第6話、瓦礫の中で。3
瓦礫の町の捜索は、難航を極めた。健太は、その圧倒的な体力と、野球で培った粘り強さで、重い木材や土壁の破片を、次々と取り除いていった。
悠真も、健太の行動に引きずられるようにして、小さな瓦礫の除去を手伝った。しかし、悠真の心には、常に恐怖が付きまとっていた。瓦礫の下には、もしかしたら美咲の…あるいは、誰かの遺体が埋まっているかもしれない。その現実と向き合う勇気が、悠真にはなかった。
午前中いっぱい、二人は黙々と作業を続けた。商店街の真ん中で、かつて美咲と健太と悠真が、毎日通った駄菓子屋の、看板の残骸を見つけた時、健太は、思わず声を上げて泣いた。
「俺たちが、いつもここで、アイスを買ってさ…親父に内緒で、美咲の好きなチョコも買って…」
健太の涙は、美咲を失ったこと、そして日常を失ったことへの、純粋な悲しみの表れだった。
悠真は、ただ健太の背中をさすることしかできなかった。
昼過ぎ、消防団のOBが、彼らを呼び戻しに来た。
「中学生。もう十分だ。無理をするな。昼食を摂り、体を休めろ。捜索は、これから自衛隊が本格的に行う」
避難所へ戻る途中、悠真は、健太に尋ねた。
「健太は…美咲のお母さんを、探したいんだよな」
「当たり前だろ!美咲の、最後の希望だったんだぞ!美咲が、自分の命を懸けてまで探しに行ったんだ。俺たちが、それを放っておけるわけがない」
「美咲は…美咲のことは、どう思ってる?」
健太は、歩みを止め、悠真を強くにらみつけた。その目には、朝見た怒りの炎とは違う、軽蔑にも似た感情が混ざっていた。
「悠真、お前は…美咲を、死んだと思ってるのか?」
「…わからない。でも、あの瓦礫の山だ。携帯の電源が入っていても、それは…」
「諦めるのか!? お前は、美咲の親友だろ!? 美咲は、お前の手を振り払ってまで、俺たちに生きてろって言って、行ったんだ! 俺たちは、生きて、美咲が帰ってくる場所を作っておかないといけないんだよ! 美咲は、画家になるんだぞ! あんなところで死ぬわけがない!」
健太の言葉は、自己暗示のようだった。美咲が生きていると信じなければ、美咲を置いてきた自分たちを、許せない。
「…美咲は、俺に『ただ立ち尽くしてるわけにはいかない』って言った。僕は、あの時、美咲を追えなかった。僕には…美咲を助ける資格なんてないんだ」
「資格なんて関係ない! 悠真、美咲がお前を責めたわけじゃない! お前は、ただ怯えただけだ! でも、怯えるのはもう終わりだ。俺たちは、美咲の分まで動かないといけないんだ!」
健太は、悠真の臆病さを責め、行動を促した。しかし、悠真は、その健太の強さについていけない。健太は、悲しみを怒りと行動力に変えることができたが、悠真は、悲しみと後悔を、ただ無力な沈黙として抱え込むことしかできなかった。
その瞬間、二人の間に、目に見えない深い溝ができてしまった。美咲という共通の存在を失ったことで、二人の友情は、崩壊し始めていた。
避難所での生活は、絶望と混乱の極みだった。
食料や水は不足し、情報の混乱は人々の不安を煽った。悠真の母親は、隣町の病院で無事が確認されたが、父親は未だ行方不明のままだった。健太の父親は、工場が全壊したものの、従業員と共に裏山に避難し、夜遅くに避難所へたどり着いた。健太は、泥だらけの父親と抱き合い、号泣した。
悠真は、その親子の再会を、遠くから見ていた。健太には、まだ「生き残る」ための家族が残されていた。しかし、悠真の父親は、行方不明。そして、美咲も。
