第4話 冒険者が強くなる飯
店に“匂い”が染みると、客は増える。
不思議なもので、看板より先に鼻が覚えるんだ。湯気の甘い香り、出汁の立つ匂い、焼いた油の匂い。腹が減る匂いは、言い訳を作らせない。
開店から数日。村人はぽつぽつと通ってくれて、畑仕事の帰りに月白粥を食べ、狩りの前に温かい汁を飲み、夜に薬草茶で落ち着いて帰っていった。
俺は厨房で、同じ作業を繰り返す。
洗う。拭く。切る。火を入れる。温度を見る。香りを見る。味を見る。
記録帳には数字が増え、ページの端に“笑った”“眠れた”“腹が鳴った”みたいな短い言葉が並んでいく。
その日の昼過ぎ、店の戸が乱暴に開いた。
「やってるか!」
声がでかい。体もでかい。鎧の擦れる音がする。冒険者だ。村人の歩き方じゃない。
入ってきたのは二人組だった。片方は剣を背負った男、三十前後。顔に小さな傷がいくつかあって、目が覚めてる。もう片方は軽装の女、同じくらいの年。腰に短剣、足取りが軽い。斥候か。
俺は鍋の火を弱めながら言った。
「やってる。席、空いてる。――ただし、汚れた靴は外で泥を落としてから入れ」
「う……」
剣の男が一瞬固まって、女が吹き出した。
「出たよ。田舎の飯屋で説教」
「説教じゃない。衛生だ」
「衛生ねぇ。まあいいや。腹減ってんだ。なんか、ここ“勝負前に寄る店”って噂でさ」
噂。もう回り始めたか。
ハナが言っていた通り、鼻が先に広める。俺は内心で少しだけ警戒した。噂は客を呼ぶが、面倒も呼ぶ。
「勝負前?」
「この村の外れに、ダンジョンの口があるだろ。最近“湧き”が近いってギルドが騒いでんだよ」
剣の男が椅子にどさっと座る。
「俺ら、明日の討伐に出る。で、腹に入れるもん探してた。ポーションは高ぇし、腹が荒れる」
女が机に肘をついて、俺を見る。
「で、ここ。飯で強くなるって?」
来た。
“バフ飯”は、噂の形が最初に歪む。強くなる、って言葉だけが歩き回って、万能薬みたいに期待される。それが一番危ない。
「強くなる飯、って言い方は嫌いだ」
俺は素直にそう言った。剣の男が眉を上げる。
「は? じゃあ噂は嘘かよ」
「嘘じゃない。だが、万能じゃない。薬膳は遅効で持続。小〜中の底上げだ。食べ過ぎれば胃が疲れて、翌日鈍る」
女が面白そうに口角を上げた。
「へえ。ちゃんと欠点も言うんだ」
「欠点じゃない。上限だ。上限を知らずに突っ込むと死ぬ」
剣の男が、どこかで聞いたような言葉に少しだけ黙った。……冒険者も、似た痛みを持ってるのかもしれない。
「で、何が出る?」
「明日が討伐なら――防御の下地がいる。畑荒らしでも出てるだろ。猪型と毒虫。打撃と毒の両方だ」
二人が顔を見合わせた。情報は正しいらしい。
俺は鍋の蓋を開け、香りを立たせた。
「鉄根の豚汁。防御+小。三十分くらい」
「豚汁で防御?」
「豚汁“だから”防御。脂と塩で体の膜を作る。鉄根芋の成分が筋の反応を鈍らせない範囲で硬さを出す。……ただし、濃くしすぎると胃が重い」
「また“ただし”だ」
「ただしは命綱だ」
俺は器を二つ並べ、豚汁を注いだ。具は大きめに切った鉄根芋、根菜、少量の乾燥肉。味噌は村のもの。香りが立つように、最後に火を少し強めてから止める。
その横に、米もどきの握り飯を二つ置く。油で軽く焼いて香ばしさをつけた。胆味の残りを香りで上書きするためだ。
「熱い。舌をやるな。まず香り」
「はいはい、うるさい店主」
女が言いながら、ふうっと息を吹いて一口。
目が、すっと細くなった。
「……うま」
剣の男も同じように一口食べ――そのまま、黙った。黙って、二口目を掬う。三口目でようやく言葉が出た。
「……なんだこれ。腹に、くる」
「腹にくるのが正しい。腹は、戦闘の土台だ」
女が汁を飲みながら、喉を鳴らした。
「変な甘さで誤魔化してない。なのに、後味が嫌じゃない。……薬草っぽいのに」
「火入れと組み合わせだ。鉄根のえぐみは、脂で丸くなる。味噌の香りで先に情報を渡す。苦いのは悪じゃない。情報だ。……不快は削れる」
自分で言っておいて、少しだけ笑ってしまった。最近、この言葉をよく使う。俺の芯なんだろう。
剣の男は器を空にし、焼き握りを噛みしめた。
「……これ、ポーションより“持つ”かもしれねぇな」
「ポーションは即効。短い。副作用も強い。胃が荒れる。薬膳は遅いが安定する。明日、差が出るはずだ」
女が指で机を叩いた。
「差が出なかったら?」
