を数え、それでも片づかない修繕箇所を前にして——窓枠を「明日」にできている。


 スープの温かさが、まだ腹の中にあった。

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