第18話 偽物は悪意じゃなく雑で生まれる――敵は雑さだ
倒れる音は、店の戸より先に来る。
走る足音。誰かの叫び声。鎧が擦れる音。吐き気の匂い。汗の匂い。――そして、腹の悲鳴みたいな呻き。
「ユー! 来た! まただ!」
ガルムの声が割れていた。嫌な“慣れ”が混じる割れ方。慣れたくない慣れだ。
戸が開く。担がれて入ってきたのは、若い冒険者だった。顔が赤い。汗だらけ。腹を押さえ、手が震えている。呼吸が浅い。目が焦点を結べてない。
屋台の列にいたやつだ。
ミレイが先に動いた。今日は珍しく店にいた。目が鋭い。
「店、閉めます! ギルド案件! 下がって!」
人が引く。空気が変わる。――こういう時、場を作るのはミレイの仕事で、俺の仕事は腹を守ることだ。
「座らせろ。吐くなら横向き。水は今は飲ませるな」
俺は言いながら、脈を取った。速い。浅い。手の震えは――刺激過多。腹の攣りは――胃が燃えてる。
俺は鼻を近づけた。
舌が“熱い”匂い。
あの触媒の匂いが、吐息に混じってる。
「……常用か?」
俺が聞くと、ガルムが眉をひそめた。
「昨日も飲んだって言ってた。『勝てるから』って」
「勝って、帰れてない」
言葉が勝手に低くなる。怒鳴らない。怒鳴ると感情にされる。これは命の話だ。
俺は厨房へ戻り、鍋に火を入れた。解毒の土台。月白根。ミズナ草。深緑。塩はほんの少し。酸を数滴。脂を数滴。香りは強くしない。強い香りは吐き気を呼ぶ。
器を出す。
「熱くない。ゆっくり。口に含んで、飲める分だけ」
冒険者が震える手で器を掴み、少しだけ飲む。喉が動く。次に、眉間の皺がわずかにほどけた。
「……あ……っ」
「呼吸。合わせろ。吐き気が来たら、止める」
そのとき、戸が開いた。
風が入り、湯気が揺れる。
そして――明るい赤茶の髪が、青い顔で飛び込んできた。
「……私のせいだ」
ニケだった。
笑顔の強い屋台主が、笑顔を失っている。目の下が暗い。唇が震えている。手は荒れているのに、その手が今日は頼りなく見える。
「私が……雑だった……!」
後ろから、怒号が飛んだ。
「ふざけんな! 殺す気か!」
「倒れたぞ! 戦闘前に!」
村人と冒険者の声が混ざる。怖いと怒りは似ている。怒りは、怖さの形だ。
俺は言った。短く。
「怒鳴るな」
声が通る。通ってしまう。嫌われ役の声だ。
「水。塩。まず命」
ニケが息を呑んだ。怒鳴られた方が分かりやすいのに、怒鳴られないと自分の罪が宙に浮く。宙に浮くと、もっと怖い。
俺はニケを見た。
「仕入れ先。保管方法。火入れの手順。全部言え」
ニケは唇を噛んで、言葉を絞り出した。
「触媒は……いつもの人……。保管は……屋台の下……。火入れは……混んでる時、短く……した……」
混んでる時に短くする。
それが雑さだ。悪意じゃなく、忙しさと焦りの雑さ。
雑さは、罪だ。
でも罪は、殺して終わりじゃない。次を作らないと、また起きる。
ハナが腕を組んで言った。
「人気で手が回らないなら、やめろ」
刺さる言葉。ハナの言葉は腹に刺さる。
ニケの目から涙が落ちた。
「やめたくない……! だって……おいしいって……言われたい……! 早く効けば、助かる人もいるって……!」
正論だ。
だからこそ、危ない。
俺は一拍置いて、言った。
「おいしいは否定しない。速いも否定しない」
ニケが顔を上げる。
「でも、守れない速さは毒だ。近道は腹に返る」
ニケの肩が震える。
「……私、近道した……」
「したな」
俺は頷いた。否定しない。否定すると逃げる。逃げると繰り返す。
そして言った。
「敵は人じゃない。雑さだ」
場が少し静まる。怒りが、形を失う。形を失うと、ようやく次の手が見える。
俺は続けた。
「ニケ。三点セットを覚えろ」
「……三点……?」
「手洗い」
一つ目。
「火入れ」
二つ目。
「保管」
三つ目。
「この三つだけは削るな。削ったら、お前の“うまい”が人を殺す」
ニケは涙を拭き、震える声で言った。
「……覚える……。うるさいけど……守れるなら……」
ハナが鼻で笑った。
「うるさいのは命綱だからな」
ミレイがメモ帳を開いた。紙の音。ここから先は“守る紙”が必要になる。
「屋台の事故、記録します。症状、発生時間、触媒のロット、仕入れ先。……ニケさん、協力して。逃げたら、あなたが黒幕扱いされます」
ニケが顔を青くした。
「黒幕……?」
「現実です」
ミレイの現実は容赦ない。容赦ないから守れる。
俺は鍋を見ながら、もう一度言った。
「逃げるな」
ニケは歯を食いしばった。
「……逃げない。怖いけど……言う。怖いって」
その言葉だけで、少し救われる。怖いを言えたら、次に進める。
処置が落ち着き始めた頃、ニケが小さく言った。
「……弟子にして」
俺は即答した。
「弟子は取らない」
ニケの顔が歪む。
「なんで……!」
「縛りたくない。縛られたくない。――教える。でも、お前の屋台はお前の足で立て」
ニケは鼻をすすり、拳を握った。
「……立つ。守れる味で」
その言葉が、今日の勝ちだ。
派手な勝ちじゃない。地味な勝ち。だけど命を繋ぐ勝ち。
夜、店を閉めた後、俺は帳面に書いた。
『事故:触媒刺激+火入れ短縮+保管雑。ニケ、悪意なし。敵は雑さ。雑さを利用する“誰か”の匂い』
匂いは、まだ残っている。
同じ触媒。同じ仕入れルート。誰かが“雑さ”を踏み台にしている。
そして俺は、今日も線を引いた。
看板は貸さない。
でも、うるさいは渡す。
――渡す難しさを、腹で学びながら。




