第10話、海が連れ去ったもの。3
高校を卒業し、悠真は、美咲の父親の漁港で働いていた。彼の描いた汐凪町の絵は、町の仮設事務所や、避難所に飾られ、人々の心を癒やしていた。
ある夏の朝。悠真は、いつものように、漁港で船の準備をしていた。潮風が、彼の制服のブレザーの袖ではなく、漁師の作業着の袖を撫でていく。
「悠真、早くしないと遅れるぞ!」
美咲の父親が、悠真に声をかけた。彼の声は、美咲が悠真を呼ぶ声に、どこか似ていた。
悠真は、青い自転車に跨がっていた。それは、瓦礫の中から見つかり、修理された、悠真の自転車だ。サドルに跨がり、海岸沿いの通学路を、漁港へ向かう。
その通学路は、以前とは違う。真新しい防波堤が築かれ、道路も舗装されている。家々は、まだすべてが建ち直されたわけではないが、新しい生活の息吹が感じられた。
悠真は、ふと、美咲の家があった場所を見た。そこには、小さな公園ができていた。その公園のベンチには、美咲の母親の笑顔の絵が、モニュメントとして飾られていた。
悠真は、自転車を止め、その絵を見つめた。
「美咲…」
悠真の心の中で、美咲の声が聞こえた。「悠真、早くしないと遅れるよ!」。
悠真は、美咲の「永遠」を、自分の心に刻み込み、新しい日常を歩み始めていた。
その時、悠真の携帯電話が鳴った。健太からだった。
「悠真、聞いたか? 俺、ドラフトで指名されたぞ!」
健太の弾んだ声が、悠真の心を揺さぶった。健太は、美咲との約束を果たした。
「おめでとう、健太! 美咲も、きっと喜んでるぞ!」
悠真は、美咲のスケッチブックを開いた。最後のページには、美咲の母親の絵と、悠真が描いた、美咲の笑顔の絵が、並んで貼られていた。
悠真は、海を見つめた。穏やかな波が、砂浜を撫でる。あの日の津波の轟音は、もう聞こえない。
海は、すべてを連れ去ったが、同時に、悠真と健太に、新しい「永遠」を与えてくれた。それは、美咲の喪失という、あまりにも重い犠牲の上に成り立った、新しい日常。
悠真は、自転車を漕ぎ出した。潮風が、彼の頬を撫でる。カバンの中には、新しいスケッチブック。その重みは、この先の未来を保証する、心地よい重さだった。
悠真は、心の中で、美咲にさよならを告げた。それは、悲しいさよならではなく、新しい始まりの、希望に満ちたさよならだった。
(美咲、さよなら。そして、ありがとう)
悠真は、太陽に向かって、青い自転車を漕ぎ続けた。彼の背中には、美咲の「永遠」が、そして、健太との新しい友情が、輝いていた。




