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千の貌(トリックスター)


森の木々が静かにざわめく中、田中太郎改め――クトゥル=ノワール・ル=ファルザスは、ゆっくりと歩みを進めていた。


「…(まずい…出口が分からん……)」


しかし、彼の足取りは迷いがなかった。否、実際には迷っていたのだが、正直に迷ったと言えば、恥をかくと判断したクトゥルはとりあえず前に進んでいた。


エリザベートは何も言わず、クトゥルに視線を常に浴びせつつ後ろを歩く。


異形の禍々しい外見と威圧的な雰囲気が幸いし、エリザベートには自信に満ちた歩みに見えているようだった。


「(道には迷ったけど…今のところ、良い感じに異世界生活が進んでいるな…)」


邪神の見た目とロールが功を奏し、彼は仲間を得た。


それも、並の仲間ではない。真祖の吸血鬼であり、邪神の信者たるエリザベート=ド=アビスローゼ。


彼女の忠誠心は絶対であり、クトゥルに対して崇拝とも狂気ともとれるほどの執着を見せていた。


無数の眼の一つが、彼女の姿を捉える。


クトゥルの傍らを静かに歩くエリザベート。


その長い黒髪は夜闇のように揺れ、赤い瞳は冷たい光を宿していた。


表情には一切の感情がないように見えるが、その唇はわずかに弧を描き、何かを期待するかのようだった。


迷っていたクトゥルだったが、適当に歩いていると光が見える。


「(やっと出口だ)」


森の出口まであと数十メートルと迫ったその時だった。


彼女はふと足を止めた。


クトゥルは僅かに歩を進めた後、異変に気づいて振り返る。そこにはじっとこちらを見つめるエリザベートの姿があった。


静寂が森を包む。


まるで、この瞬間だけが切り取られたかのように。


クトゥルの異形の瞳が微かに揺れる。彼女の赤い瞳には、計り知れない何かが宿っていた。


「ん?…どうしたエリザベート…(な、何か…ミスしたか…?)」


クトゥルは内心警戒しつつも、落ち着いた口調を保つ。彼女が突然立ち止まった理由を探るべく、幾つもの眼で彼女を観察した。


エリザベートはじっとクトゥルを見つめたまま、静かに口を開く。


「邪神クトゥル様は、私にとって尊き神です。…ですが、クトゥル様を信仰することのできない輩がいるのも事実…。尊き姿で外に出れば、面倒ごとになりかねないかと…」


「私は大歓迎なのですが」と付け加える。


突如として投げかけられた問いに、クトゥルは僅かに動揺した。


「(え…?た、確かに…この見た目で外を出るのは…まずいか…?)」


確かに、森の外には人間の町や道が広がっている。この異形の姿のまま進めば、パニックを引き起こすのは目に見えていた。


自分の姿とは――無数の眼が蠢き、禍々しい触手に覆われた異形の怪物。


その恐ろしい外見を前に、まともな人間が平静を保てるはずがない。


おそらく、冒険者たちが、大群を引き連れクトゥルを討伐しに躍起になる可能性がある。


だが、クトゥル本人は戦闘能力は皆無だ。必然的に、戦闘はエリザベートに任せることになる。


ただ、毎回エリザベートに戦闘を任せていたら、彼女に不審に思われる可能性すらある。


「(しかし、俺に選択肢などあるのか…?)」


「クトゥル様の力によって姿を変えられるのではないでしょうか…?」


「(え…?俺って姿変えられるのか…?)」


エリザベートの言葉にクトゥルは冷静を装いながら問い返す。


「我はまだ復活して間もない。エリザベート…我は姿を変えられるのか…?」


頷くエリザベートは無言のまま、ゆっくりとローブの内側から一冊の古びた本を取り出した。


黒革の表紙は年月を経たように鈍く光り、縁は擦り切れ、ページの端には無数の付箋が貼られている。彼女が大切にしていることが、一目で分かった。


「……?」


クトゥルは無数の眼で、その本を凝視する。


エリザベートは手際よくページをめくり、ある一文を指差した。


