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混沌の信者



森の闇は深く、木々の間を駆け抜ける冒険者たちの荒い息遣いと、枯葉を踏みしめる音だけが響いていた。


漆黒の夜に包まれながら、彼らはただ必死に逃げていた。


そのうちの一人、筋骨隆々の若い戦士が突如として足を止めた。


肩で息をしながら、戦場で培った勘が警鐘を鳴らす。この場にあるはずのない、異質な気配を感じ取ったのだ。


「……っ!お、おいっ!!逃げるぞ!」


 彼の視線の先、月明かりに照らされた道の真ん中に、ぽつんと佇む一人の女がいた。


長く漆黒の髪を垂らし、その顔は影に覆われている。


冒険者たちが恐怖に駆られ必死に逃げる中、彼女だけがまるで無関心のように静かに立ち尽くしていた。


戦士は歯を食いしばりながら、苛立ちを滲ませた声で叫ぶ。


「……何か用かしら…?私、今忙しいのよ……」


「い、忙しいって……お前、あれが見えねぇのかよ!」


戦士は震える指で背後を指し示す。そこにいるのは――


闇より生まれし混沌の異形。


無数の眼を持ち、赤黒い触手が蠢く怪物。


常人ならば、その姿を見ただけで正気を失いかねないほどのおぞましい存在。


それが、静かに、じっと彼女を見つめていた。


しかし、女はその怪物――田中太郎を見ても、眉一つ動かさなかった。まるで、長年待ち望んでいたものを見つけたかのように。


彼女の赤い瞳が、かすかに喜びに震えた。


「あんな…化け物っ…見たことがねぇ!?」


その言葉に、女がピクっと、わずかに反応した。


「……化け物?」


低く、静かに、まるで言葉を味わうように繰り返す。


「そうだよ!こんなところいたら…殺される!さっさと逃げるぞ!」


「そ、そうですっ。醜い化け物ですよ…早く逃げましょうっ」


「ほらっ…手を掴めっ。逃げるっ――」


焦燥した冒険者の一人が、女の手を掴み、無理やり引っ張ろうとする。

その瞬間、女は人差し指を冒険者の額に押し当てる。


「サンダーボルト」


冷たい声とともに、眩い雷光が弾けた。


バチンッという音と共に、一筋の雷撃が冒険者の頭を突き破る。


瞬時に貫かれた男の瞳は驚愕に見開かれたまま、言葉を紡ぐ暇もなく、その場に崩れ落ちる。


「―――…」


血は流れなかった。あまりにも精確で鋭い雷撃が、彼の生命を瞬時に断ち切ったのだ。


「…私に触るな…ゴミが…」


「ひっ!?……」


その光景を目の当たりにした他の冒険者たちは、絶叫しながら一斉に逃げ出した。


しかし、女は動じることなく、冷ややかに人差し指を持ち上げる。


「サンダーボルト」


再び、雷光が迸った。


電撃が次々と冒険者たちの頭を撃ち抜き、彼らはまるで糸が切れた操り人形のように地面へと崩れ落ちていった。


「サンダーボルト」


悲鳴が一瞬のうちに掻き消え、静寂が戻る。


「…ふぅ…」


女は、倒れた死体を踏みしめながら、静かに前へと進んだ。

まるで路傍の石を踏むかのように、無造作に、躊躇いもなく。


戦慄に染まった静寂の森の中、赤い瞳がちらりと覗いた。


その視線は、ただ一人、闇に蠢く異形へと向けられる。


太郎は息を呑んだ。


全身に張り巡らされた無数の眼が、恐怖に揺らめき、ギョロギョロとせわしなく動く。


「ククク…娘…貴様の魂はうまそうだな…我に魂を食されたくないというなら――(え?)」


「ふふ………」


邪神ロールで目の前の女を撤退させようとする太郎。それなのに、女の歩幅が大きく、そして速足に向かってくる。


「っ!?(な、何で速足で来るんだっ!?)」


予想外の行動で動揺した太郎は体が硬直し、動かなかった。


動いたら殺される。


