第14話 簡易バフ飯、流行る――速いは正義に見える
流行は、湯気じゃなくて旗で来る。
村の入口、街道の分かれ道。あそこに赤い布が立ったのは朝の早い時間だった。いつもは薬草の籠を背負った村人が通るだけの場所に、今日は派手な声が響いている。
「速効バフスープ! 一杯で動ける! 勝負前はこれ一本!」
声が明るい。声が強い。腹が減ってるやつほど、強い声に引っ張られる。
くすり香の前を通り過ぎる靴音が増えた。止まらずに、入口へ向かっていく靴音。村の靴じゃない。冒険者の靴だ。
ハナが窓から覗いて、舌打ちした。
「来たな」
「来たな」
俺は鍋の蓋を閉めた。湯気が落ち着く。香りは立っている。香りが立ってても、旗の方が強い日はある。現実は、うまいものだけで回らない。
「客、減る?」
「減るよ。派手だもん」
「派手は胃を救わない」
「でも派手は腹を動かす」
ハナの言い方が、妙に刺さった。腹を動かす、は正しい。だからこそ怖い。動かし方が間違うと、腹が壊れる。
ミレイが昼前に来た。いつものメモ帳。いつもの実務顔。だけど今日は、少しだけ眉間が硬い。
「屋台、王都からです。今、向こうで流行ってる」
「味は?」
「派手。刺激。速効。……冒険者が好きなやつ」
俺は頷いた。速効は快感だ。快感は正義に見える。正義に見えるものは、止めるのが難しい。
客が一人、くすり香に入ってきた。通りの冒険者。常連になりかけていた男だ。目がそわそわしている。
「ユーさん、今日は……あの、豚汁ある?」
「ある」
「……先に、向こう覗いてきていい?」
正直だな。俺は怒らない。怒ったら、ここで終わる。
「行け。覗いて、食って、帰ってこい。腹で判断しろ」
「……え、怒らないの?」
「怒る前に水。まず水だ。腹が先」
男が苦笑して出ていった。ミレイが小さく息を吐く。
「放置ですか」
「止められないものは、腹が止める。止まるのは、倒れた時だ」
ハナがぼそっと言った。
「倒れたら遅い」
「だから、倒れる前に“違い”を出す」
「どうやって」
「派手じゃない方法で」
昼過ぎ。俺は店を一度閉めた。閉めて、街道の入口へ向かった。
屋台の列は長かった。冒険者が笑っている。湯気の匂いが強い。香辛料の匂いが鼻を刺す。腹が反応する匂い。脳が“うまい”と先に言う匂い。
屋台の鍋の前に立つ女がいた。
赤茶の髪。前髪をピンで留め、笑顔が強い。手は荒れている。現場で戦ってる手だ。若い――二十くらいだろう。
その女が、器を渡しながら声を張った。
「はい! 速効バフスープ! 勝負前にね!」
冒険者が一口飲んで、目を輝かせた。
「うまっ! 何だこれ! 体が熱い!」
「でしょ? 動けるでしょ?」
女が笑う。その笑いは嘘じゃない。誰かに“うまい”と言われたい笑いだ。分かる。分かるからこそ、厄介だ。
俺は列の端から、匂いだけ嗅いだ。
刺激が強い。舌が“熱い”匂い。鼻がむずむずする。香辛料だけじゃない。胃を急かす匂い。血を走らせる匂い。
……触媒。
俺は喉の奥が少しだけ苦くなるのを感じた。胆味じゃない。もっと別の、引っかかる苦さ。
ハナが俺の横に来て、小声で言った。
「試す?」
「匂いだけで十分」
「でも客は飲む」
「飲むだろうな」
その時、屋台の女がこちらを見た。
目が合った瞬間、笑顔がさらに強くなる。人気者の笑顔だ。敵意は薄い。対抗心と、好奇心が混じってる。
女は鍋から少し器に注ぎ、列を抜けて俺の前に来た。
「ねえ」
声が明るい。近い。距離の詰め方がうまい。
「あなたが噂の“うるさい店主”?」
噂がもうここまで来てる。俺は溜息を飲み込んで答えた。
「うるさいのは命綱だ」
「へぇ。私はニケ。屋台のニケ」
名乗り方が軽い。軽いけど、逃げない目だ。逃げない目は、現場の目だ。
ニケは器を差し出した。
「飲んでみてよ。味で勝負しよ。……って言うと嫌?」
