1. はじまり
俺は至って普通の高校生のはずだった。
高校二年。母子家庭。祖父母を含め、頼れる親族は既に他界しているか、そもそも存在しない。
普段は学校に行って、終礼が終わればそのまま家に帰り、最近流行りのFPSを日が暮れるまでやる。
お腹が空いたら、冷凍庫からコンロに掛けるだけの冷凍うどんを取り出し、それが温まる間に課題を適当に終わらせる。
食べ終わればシャワーを浴びて、そしてゲームを再開する。母親が仕事から帰ってくれば、ゲームを中断して、残った宿題を終わらせて寝る。
そして朝起きて、パンを焼いて食べれば学校へ行く。その繰り返しだった。
高校には、友達らしい友達はいなかった。中学までは、授業の合間に誰かとくだらない話をうだうだするのも嫌いではなかったが、高校に入ってからは、誰と話してもそれが楽しいと思えなくなった。
学校の面談で、担任に心配されることはあったが、特別悪い成績でもないからか、単なる陰気なやつとしてなあなあに終わる。
俺にとってはありがたい。でも、教師としてそれはどうなんだとか思いながら、かしこまって職員室に入る下級生たちの横を通り過ぎる。
教室で聞こえてくる話題は、ほとんどがどの『ヒーロー』を“推す”かだ。とはいっても内容は様々で、誰々の顔がいいとか強いとかいう素朴なものもあれば、奴らは能力の一部を非公開にしているだのという陰謀じみた話や、ヒーロー同士のカップリングに盛り上がる集団もいる。
はっきり言ってくだらない。
『ヒーロー』なんてものは、所詮日本に数十人程度しかいない、ちょっと普通じゃない能力を持っているだけの人間だ。
身体がゴムのように伸びるだの、目から数千度の熱光線が出せるだの、トラックを一台持ち上げられるだの、空を飛べるだの。だから何だっていうんだ。
そんなやつが何人かいたところで、装備の整った軍隊には勝てないだろう。実際はただの突然変異の、異常者にすぎないのに、国がアイドルみたいに持ち上げるせいで、あたかも良いことをしている善人集団のように掲げられる。
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その日、家に帰ると、玄関に俺のではない、少し大きめのサンダルが置いてあった。
「み、澪斗! ちょっと待って! ちょっと玄関で待ってて!」
母さんの慌てたような声が、左の部屋から聞こえてくる。
同時に、もう一人分の慌てたような足音と、男の囁き声も聞こえてきた。
「こ、子どもが帰ってくるならそう言えよ!」
「だって、あなたが突然ベタベタひっついてくるから!」
子どもの耳は、大人のそれよりも随分良い。
それを知ってか知らないか、二人はギリギリ聞こえる声で、気色の悪い会話を続ける。
「僕のことは彼にもう話したのか?」
「い、いやまだだけど……ちょうどいい機会だし、今日紹介しない?」
「この状況でか? 第一印象最悪だろ」
俺には、生まれたときから父親がいない。
いや、正確にはいるし、定期的に養育費が振り込まれてくる。だが、父親の顔は写真ですら見たことがないし、母さんもほとんど話題に出さない。
そもそも父親は、俺の顔を見に来るという意思や発想がないらしい。奴は多分、俺のことを月に何万か給料から天引きされる、税金かなんかだと思っているんだろう。
まあ、定期的に顔を出されて、俺が父親なんだぁと言われても気色が悪いというか……生殖って両性が必要なんだ、程度の気持ちしか湧かないだろうから、別にこれでいいんだけど。
「で、でも、窓から出ていくわけにもいかないでしょ?」
「……ロープとかない?」
「ふざけないで。ここ四階よ!」
「……何がそんなに楽しいんだよ」
鬱陶しい小声をかき消すように、俺の喉から、いつのまにかそんな言葉が出ていた。
「くっさい肉の出し入れなんて一人でもできるだろ。なんでわざわざ面倒くさいしがらみ作ってまで、誰かにしごかせようって発想になるんだよ」
鼻の奥が熱くなったと思うと、次に視界が滲んだ。
小学校の頃の水泳の授業、かなづちだった俺を教師が頭から押し込んだ、あの時以来の感覚だなと、どこか冷静に思い出す。
俺はそう言い切ると、ドアを開けて元の道へ戻った。
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並ぶビルの窓、その所々からは、明るい電光が孤島のように発せられている。繋げば何か絵に見えるかなと思って目で追うが、そんな都合のいい話はない。
もう日はとっくに落ちている。電車の速さについていけず、視界から遠ざかっていく川は、昼間はあんなに日光を反射していたのに、今では不気味に暗い。
「次は豊能、豊能。お出口は右側です」
カバンを抱きかかえて、寝ているのかどうかも分からないように俯くスーツの男。片手を二の腕に添えながら、スマホをスクロールする金髪の女。
車内に残る連中に活気はないが、これが終電であることは別に関係ないだろう。
俺はそんな奴らを横目に、布生地の椅子から立ち上がる。そして、出口の扉の前まで行って、転ばないように少し足幅を広げた。