それは確信に似た直感だった。


女の纏う禍々しい気配が、森を支配する。


歩みを進めた女は、やがて太郎の前で足を止め、彼を見上げる。


淡々とした仕草、規則正しい呼吸。

太郎相手に、恐怖や警戒など一切感じてないように思える。


「(うそだろ…何で逃げないんだ…?)」


女はゆっくりと両手を上げる。


太郎は死を覚悟し、思わず目を閉じた。


…終わる…。


眼を開けた時には、体を鋭い雷撃が貫くだろう。

そんな未来が、太郎は予想できた。


太郎の脳内に走馬灯が流れ出す。


異形の存在に転生し、農民をハッタリで倒し、味覚の探求を楽しみ、5人の冒険者もハッタリで撃退した。


ハッタリで、逃げることができないだろう。


運命に身を任せ受け入れるしかない。


彼が覚悟を決めた。その時だった。


「お迎えに上がりました…」


その言葉に、時間が凍り付き、太郎はゆっくりと目を開く。


そこには、ドレスからローブの姿に戻り、両手を祈るように組む女の姿があった。


「混沌の主…邪神様っ」


冷たい風が葉っぱを揺らし、月明りが2人の姿を淡く照らす。

静寂の中、狂気に満ちた甘美な声が響き渡った。




―――




女は、両手を胸の前で組み、両膝を地につけ、まるで祈るように異形の太郎の前に腰を下ろす。


その姿は、畏敬と狂信の入り混じった崇拝している信者のよう。


一方の太郎は、内心混乱していた。


「(な、なんだこれ……?)」


自分の巨大な体躯を前に膝をつくローブの女。


にも、関わらず彼女は微動だにせず、ただ静かに、恍惚とした空気すらまとっている。太郎は恐る恐る目を細めた。


女の髪がなびき、沈黙が続く。


女は答えない。ただ、静かに頭を垂れたまま、まるで神への信仰を捧げるかのように身を震わせている。


自分の異形の姿がもたらした影響なのか、それとも純粋な信仰心なのか──。


「(…こ、これは…死ぬことは…ない…?けれど、この子は俺を邪神と言った…ということは、普通に喋ったら…まずいかもしれない…よしっ!)」


太郎は冷静さを取り戻し、邪神ロールを始めた。


「我が恩寵を賜ることを許可しよう。顔を上げよ……!」


「…」


顔を上げるが、長い前髪で表情の判断がつかない。ホラー映画に出てくる女のようで、太郎は恐怖を覚える。


「(…ちょっと…顔見えないと表情が読めないから…怖い…)隠す必要はない……その仮初めの仮面を剥がし、真の姿を我に捧げよ。…」


太郎が命じると、女はゆっくりと長く垂れた前髪を指先で横に流すと大きな目の髪留めで止める。


赤い瞳が月光を受けて煌めいた。


その目の下には、かすかに影を落とすクマ。


両目の下には血涙のアザがある。


だが、それすら彼女の美しさを損なうものではなかった。陶器を思わせるような青白い肌に整った鼻筋、艶やかな唇。誰が見ても美しいと評する容姿。


さらに、女性らしいスタイル。

男なら見惚れる美しさだろう。


「(あぁ…すごい美女…男の象徴がないのが悔やむな)」


しかし、太郎の異形の体にはすでに性欲という概念がなく、単純に「美しい」と思うにとどまった。


「貴様に選択の余地はない。我が問うた瞬間、真実以外の答えは許されぬ……偽りは、即ち我への信仰を汚す背信の罪。――さぁ、魂を賭して応えよ……」


「…はっ…もちろんです」


「……貴様…名は…?」


「私はエリザベート=ド=アビスローゼと申します」


エリザベートは、嬉しそうに答える。

その声は透き通っていた。


貴族のような名前を直に聞いた太郎は、少し興奮を覚える。やっと異世界転生らしくなってきたと。


「……そうか」


呟いた太郎。女――エリザベートは輝く目で彼を見つめる。まるで、次の言葉を待っているように。