そこに描かれていたのは、まさしくクトゥルそっくりの異形の存在。


無数の眼、蠢く触手、恐怖を煽る威圧的な姿……。


「(完全に俺じゃないかっ)」


クトゥルは本の挿絵に目を奪われた。絵の横には、奇妙な文字が並ぶ。そして、エリザベートの指が示した部分に刻まれていたのは、たった一文。


『邪神は千の貌を持ち、変幻自在にその姿を変える』


クトゥルはじっとその文字を見つめた。


「(まさか、この肉体に初めからスキルが備わっているのか…?)」


彼は静かに息を呑み、ゆっくりと自身の内側へと意識を向けた。


――スキル一覧。


頭の中で確認すると、そこには確かに存在していた。


【トリックスター】


説明

――自らが思い浮かべた姿へと完全に変身できる。


……あった。


何の前触れもなくデフォルトで備わっていたこの能力に、クトゥルは目を瞬かせる。


「……(…思い浮かべるなら前世の自分をイメージした方が変身しやすいか…?)」


試しに、前世の自分の姿を思い浮かべてみた。


すると、クトゥルの全身が瞬時に粘液のように溶け、黒い球体へと変貌する。


球体はぼこぼこと膨らみ、内部で蠢くような不気味な音を立てた。まるで生き物が誕生するかのように。


数秒後、球体が収縮し、人の形へと変わっていく。

骨が組み上がる音、筋肉が繋がる感触。肌が張られ、髪が生え、指先の感覚が戻ってくる。


やがて、その場には、一人の青年が立っていた。


「……(お…?全裸じゃなくてよかった。都合よく学ランだ…。それに、肌が黒いけど、成功してるのか…?)」


クトゥルは水面へと歩み寄り、自らの姿を映し出す。


皮膚の色が若干浅黒くなったものの、それ以外は記憶の中の田中太郎そのものだった。


「(まんま…俺だ)」


手を開閉し、足を軽く踏みしめ、頬をつねってみる。

全てが違和感なく馴染み、まさしく「自分」と呼べるものだった。


しかし。


フトモモの間にあるはずのものが……ない。


「……おおう……」


違和感に気付き、そっと指を滑らせる。


……ない。


何度確認しても、どれだけ触れても、あるべきものがどこにも存在しない。


「…………(マジかよ……)」


無意識に顔を覆った。


「………」


エリザベートの動きが、まるで時間が凍りついたかのようにピタリと止まった。

 

紅い瞳が、じっとクトゥルを見つめる。

 

その視線は鋭く、強い意志を秘めていた。


異形の邪神から、今まさに人間の姿へと変貌を遂げたクトゥルは、その熱量を帯びた視線に、うっすらと冷や汗を滲ませる。

 

「(な、なんだ……?)」

 

困惑しながらも、2つの眼を開き、エリザベートの表情を慎重に観察する。

 

怒っているのか?それとも、呆れているのか?

 

もしかして、信仰心が揺らいだのではないか――そんな不安が脳裏をよぎる。

 

前世の自分の姿に変身するという選択は、正解だったのか?

 

この世界には存在しない顔立ちだとは理解していたが、それがエリザベートにとって「想像を絶する凡庸さ」として映った可能性もある。

 

「(いや、待て……! まだ何も言われてない!)」

 

焦燥感を押し殺しながら、クトゥルは希望を抱く。

 

どうか、信仰心だけは失わないでほしい。

 

この吸血鬼の狂信的な忠誠心は、今後を生き抜く上での重要な戦力なのだ。ここで「思っていたより普通ですね……」などと言われてしまえば、彼の中二病的威厳は根底から崩壊しかねない。


「どうした…エリザベート…」


クトゥルは、今まで以上に低くゆっくりとエリザベートを見る。

エリザベートは、ヒールを履いているのもあるが175cmあるためクトゥルは見上げる形となる。


「……クトゥル様……」

 

次の瞬間、エリザベートの口元がわずかに震えたかと思うと、恍惚とした吐息が漏れた。

 

「……なんと……神々しい……」

 