別に、特別豊能に惹かれた訳ではない。だが、続く駅よりは気分に合っていただけ。
駅員に降ろされるまで乗っているのは、今の気分には合わない気がした。
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黒い汚れが染み付いた、灰色のコンクリートの壁。朽ち果てた旧式の電灯。少し風が吹けば舞う粉塵。
“豊能のゴーストタウン”。第二次大戦の本土決戦時、当時のアメリカ最強のヒーロー“グラウンド・ゼロ”が、自らの命と引き換えに関東一帯を爆破した。
その後、日本は降伏し、GHQの指導の下、放射能除染を含めた復興活動が行われた。だが、全ての地域が復興されたわけではなかった。この豊能は、除染こそされたが、再開発はされず、こうして七十年以上たった今でも放置されている。
今では、ホームレスの住処、ヤクザの取引場所などとして専ら使われている。
「あんた、まだ子供じゃねぇか……こんなところで何やってんだ」
声のした方へ目をやると、ぼろ布を着た一人の男が声をかけてきた。顔や手は黒く汚れており、髪は長い間洗っていないようにぼろぼろにうねり、乾いた質感になっている。
「別に何も」
「そんないい服着てよぉ。つい最近来たばっかか、おめぇよぉ。悪いことは言わんから、ここはやめときな。おめぇさんは、俺と違ってまだ未来があるよ」
痰が詰まったような枯れた声。その男はそう言いながら、吸い殻に近いようなタバコを口元に持っていき、それに火をつけようとする。
俺はそれには返事をせずに、目の前にある、比較的まだ原型を保っている大きな廃墟の入口へ歩を進める。朽ち果てて開け放たれたドアの横には、“豊納市避病院”と壁に直接彫られていた。
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風化して壁紙が破れ、露出した無機質な壁。歩けばきしみ、いつ抜けてもおかしくない木製の床。
ベッドなどの家具類は、ほとんど既に持ち去られていた。床にはガラスや木の片が散らばっており、そこで寝ると怪我をするのは明白だった。
「……そんな上手い話はないか」
俺はリュックを床に下ろすと、そのまま壁に背中を預けて座った。
充電が二割もないスマホの電源ボタンを押すと、「22:14」の文字が、幼い頃に撮った母との写真の上に重なって映る。
俺に友達が少ないのは、今に始まったことではなかった。
俺は生まれつき小耳症で、その手術をするためのお金が、幼少期にはなかった。
それが手術で治ったのは、俺が中学の頃だった。それまではよく“耳なし澪斗”と言われて、顔に落書きをされたこともある。
その時に俺を助けてくれたのは、同級生でもなく、教師でもなく、母だけだった。母が帰り道に耳を引っ張られる俺のそばまで駆け寄り、そのいじめっ子を怒鳴って泣かせてからは、“耳なし”のあだ名で呼ばれることもなくなった。
母は、俺を唯一の血のつながった家族として、よく可愛がってくれていたと思う。
最近は、俺が大人に近づいてきたことと、仕事や彼氏やらで、あまり話す機会が減っていった。
「……帰ろ」
俺は下ろしていた腰を上げて、リュックを背負い直す。そして、来た道をなぞって、階段を降りた。
その時だった。
人。さきほど会ったホームレスが倒れていた。
割れた頭からは血と、それに混ざった何かがこぼれ落ちていた。
その横には、バールを持った男が一人、大きなスーツケースを持った男が一人いた。どちらも場違いに小綺麗なコートやスーツを着ていた。
俺はとっさに背を向けて、階段を上がり直そうとする。
「おい、そこのお前、ここで何しとんねん」
苛立ったようなヤクザじみた男の野太い声が、建物に響き渡った。
ここには似つかわしくない、関西弁だった。
その瞬間、身の毛がよだち、俺は本能のままに走り出した。
「待てや!」
俺はリュックを背負ったまま走った。
その中身が跳ねて、背中に何度も当たる。
廊下は思ったより長かった。
右に病室。左にも病室。
どこも扉が外れていたり、半分開いていたりした。中には壊れた棚や、脚の足りない椅子や、何に使うのか分からない金属の器具が転がっているのが見える。
「待てっつっとるやろ!」
怒鳴り声とともに、大人の重量が際立つ足音が、後ろから近づいてくる。
下手に部屋に入れば、隠れる場所もなく行き止まりだ。
だからといって逃げ続けても、奴らの足は結構速く、追いつかれてしまうだろう。
俺は角を曲がった。
曲がった先にも廊下が続いており、左右にドアが並んでいる。
窓が割れていて、そこから入る風で、床に落ちている朽ちた紙片が舞う。
そのドアの一つに、“便所”という文字が書かれており、ドアの立て付けが他の場所と比べてまだよく保たれていた。
俺はそこへ飛び込んだ。
中は、ひどい臭いだった。
水の腐った臭いと、便器に残った汚れの臭いと、カビの臭いが一つになって鼻を突く。
洗面台は割れていて、鏡もほとんど残っていない。