その夜、悠真の母親が、自衛隊のヘリコプターで汐凪神社に到着した。母親は、悠真の顔を見るなり、涙ながらに抱きしめた。
「悠真…!よかった、生きてたのね…!」
「母さん…」
「お父さんは? お父さんはどこにいるの?」
悠真は、首を振ることしかできなかった。「わからない。携帯も繋がらない。捜索隊が、明日から本格的に探してくれるって…」
母親は、悠真の無事に安堵しつつも、夫の不在に深い悲しみを滲ませていた。
翌日。本格的な捜索活動が開始され、瓦礫の中から、次々と遺体が収容され始めた。そのニュースが避難所に流れるたびに、人々の間に、重い静寂が広がる。
悠真は、美咲の安否確認の受付が始まるのを、ひたすら待った。健太は、美咲のスケッチブックを握りしめ、ひたすら祈っていた。
そして、午後。美咲の父親が、漁から戻ってきた。
彼は、津波警報を受けて船を沖に出し、津波の難を逃れたのだという。彼の表情は、日焼けした漁師の顔ではなく、疲れ果て、そして、最愛の家族の安否を案じる、ただの父親の顔だった。
美咲の父親は、避難所で健太を見つけ、美咲の行方を尋ねた。
健太は、美咲が瓦礫の町へ向かったことを、スケッチブックを見せながら、美咲の決意と共に伝えた。
美咲の父親は、何も言わなかった。ただ、瓦礫の町を見下ろす高台に立ち、長時間、海を見つめていた。その背中は、この世のすべての重荷を背負っているようだった。
その日の夕方、美咲の母親の遺体が、瓦礫の下から発見された。彼女は、二階に上がろうとしていた形跡があったが、津波の衝撃に耐えられなかったようだ。
美咲の父親は、崩れ落ちた。美咲の母親は、美咲の「永遠」だった絵を描く場所と、そして、美咲の母親自身が、「永遠」を失ってしまった。
美咲の捜索は続く。だが、美咲が瓦礫の町へ消えてから、すでに一日以上が経過していた。
悠真は、美咲の安否を知るのが怖かった。美咲の無事を願う一方で、もし、美咲が、瓦礫の下で母親の遺体を見つけ、そのショックで逃げ遅れたのだとしたら…
美咲を追いかけなかった自分の臆病さが、美咲の死に繋がったのではないかという自責の念が、悠真の心を蝕んでいった。
その夜、健太が悠真に近づいてきた。
「悠真、美咲の父親は、俺たちが美咲を止めたことを、感謝してくれた。『あの子は、自分一人で行きたかったんだろう』って」
「…そうか」
「でも、俺は…俺は、まだ諦めてない。美咲は、俺たちに生きてろって言ったんだ。俺たちが、美咲の分まで、この町で、生き残らないといけないんだよ」
健太は、美咲のスケッチブックを悠真に手渡した。
「これは、お前が持っておけ。美咲の『永遠』だったものだ。俺は、明日も探す。美咲が、まだどこかで、絵を描く場所を探していると信じてる」
健太の言葉は、悠真には、偽善に聞こえた。美咲は、もういない。健太は、自分の罪悪感から逃れるために、美咲の生存を信じようとしている。
悠真は、スケッチブックを握りしめ、健太に言った。
「健太は、強いな。僕は…僕は、美咲の顔を見るのが怖い」
「…お前は、ただ立ち尽くしてるだけだ。美咲の言葉を、永遠に背負って、動かないつもりか」
健太は、それだけ言うと、悠真に背を向け、避難所の暗闇に消えていった。
悠真は、美咲のスケッチブックを胸に抱いた。美咲が描いた、母親の穏やかな笑顔。そして、美咲の「やくそく」。
(美咲、僕たちは、もう、三人じゃなくなっちゃったのかな?)
悠真は、瓦礫の町へ向かう急な坂道を見つめた。あの時、一歩踏み出せなかった臆病な自分が、美咲との「永遠」の友情を、自ら断ち切ってしまったのだと、悠真は悟った。




