第10話 大泣き。謝罪。それでも、戻らない
夜更けの来客は、だいたい碌でもない。
それでも戸を開けたのは、足音が――子どもの足音だったからだ。
軽い。速い。けれど乱れている。怖さで速くなる歩き方。追い立てられる歩き方。村の夜に似合わない、王都の匂い。
ハナが弓を握ったまま、戸の横に立つ。ミレイはメモ帳を閉じ、静かに息を吸った。俺は手を洗い、布巾を絞り、火を落としていた鍋に再び火を入れる。
「……来るぞ」
戸が叩かれる。控えめじゃない。必死の音だ。
「開けて! お願い! ……ユー! ユー、いる!?」
声が震えてる。高くて、泣きそうで、でも叫ぶ。
その声だけで分かった。
リリィだ。
――今さら、って言葉が喉まで上がって、引っ込んだ。今さらでも、子どもが死にかけてるなら、まずやることは一つだ。
俺は戸を開けた。
冷たい夜気が流れ込んで、その向こうに四つの小さな影が立っていた。
白い外套は泥だらけ。金髪のツインテはほどけ、顔は涙と埃でぐちゃぐちゃ。背後でコウタが肩を支えられている。腕に包帯。顔色が悪い。ミナトは唇を噛み、スズは目を赤く腫らしている。
そして――少し離れた場所に、黒い影がもう一つ。
監視の外套。王国の匂い。
俺の背中が一瞬だけ冷える。
接触制限。
ここで俺が不用意に動けば、子どもたちを政治に巻き込む。誘拐疑いだの反逆だの、面倒な札が子どもの首に掛かる。
だから、線を引く。
線を引いたまま、助ける。
「……中に入れ。まず水。次に塩。あと、靴の泥を落としてから」
「い、いまそれ言う!?」
リリィが泣き声で叫んだ。叫んでから、喉が詰まって咳き込む。
コウタが掠れた声で言う。
「……ユー……」
その一言だけで、胸の奥が痛んだ。痛んだけど、顔には出さない。出したら、こっちが崩れる。
「座れ。コウタ、腕見せろ。スズ、顔色悪い。ミナト、喉乾いてるな。リリィ――息が浅い。まず水じゃない、今は深呼吸」
言いながら、俺は二つの器を出した。ひとつは薄い塩水。ひとつは温かい薬草茶――深緑の茶だ。集中を整える。まず“落ち着く”を作らないと、何も始まらない。
ハナが無言で椅子を並べ、ミレイが戸口に立って外の影を見た。
「……監視の方。ギルド案件です。店内への立ち入りは、ギルド規定に従ってください」
丁寧語が、氷みたいに硬い。
影は何も言わず、少し距離を取った。……すぐに踏み込めないように、ミレイが“場”を作っている。ありがたい。
俺はコウタの包帯をほどき、傷の色を見た。毒は抜けきっていない。神殿の処置は“最低限”。応急はしたが、回復の設計が足りない。
「動かすな。腕を心臓より高く。……痛いか」
「……痛い。でも……」
「でも、じゃない。痛いなら痛いと言え」
コウタが目を伏せた。子どもは、痛いと言うのが怖い。弱いと認めるのが怖い。
俺は赤紐ではない、普通の解毒薬を少量出し、温度を調整して飲ませた。胆味を削る香りを添え、喉に引っかからない粘度にする。子どもの喉は狭い。吐き気がある時は特に。
「……にが……」
コウタが顔を歪める。
「苦いのは情報だ。……でも、不快は削れる。舌に残したまま飲むな。息を吐いて、飲み込め」
コウタは震えながらも、言われた通りに飲んだ。喉が動く。次に、肩の力が少し落ちた。
スズに月白粥を出す。温度はぬるめ。胃が空っぽで震えている。食べさせるより先に、胃を“安心させる”。
ミナトには塩水と深緑茶を交互に。脳が過熱している。過熱してる時ほど、冷静のふりをする。
そして、リリィ。
リリィはずっと俺を見ていた。泣くのを堪えながら、怒ってるみたいな顔で。九歳の顔だ。
「……きたの」
声がか細い。
「……ユーに、会いに……きたの」
「会いに来たのか。助けを求めに来たのか。どっちだ」
「……わかんない……!」
リリィが叫んだ。叫んだ瞬間、涙が溢れた。堰が切れる。
「だって……だって……! コウタが……! スズが……! みんな……! あたし、こわくて……! なのに、あたし……!」
言葉が崩れて、嗚咽になる。
俺は、鍋を見た。湯気が立つ。香りが立つ。――この匂いは、今泣いてる子どもたちを落ち着かせるためにある。
俺は器を四つ並べた。
「食え。謝る前に食え。腹が減ってると、言葉が歪む」
「……そんな……!」
「まず水。次に塩。最後に糖。……それから話せ」
リリィは泣きながら、器を掴んだ。月白粥を一口。次の瞬間、目を丸くする。
「……おいしい……」
その“おいしい”が、今は刃みたいに刺さるんだろう。リリィは顔を歪めて、さらに泣いた。
「なんで……なんで、こんなに……!」
「胃が落ち着く味だからだ。……お前ら、胃を酷使しすぎた」
ミナトが震える声で言う。
「……僕たち、事故を起こした。罠を見落として、コウタが刺されて……撤退が遅れて……」
スズが小さく、消えそうな声で続けた。
「……言えなかった……。やめようって、言えなかった……」
コウタは俯いたまま、ぽつりと呟いた。
「……俺、かっこつけた。……ユーに叱られるの、嫌で……」
リリィは両手で器を抱え、涙を落としながら言った。
「……あたし、ほんとは、こわかった。だから……イヤ!って……。苦いのも、こわいのも……ぜんぶ、ユーのせいにした……」
