第7話、瓦礫の中で。4
それから、一週間が経過した。
美咲は、見つからなかった。
美咲の父親は、娘の帰りを待ち続けながら、瓦礫の町で、妻の遺体が見つかった場所を、毎日掘り起こしていた。悠真の父親も、未だ行方不明のままだった。
汐凪中学校は、校舎が損壊したため、隣町の体育館を借りて、授業を再開することになった。中学校の制服を着た生徒たちが、バスに乗って隣町へ向かう。
悠真と健太も、そのバスの中にいた。二人の間には、一週間の間にできた、深い溝が横たわっていた。
健太は、美咲の行方を尋ねる人々に、常に明るく振る舞った。「美咲は、きっとどこかで絵を描いている。あいつは強いから」と。彼は、美咲の生存を信じることで、自分の心を保っていた。
一方、悠真は、ほとんど口を開かなかった。美咲のスケッチブックを、肌身離さず持っていたが、それは美咲の「遺品」として、彼の心を締め付けていた。
隣町の体育館で、久しぶりに顔を合わせた担任の先生が、彼らに声をかけた。
「佐倉、小林。二人とも、美咲さんのこと、辛いだろう。でも、君たちは生き残った。生き残った者は、亡くなった人たちの分まで、生きて、この町を立て直さないといけないんだ」
その言葉に、悠真は反発を覚えた。「亡くなった人たち」の中に、美咲が含まれていることを、先生は知っているのだろうか。
健太は、先生に言った。「先生、俺は、まだ美咲が死んだなんて信じてません。美咲は、必ず帰ってきます」
先生は、健太の背中を優しく叩いた。「そうだな、信じよう。美咲さんは、君たちの心の中で、永遠に生きている」
その日、健太は、隣町の野球部のグラウンドで、一人、素振りを始めた。彼は、瓦礫の町で失われた「永遠」を取り戻すかのように、必死に白球を追いかけようとしていた。
悠真は、体育館の隅で、美咲のスケッチブックを開いた。美咲が描いた、母親の絵。その絵の横に、悠真は、鉛筆を走らせた。
(美咲、僕たちは、どうすればよかったんだろう?)
悠真には、絵を描く才能はない。ただ、美咲のスケッチブックに、心の叫びを書き綴ることしかできない。
その時、悠真は、美咲が描いた天使のスケッチを思い出した。それは、美咲が、理科の授業中に、ノートの端に描いていた、他愛のない絵だった。
美咲は、自分の「永遠」を、絵に託していた。その「永遠」は、瓦礫の町に飲み込まれてしまった。
悠真は、美咲が最後に残したメッセージを思い出した。「私、もう描くものがなくなっちゃったから。お母さんの顔をもう一度見ないと、筆が持てないんだ」。
美咲が、本当に描きたかったもの。それは、失われた日常。そして、その日常を構成していた、大切な人々の笑顔だったのではないか。
(僕が、美咲の代わりに、描くんだ)
悠真は、そう決意した。美術が苦手で、運動神経は健太に全部持っていかれた僕が、美咲の「永遠」を引き継ぐ。
悠真は、美咲のスケッチブックの最後のページを破り取った。美咲の母親の絵が描かれた、あのページだ。そして、悠真は、その裏側に、鉛筆で、新たな絵を描き始めた。
それは、青い自転車のサドルに跨がっている、僕たちの日常の風景。潮風が制服のブレザーの袖を撫で、美咲が白いソックスを翻しながら坂道を駆け下りてくる。そして、健太が、グローブを握りしめたまま、満面の笑顔を見せる。
三人で並んで走る、あの、当たり前の朝の光景。
悠真は、その絵を完成させると、健太のいるグラウンドへ向かった。
健太は、素振りを終え、汗を拭いているところだった。
「健太」
悠真は、健太に、美咲のスケッチブックから破り取ったその絵を見せた。
「なんだ、これ。美咲の絵か?」
「僕が描いた。僕たちの、最後の朝の風景だ」
健太は、その絵を見て、目を見開いた。
「…下手くそだな」健太は、笑いながら、そう言った。しかし、その目からは、一筋の涙が流れ落ちていた。
「ああ、知ってる。美咲には敵わない」
「なんで、これを見せたんだ?」
「健太は、美咲の分まで生きるって言った。僕は、美咲の分まで、描く。美咲が、もう描けなくなった、僕たちの『永遠』を」
悠真は、美咲の言葉を、自分の役割として引き受けた。それは、美咲を追いかけられなかった臆病な自分を、正当化するための、唯一の方法だった。
健太は、悠真の描いた絵を、じっと見つめた。
「…そうか。じゃあ、俺は、美咲の分まで、甲子園に行く。美咲が、俺たちの試合を、どこかで見てるって信じて」
二人は、再び、友情という名の絆を結び直した。それは、美咲の喪失という、あまりにも重い犠牲の上に成り立った、新しい「永遠」だった。
しかし、悠真の父親と美咲の行方は、未だわからないままだった。