「勝負は腹で決まる」
「腹? 腹なら大丈夫! みんな喜んでる!」
喜び。
その言葉が危ない。
喜びは、後から裏返ることがある。特に“速い喜び”は、裏返るのも速い。
俺は器を受け取らず、ニケの鍋の縁を見た。火の入り方。具材の沈み方。湯気の立ち方。香りの強さの割に、油の層が薄い。つまり――刺激で押している。
「何が入ってる?」
俺が聞くと、ニケは笑った。
「おいしいもの!」
「具体的に」
「……香辛料と、王都の“元気触媒”! みんな使ってるよ」
元気触媒。名前の時点で胡散臭い。だが合法に見せるには、そういう名前を付ける。
俺の胸の奥が少し冷える。
「その触媒、誰から買った」
「仕入れの人! いい人! すっごく応援してくれる!」
信用で仕入れを決めるタイプだ。利用されやすい。悪意が薄いからこそ。
俺は静かに言った。
「喜びは否定しない。でも――喜びは、腹が持って初めて正義だ」
ニケは一瞬、きょとんとした。理解できない顔。今は成功してるから理解する必要がない。
「うるさいなぁ」
「うるさいのは命綱だ」
「はいはい。……じゃあさ」
ニケは笑って、少しだけ挑発した。
「あなたの店って、速く効くの? 遅くない?」
くすり香が比較される瞬間だ。現実はこうやって殴ってくる。
俺は逃げない。
「遅い。だから持つ。だから帰れる」
ニケが肩をすくめた。
「帰れる帰れるって、みんな勝ちたいんだよ?」
「勝っても帰れないなら、負けだ」
その言葉だけは、譲れない。
ニケは笑顔を崩さないまま言った。
「じゃあ、いつか勝負ね。味で」
「味で勝負するなら、手を洗ってからだ」
「出た! うるさい!」
列の冒険者が笑う。ニケも笑う。笑いの中で、ニケは器を渡しに戻っていった。
俺たちは店に戻った。
くすり香の前は、確かに静かになっていた。静かは楽だ。だが静かは、腹の数が減っている音でもある。
その夕方、常連の冒険者が戻ってきた。あの男だ。顔が少し赤い。目がやけに輝いている。
「ユーさん! あれ、すげえ! 一発で体が熱くなる!」
「……腹は」
「今は大丈夫! ほら、元気!」
今は、だ。
俺は鍋を掻き回しながら、言葉を選んだ。
「今の元気は否定しない。……だが、明日も同じことを言えるか?」
「え?」
「腹は遅れて怒ることがある。怒ったら、戦闘中に死ぬ」
男の笑顔が少しだけ固まった。だがすぐに、照れたように笑う。
「ユーさん、心配性だな」
「心配性は命綱だ」
「はいはい。でも、今日はちょっと……こっちで、豚汁も食ってく」
戻ってきた。
それだけで、少しだけ救われる。派手に勝てなくても、帰ってくる客がいるなら、こっちは折れない。
俺は鉄根の豚汁を出した。香りは派手じゃない。だが芯がある。塩の角を丸め、脂で舌を守り、苦味は情報として残す。
男が飲んで、眉を上げた。
「……あ、これ……」
「どうだ」
「……あったかい。体が、ちゃんと戻る感じ。……帰れるやつだ」
その言葉が、今日の勝ちだ。
勝ち、というより、守りだ。
夜。店を閉めた後、俺は帳面に短く書いた。
『刺激性触媒の匂い。速効。快感。流行。止まるのは倒れた時――止めるなら、その前』
ハナが桶を洗いながら言った。
「流行りは止まらん」
「分かってる」
「止まるのは、人が倒れた時だ」
「……倒すな」
「倒れたら、守れ」
ハナの言葉は短い。短いけど、重い。
俺は二つ目の鍋を洗いながら、静かに言った。
「守る。……ただし、派手には勝てない」
「派手に勝たなくていい」
ハナが言った。
「腹が生きてりゃ、勝ちだ」
湯気のない夜。薬草の香りだけが残る厨房で、俺は自分の舌の奥に残る“熱さ”を思い出していた。
速いは正義に見える。
正義に見えるものほど、後から責任が重くなる。
だから明日も、うるさく生きる。
倒れる前に、帰れる方を選ばせるために。