「文句を言え。返金はしないが、原因は一緒に考える」
「返金はしないのかよ」
「材料は戻らない。……でも、命は戻らない。なら、原因は残す」
剣の男が苦笑した。
「変な店だな」
「そうだな」
俺が頷くと、ハナが奥から顔を出した。二人の冒険者を見て、目を細める。
「客、増えてきたね」
「噂が回ってる」
「噂は回るよ。うまいから」
ハナが言い切ると、剣の男が鼻で笑った。
「村の身内贔屓じゃねぇの?」
「私、まずい時はまずいって言う。――この人の飯は、うまい。腹が生き返る」
冒険者の女が、ハナを見て少しだけ口元を緩めた。
「正直者だ」
飯を食い終えた二人は、席を立った。
「名前、聞いていいか」
剣の男が言う。
「ユージン。ユーでいい」
「俺はガルム。こっちはレナ。明日、戻ったら報告に来る。……“勝負前に寄る店”が本物かどうか」
「報告はいらない。生きて帰れ」
「……ああ」
ガルムは短く頷き、戸を開けた。外の光が差し込む。二人の背中が、村の道に溶けていく。
その背中を見送りながら、俺は棚の二段目――赤紐の位置を確認した。明日が討伐なら、怪我人が出る可能性が上がる。備えるのは、仕事だ。
―――
翌日。
昼過ぎ、店の外が少し騒がしくなった。村人の足音が増え、誰かが「戻った!」と叫ぶ声がする。
俺は鍋の火を止め、布巾で手を拭いて外へ出た。
ガルムとレナが戻ってきていた。鎧は泥だらけだが、歩き方がしっかりしている。――生きて帰った。
「ユー!」
ガルムが俺を見つけて、でかい声で笑った。
「聞け! マジで差が出た!」
店の前に村人が集まり、耳を澄ませる。噂はこうして育つ。俺は内心で苦い気持ちになりつつ、でも目の前の“結果”は否定できない。
「何がどう出た」
ガルムは両手を広げた。
「いつもならさ、猪型の突進で一発、鎧がへこむ。腕が痺れる。今日は、へこんだのに――痺れが少なかった。踏ん張れた。あと、毒虫の針が刺さっても、妙に“回り”が遅かった」
レナが頷く。
「防御が上がったって言うより、体の“受け止め方”が変わった感じ。無理が効いた」
「無理が効くのは危ない」
俺が言うと、ガルムが目を丸くした。
「そこも言うのかよ」
「言う。無理が効くってのは、壊れる前に止まれなくなるってことだ」
レナが笑った。
「ほんと、口うるさいね」
胸が、少しだけ揺れた。……あの言葉は、まだ刺さる。でも、今は違う刺さり方だ。
「口うるさくないと、生き残れない」
「それ、ギルドの合言葉にしたい」
レナが冗談めかして言い、ガルムが腹を抱えて笑った。
笑い声の中で、ガルムが急に真面目な顔になる。
「ただな」
「何だ」
「食った直後、ちょっと腹が重かった。動き出しが鈍い気がした」
来た。副作用の布石が回収される瞬間。俺は頷いた。
「鉄根の豚汁は、防御の代わりに胃に負担が来る。食べ過ぎれば“胃疲れ”が残る。今日は適量だったはずだが……朝から何も食ってなかっただろ」
ガルムがぎくりとした。
「……バレたか」
「腹を空にしてバフ飯を詰め込むと、胃がびっくりする。次からは、軽く何か入れてから来い。水も飲め。塩も」
「また水!」
「水は命」
ガルムは頭を掻きながら、素直に頷いた。
「……分かった。次はちゃんとやる。で、ユー。明日の討伐でも頼む」
「内容次第だ。防御だけじゃない。敏捷、集中、耐性……全部、適量がある」
レナが目を輝かせた。
「他にもあるんだ」
「ある。ただし――材料が要る」
俺は口に出してから、また窓の外の街道を見た。物流は弱い。外の材料は高い。村の薬草はあるのに、売れない。誰かが首を絞めている匂い。
噂が広がれば、首を絞める手も強くなる。
ガルムはそんな俺の視線に気づいたのか、首を傾げた。
「どうした」
「……いや。面倒が来そうだなって思っただけだ」
「面倒?」
俺は笑って誤魔化した。
「店が目立つと、面倒が寄ってくる。だから、俺はうるさい」
ハナが横で腕を組み、言った。
「うるさいのはいいけど、死ぬなよ。優しさで死ぬの禁止」
「了解」
ガルムとレナは顔を見合わせ、どこか楽しそうに笑った。
「なんだこの村、面白いな」
「面白い飯屋もあるしね」
笑い声が広がり、村人が店の中へ流れ始める。次の客が来る。次の腹が鳴る。
俺は厨房へ戻り、鍋に火を入れ直した。
湯気が立つ。
香りが立つ。
この匂いが、誰かの“帰れる”を増やすなら――俺は今日も、うるさくていい。