子どもたちの言葉が、店の中に落ちていく。湯気の中で、重くなる。
そこで、ミナトが荷物の中から一冊の帳面を取り出した。
角が擦れて、紙が少し波打っている。――記録帳。
俺の手が、無意識に止まった。
「これ……僕が、神殿で……開いた」
ミナトの声が震える。
「……ユーが、僕らの体温とか、睡眠とか、食事とか……全部、書いてた。危険区域の回避理由も……撤退の基準も……」
ページがめくられる。そこには数字と短い言葉が並んでいる。
『リリィ:苦味に反応強。香りを先に吸わせる。空腹時は拒否が強くなる。怖いを言えない』
『コウタ:空腹で突っ込む癖。面子で止まれなくなる。褒める時は具体的に』
『ミナト:眠いと罠見落とし。合理の顔で怖さを隠す。確認を口に出させる』
『スズ:我慢して倒れる。水を飲ませる。言い出せない時は選択肢を渡す』
……一行だけ、余白に小さく書かれている。
『今日は四人とも笑った。良かった』
その行を見つけた瞬間、スズが声を上げて泣いた。
「……うそ……。うそじゃない……。ユー、ほんとに……」
コウタの肩が震える。ミナトが唇を噛んで、目から涙を落とす。リリィは器を落としそうになりながら、俺を見上げた。
「……あたし……守られてたのに……嫌って……っ」
全員が、泣いた。
大泣きだ。子どもらしい、息が苦しくなる泣き方。
俺は、その泣きを止めなかった。止めたら、また“怖い”を押し込める。押し込めたまま進むと、次は死ぬ。
「泣け」
俺は短く言った。
「泣いていい。子どもはそういうもんだ。……でも、次は“帰れる”を選べ」
リリィが鼻をすすりながら、必死に言った。
「ごめんなさい……! ユー、かえってきてよ……! ねえ……!」
きた。
この瞬間が、この話の芯だ。
俺は一度、息を吸った。心臓が、変に早い。ここで曖昧にしたら、この子たちは“また他人に判断を預ける”。
預けたまま育つと、いずれ折れる。
俺は、線を引く。
「戻らない」
店の湯気が、少しだけ静かになった。
「なんで……!」
リリィの声がひっくり返る。コウタもミナトもスズも、同じ顔をする。理解したくない顔。
俺は言った。三段で。制度、成長、自尊。
「一つ。制度だ。俺は保護者枠を外された。接触制限対象だ。無断で合流すると、お前らが政治に巻き込まれる。誘拐だの反逆だの、面倒な札が首に掛かる」
ミレイが静かに頷いた。証人になる目だ。
「二つ。成長だ。俺が戻れば、お前らはまた俺に判断を預ける。預けたら楽だ。……でも楽は、強さじゃない。自分で決めて、自分で帰れるようになれ」
コウタが涙を拭いながら、声を絞る。
「……でも、俺ら、まだ……」
「だから今、ここで学べ。腹の作り方、補給の仕方、撤退の基準。……俺は教える。だが“保護者”には戻らない」
最後。
「三つ。自尊だ」
俺は自分の指先を見せた。薬草の染みが残っている手。
「俺は、俺の人生を取り戻す。責任で縛られて生きるのは、もう終わりにする。ここで店をやる。必要な人に届ける。――それが、俺が選んだ居場所だ」
沈黙が落ちた。
リリィの口が、何度も開いては閉じる。言葉にならない。悔しい。悲しい。理解したい。理解したくない。全部が混ざった顔だ。
ミナトが、か細く言った。
「……じゃあ僕たち、どうすれば……」
「帰れるようになれ」
俺は同じ言葉を繰り返した。
「行けるじゃない。帰れる。……そのために必要な飯と薬は、ここにある。お前らが望むなら、教える。だが――俺の人生は、俺が守る」
スズが泣きながら頷いた。
「……うん……。うん……。わたし……言う……。言う勇気、もつ……」
コウタが拳を握る。
「……俺、撤退、ちゃんと決める。……今度は、遅れない」
ミナトが目を赤くして、言った。
「……合理じゃなくて……怖いを、言う……」
リリィは、最後まで泣いていた。泣いて、泣いて、それでも口を開いた。
「……ユー。……ごめん。……ありがとう……」
その言葉は、たぶん、今できる一番の成長だ。
その瞬間、戸口の外で、監視の影が小さく動いた。ミレイが一歩前に出て、冷たく言う。
「記録はギルドと神殿に提出します。偽薬膳事故の件、宮廷薬師バルム・レグナードの関与が疑われます。――これ以上の妨害は、王都の問題になりますよ」
影は何も言わず、消えた。
―――
夜明け前。
子どもたちは店の座敷で眠った。腹が満ちると、ようやく眠れる。眠れると、少しだけ回復する。俺は火を落とし、記録帳に今日のことを書いた。
『四人とも泣いた。泣いて、食べた。少し前に進んだ』
―――
朝、店の前に新しい客が来た。
見知らぬ冒険者だ。傷だらけの腕をさすりながら、看板を見上げて言った。
「……ここが、くすり香か。昨日の事故、助かったって聞いた。……勝負前に寄る店、だって」
俺は湯気の立つ鍋を見て、息を吐いた。
「座れ。まず水」
客が苦笑する。
「噂通り、うるさいな」
「うるさいのは命綱だ」
店の奥で、リリィたちが目を覚ました。泣き腫らした目で、それでも自分の足で立つ顔をしていた。
ミズナ村の朝は、少しだけ明るい。
――ただし。
バルムが序章で終わるとは、俺は思っていない。
常識を盾にするやつは、ひとつ潰しても別の顔で戻ってくる。
だから、次も――帰れる線を守りながら、うるさく戦う。