だが、個室が三つあった。
一番手前は扉がなかった。
二つ目と三つ目は、まだ扉がついていた。
俺は三つ目の個室に入ると、慌てて扉を閉めた。
フック型の鍵をかけると、それは思ったよりしっかりと噛み合った。
曲がり角を曲がったばかりで、連中は俺がどの部屋に入ったか確信を持てないはずだ。
だから、見失った俺を探すその隙をついて、この建物から出る。これは賭けだ。
「それで隠れたつもりかぁ?」
その時、トイレのドアを蹴破って、男が一人、二人と入ってきた。
俺は急いで、音を立てないように慎重に、和式の便器の丸い部分の上に足を乗せた。
少しでも、ドアの下の隙間から見えないようにするためだった。
「健気なこった」
だが、男は一直線に俺の隠れているドアの前まで来て、足を止めた。
「悪いが、全部見えとんのや」
すると、そのドアは凄まじい力で引かれた。そして、木が割れるような音とともに、ドアの金具が砕け散って開いた。
目の前にいるのは、バールを持った男。さっきは暗くて見えなかったが、こんな夜中の暗い場所なのに、サングラスをしていた。
「恨むなよ」
やつはバールの先で、俺の腹を素早く突いた。
学生服越しにも関わらず、皮膚が破られたのを感じるほどの鋭さだった。
「あがっ!」
「おまえがこんなところにおるのが悪いんや」
痛みに前のめりになったそのとき、バールで頭を殴られたのを感じた。
脳天に鋭い衝撃が走るとともに、額を地面に打ち付けた。
地面と天井が反転したような気分で、視界が大きく歪んだ。
「こ、この子、子供ですよ」
俺は、地面に手をつき、その声のほうへ目をやる。
バールを持った男の背後に、コートを着た背の高い男が、おどおどした様子で大きなスーツケースを持っているのが見えた。
「……じゃあお前が代わりに死ぬか?」
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
「おめえが代わりに死ぬかって聞いてるんやが!」
部屋に怒声が響き渡った。
――威圧的な関西弁、"見えている"、超人的な膂力、そして武器のバール。
その時、俺の頭の中に、ふとある名前が浮かんできた。
「うぉ、“ウォッチャー”……?」
近畿警察局の異能対策部に所属しているヒーロー『ウォッチャー』。
暗視に透視に千里眼。あらゆる場所を見通すその能力で、詐欺組織から暴力団に至るまで、様々な反社会勢力の逮捕に一役買ったヒーローだ。
悪人にはキツイ関西弁で詰め寄るのに、子供には優しいというギャップがあり、西日本での人気は非常に高い。
「も、もしかして……あなたは“ウォッチャー”ですか?」
すると、その男はやれやれというように天井に目をやると、ため息をついて、もう一方の男に目をやる。
「な? 聞いたろ? こいつぁ生かしちゃおけん」
「……そうですね」
おどおどした様子の男も、覚悟を決めるかのように、息を詰めてその返事をした。
「ま、まっ……がぁっ!」
関西弁の男が俺の顎を蹴り上げた。
生半可ではない衝撃が顎を突き抜け、下の前歯が天井へ吹き飛んだのが分かった。
続いて右頬、額をバールで殴られる。
重さよりもその速さが際立ち、打撲は中身が揺らされる感覚よりも、固く突き抜ける感覚が強く神経に刺さる。
「ご、ごめんなさ……」
「謝るんなら、俺やない。先立たれる母ちゃんに謝れや!」
“母ちゃん”。
その言葉を聞いた途端、再び鼻の奥と、さらに胸が熱くなるような感覚が俺を襲う。
男の拳が鼻と前歯に突き刺さる。
鉄の味と臭い、そして痛みで五感が覆われ、それ以外を考えられない。
こめかみ、金的、喉、あらゆる急所に男の蹴りやバールが突き刺さる。
スーツケースを持っていた男は、見ていられないというように、顔を斜め下に向けて、俺が殴られるたびに顔をしかめていた。
「はよ死ねや! しぶといんじゃが!」
殴られた箇所から、感覚が徐々に失われていくのを感じた。
だが、それとともに、胸から湧き上がるような、悲しい、悔しい、惨めな、そして怒りの混ざった熱い感覚が、俺の制御を離れてとめどなく溢れてくる。
「なんやぁ、こいつ硬……っ、まてよ」
その時、男が俺を殴るのをやめた。
それと同時に、男が後ずさるような、足を擦る音が聞こえる。
「ど、どうしましたか? 植村さ……」
「ど、どけ!」
男が突き飛ばされ、床に体を打ちつける音が聞こえる。
「どうしたんですか!」
体のほてりが止まらない。
内側から流れてくるような、灼熱の何かが体の内側から燃え上がる。
苦しくなって胸に手を当てると、血で濡れた白いシャツから煙が出ているのが分かった。
さらに、そのシャツの内側から、赤い光が漏れている。
「ど、どこに行くんですか! 待ってください!」
「ああ“あ”あ“ぁぁ”……!」
視界が真っ赤な閃光で覆われるとともに、俺の意識は暗闇に落ちた。
趣味で気ままに投稿していく予定です。
更新頻度はかなり不安定になると思いますが、気に入っていただけましたら評価していただけると嬉しいです(^^)