彼女の頬が、じわりと紅潮する。

 

「(えっ?…神々しいの…?)」

 

クトゥルの思考が一瞬、停止した。

 

「……人間の姿でありながら、異界の気配を色濃く宿しておられる……この世ならざる存在……!」

 

エリザベートは胸に手を当て、尊敬と陶酔の入り混じった表情で、再びクトゥルを見つめた。

 

「(いや、これはただの前世の俺の顔なんだが……)」

 

だが、そんな言葉を飲み込む。

 

クトゥルは、褒められているのかどうか分からず、何とも言えない気持ちになった。



―――



静寂の帳が降りる頃、クトゥルとエリザベートは静かに野宿の準備を整えていた。


深い闇の中、空には細く欠けた三日月が浮かび、冷たい銀の光が樹々の間からこぼれ落ちる。


微かな風が枝葉を揺らし、ざわめく音が夜の静寂を際立たせた。遠くで獣の遠吠えが響き、そのたびに周囲の闇が一層深く感じられる。


「ファイア」


短い呪文をエリザベートが呟くと、簡単に火がつき焚火が完成する。


「(俺も火つけたいけど、焚火の音しか出せないんだよなぁ…)」


焚き火の光がちらちらと揺れ、エリザベートの長い黒髪が炎に照らされるたびに艶やかに輝く。


彼女は無言のままローブの端を軽くつまみ、それをゆっくりと肩から滑り落とした。


次の瞬間、そのローブはまるで生きているかのように波打ち、闇色の靄をまといながら形を変えていく。


まるで禍々しい生命を宿したかのように、赤黒い布は滑らかに変形し、やがて一つの大きなベットへと姿を変えた。


クトゥルはその様子を眺めながら、思わず心の中で驚愕する。


「(何だ、そのローブ…便利すぎるだろ…!?)」


だが、表情には出さない。


クトゥルはあえて余裕のある態度を装い、低い声で嘯く。


「……クク……そのローブに宿る禍々しきオーラ……素晴らしいな…」


彼の声に、エリザベートは静かに微笑んだ。その赤い瞳が、まるで慈愛に満ちた信仰者のように細められる。


「ふふ。懐かしいですか…このローブ…?」


「(え…?懐かしいって何…?)」


突如として向けられた言葉に、クトゥルは動揺を覚えた。


彼の記憶には、このローブのことなど一切ない。


そもそも、彼は転生してきたばかりなのだ。だが、ここで正直に「知らない」と答えるのは最悪の選択肢だろう。


彼は慌てて表情を引き締め、あくまでも余裕のある邪神を演じる。


エリザベートはそんな彼の反応を気にすることなく、ゆっくりとベッドを擦りながら、恍惚とした表情で続けた。


「この˝混沌のローブ˝は、邪神様が私たちアビスローゼ家の信仰の褒美として頂きました…これは、アビスローゼ家の家宝なのです。」


クトゥルの思考が一瞬停止する。


「(そ、そうなの…?いや、俺は知らないけど…!?)」


しかし、信仰心に満ちた彼女の眼差しを見て、冷や汗をかきながらも咄嗟に答えを返す。


「……そ、そうであったな……」


取り繕うように頷いた瞬間、彼は倒木にもたれかかり、ひそかにため息をついた。


やれやれ、また一つ嘘を重ねることになってしまった。


しかし、その安堵も束の間――クトゥルはふと、背筋にぞわりとした感覚を覚える。


視線だ。


焚き火の向こう側から、じっと自分を見つめるエリザベートの眼差しを感じる。


クトゥルはゆっくりと顔を上げた。


そこには、崇拝と歓喜に満ちた赤い瞳があった。


「……明日は早い…寝ろ。我は眠る必要がないから気にすることはない。」


低く命じた声が、夜の静寂を切り裂く。


その言葉に、向かい側に座るエリザベートが小さく肩を震わせた。焚き火に照らされた彼女の赤い瞳が、一層熱を帯びる。


「ですが、私はクトゥル様のお姿を常に目に焼き付けて――」


熱を込めた崇拝の言葉。しかし、クトゥルはそれを遮るように、わずかに視線をそらしながら、さらに低く言い放つ。


「寝ろと言っている(ずっと見つめられるのは…何か、恥ずかしいし)」


言葉には威厳を込めたつもりだったが、内心は微妙な居心地の悪さを感じていた。


エリザベートは一瞬、名残惜しそうに視線を彷徨わせた。しかし、やがてゆっくりと瞼を閉じる。


だが、彼女は完全に眠るつもりはないらしい。僅かに身体を丸めながらも、なお警戒を解かぬ姿勢を保っている。


指先はローブ(ベッド)の端に添えられ、今にも動き出せるような態勢のままだった。


クトゥルはため息をつくと、焚き火の明かりを背にし、目を閉じた。


――しかし、睡魔は訪れない。


そもそも、この身体に睡眠欲はないのだ。


転生してからというもの、一度も眠気を感じたことはなかった。

人間の姿に変身しても、それは変わらない。


「(睡眠欲も、食欲も、性欲も……全然感じない)」


完全な無欲――それが、この異形の身体の本質なのだろうか。


ならば、とクトゥルは思考を巡らせる。


「…さて(……トリックスターのスキル、どこまで使える?)」


彼は静かに身を起こし、エリザベートから少し距離を取ると、深く息を吸い込んだ。


そして、意識を集中させる。


――彼の肉体が、ゆっくりと変化を始める。


――まずは、異形の姿に戻る。


クトゥルの身体が一度球体へと変化し、ぐにゃりと歪み、骨格が変化する。人間の形を保っていた肉体は瞬く間に赤黒い触手に覆われ、無数の眼がうごめく禍々しい怪物へと変貌していった。


「(やっぱり、この姿が一番しっくりくるな……)」


相変わらず、放つ威圧感は凄まじい。人間が見れば卒倒するほどの恐怖を与えるであろう、忌まわしき外見。


とはいえ、それだけだった。


強大な力が湧き上がるわけでもなく、スキルが強化されるわけでもない。

ただ、不気味な異形の怪物に戻っただけだった。


クトゥルは無言で首を横に振り、再び意識を集中させた。


――次は、邪神の姿から犬の姿へ。


変化はすぐに起こった。クトゥルの体は縮み、四肢が細く引き締まり、毛並みが生える。


黒い毛に覆われた身体は狼のようにも見えたが、どこか垂れた耳が間抜けな印象を与える。


しばし、前足――いや、前脚をじっと見つめる。


「(……何か、思ってたのと違う)」


もっと獰猛でカッコいい狼になれると思ったのに、どう見ても普通の犬。強そうな気配は一切ない。


「(想像力を上げればだな)……次」


小さく呟くと、クトゥルはさらに姿を変えた。


――ドラゴン。


瞬間、犬の身体が一気に巨大化し、鱗が生え、背中から巨大な翼が広がる。

太い尾が地面を叩き、鋭い爪が月明かりに照らされて光る。


「(おお、これは)」


クトゥルの心が一気に沸き立つ。


「(ドラゴンだぞ、ドラゴン! これなら絶対強いはず!ドラゴンなら火を吹けるだろうっ!)」


興奮を抑えきれず、クトゥルは大きく息を吸い込む。

そして――


――ゴフゴフッ。


……ただの咳だった。


思い切り息を吐いたはずなのに、火どころか煙すら出ない。


「(……え?)」


混乱しつつ、再び息を吸い込む。今度こそ、炎を吐き出すつもりで。


――ゴフゴフゴフゴフッ!!


……喉を痛めただけだった。


周囲に立ち込めるのは、ドラゴンのブレスではなく、ただの苦しそうな咳の音。


「…………」


しばし沈黙が落ちる。


クトゥルは口元を押さえながら、目を細めた。


(……クソッ、俺のドラゴン、火を吹けねぇのかよ)


夢と希望に満ち溢れた変身実験だったが、すでに先行きが不安になってきた。


「(くそっ……何かの間違いだ……)」


クトゥルは焦りを抑えきれず、すぐさま次の姿へと変化することを決めた。


今度は――トロール。


禍々しいドラゴンの姿は霧散し、みるみるうちに体が膨れ上がる。皮膚はごつごつとした岩のようになり、筋肉が隆々と盛り上がる。


手は巨大なシャベルのように分厚く、まさに圧倒的な腕力を誇る見た目だ。


「(よし……これなら流石に……)」


クトゥルは試しに拳を握りしめ、目の前に生えている大木を見据えた。


振り上げた拳に、みなぎる自信。


――そして、全力で叩きつける!


――ドスッ。


「……っ!?」


衝撃が走ったのは木ではなく、自分の手の甲だった。

拳が当たった瞬間、ジンジンとした鈍い痛みが広がる。


木は――微動だにしない。


「(……なんでだよ)」


クトゥルは拳を見下ろす。

岩のように見えるが、実際のところ、ただの柔らかい肉だったのかもしれない。


「(いや、そんなはずは……)」


納得がいかない。


もう一度。今度こそ渾身の一撃を込める。


体勢を整え、腕に全力を込める。

鋼鉄の意志を乗せた拳を振り下ろした――!


結果は変わらなかった。


木はまったく揺れず、今度は拳だけでなく、腕全体が痺れるように痛む。


「…………」


しばし沈黙。


「(いやいや……おかしいだろ、これ……)」


視線を手に落とし、思わず頭を抱える。


見た目は確かにトロールだ。誰がどう見ても、強靭な怪物そのものだ。

だが、パワーは一切ない。


力は、人間と変わらない程度。


――何かがおかしい。


ただの違和感ではない。

転生した時から、ずっと薄っすらと感じていた疑念だった。


今までは深く考えずにいたが、改めて意識すると、どうしても腑に落ちない。


改めて自分の身体を見下ろす。

今の姿はトロール――屈強な肉体を誇る怪物だ。


厚い筋肉、岩のような皮膚、そして二メートルを超える巨体。


本来なら、ただ立っているだけで地面が沈むような重圧を感じるはずだった。

だが、どうも軽い。


この巨体のまま歩いても、足元の草がわずかにしなるだけ。

地面の沈み込みもなければ、身体を動かす際の重みも感じない。


「(いや、いくらなんでもおかしいだろ……)」


クトゥルは半信半疑のまま、その場で軽く膝を曲げ、試しにジャンプしてみた。


グンッ――!


その瞬間、ふわりとした感覚が身体を包む。

驚くほど軽い跳躍だった。


トロールの巨体のままで、まるで風に乗るように宙へと舞い上がる。

視界が一瞬、木々の梢の高さまで上がり、すぐに下降する。


そして――


カサッ


着地した。


草を踏む、かすかな音だけが静寂の森に響く。

地響きもなければ、土が抉れる様子もない。


クトゥルは目を見開いた。


「……(ま、まさか…体重って前世のまま…?)」


信じがたい結論が、頭の中に浮かび上がる。


もしこれが事実なら――彼がどんなに100メートルの巨大な怪物に変身しようとも、その重量は変わらないということになる。


つまり、トロールになろうがドラゴンになろうが、邪神になろうが、その質量は……前世の高校生のまま。


クトゥルは愕然としながら、空を見上げた。


静かな夜風が、森の木々をわずかに揺らしている。


「(トリックスターも、結局見た目だけが変わるだけか…こんな、クソみたいなスキルだったとは……!)」


心がじわじわと沈んでいく。

期待していたものとは、あまりにもかけ離れていた。


恐怖を与えるだけの邪神。

火を吹けないドラゴン。

非力なトロール。


見た目だけの張りぼて


変身ができるだけで、力は伴わない――。


このスキルで何ができる? どう戦えというのか?


「(……俺、どうすんの?)」


クトゥルはゆっくりと天を仰ぐ。


夜空は、どこまでも澄んでいた。

だが、その美しさが、余計に現実の無情さを際立たせる。


クトゥルの無力な嘆きすら、すべてを飲み込むかのように――。






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