「(名前を聞いたらこっちも名乗るのが筋か…)」


太郎はしばし考え、決意したように頷いた。


今こそ、前世の仮の名を捨て、自らがこの異世界で生きる存在としての真名を明かす時。


「――我の真名を明かす時が来たようだな…心して聞け……この言のことのは、決して聞き逃すな。」


エリザベートが息を呑む気配がした。


「我こそ……混沌の邪の神…クトゥル=ノワール・ル=ファルザスっ」


太郎改め―クトゥルは中二病のポーズをとる。


「……っ!」


エリザベートは恍惚とした表情を浮かべ、恭しく名を口にする。


「…や、やっと真の名を聞けましたっ…クトゥル様……!」


崇拝の念をより強めたその声音に、クトゥルは、内心、心で冷や汗を流しながら、それらしく振る舞うことを決める。


「エリザベート…我は復活してまだ日が浅い。……この世界の真実を、余すことなく我に捧げるのだ……!(転生したばっかりだから、この世界について教えてくれよ)」


エリザベートはしっかり頷き、世界のことを話し始める。


「はい。この世界の名前は、ウロボロスです」


この世界には「ウロボロス」という名が冠されている。


名の由来は遥か昔、世界地図がまだ正確に描かれていた時代にさかのぼる。


その姿はまるで尾を噛んだ蛇――永遠の象徴とされるウロボロスそのものであり、その形が人々の記憶と伝承に刻まれた。


当時のウロボロスは、まさしくその名が示す通りの形状をしていた。


だが、長い年月が流れ、状況は変わった。大陸の一部は崩れ去り、噴火や地殻変動によって幾度も姿を変えた世界は、やがてその象徴的な形状を失った。


「クトゥル様と私がいるのは、この世界の中心近くにあるパルテの森です」


どこからか、地図を持ち出したエリザベートは、丁寧かつ分かりやすくクトゥルに説明する。


「…なるほど…。先ほどの弱き魂は…何者だ?冒険者と言っていたが…(本格的な異世界だなっ)」


「あぁ、あのゴミですね。あれらは、この森に隣接する町の冒険者ギルドから依頼を受けた者たちです。」


「冒険者…見極めることは出来るのか…?」


「はい。手首についている銅製のタグをご覧ください。あれ以外にも、銀、ゴールドなどのタグが存在し冒険者の証となっております」


「ふむ…(あのタグ…売れそうだな…)」


エリザベートの魔法の話に移る。


「さきほど魔法は見事であった。」


「……お褒めに預かり光栄です」


目を見開くエリザベートは嬉しさを噛みしめる。


「弱き魂どもは生きているのか…?」


クトゥルが言いかけると、エリザベートは愉悦に満ちた笑みを浮かべた。


「もちろん、クトゥル様へ無礼を働いたのです。地獄へと送ってさしあげました。」


背筋が凍る言葉だった。


「我の問いはここまでだ。」


「クトゥル様…私はお役に立てましたか…?」


「うむ…エリザベート。中々の信仰だ。この宿命さだめに抗うことなど許されぬ。我の影に従い、終焉まで付き従え……!」


「もちろんです。……」


「(よしよし…今の所、良い感じに話せているぞ…)」


「クトゥル様…失礼を承知でお伺いをしても…?」


「ふっ…我は魂が満たせて機嫌が良い…話せ」


「はいっ。先ほどのクトゥル様の力を拝見しました。魔力を感じさせず、脳を破壊する神の力…一体どんな魔法なのですか…?」


「……」


魔力を感じさせずに脳を破壊するその能力に、エリザベートは興味津々の様子で問いかける


「……(え?ど、どどどうする…?ここで俺が『実は、サウンドクリエイトという音を発生だけのスキルなんだぁ』って言うわけにも、いかない…それに、サウンドクリエイトって…ダサくね?)」


クトゥルは考える。

真実を話せば、エリザベートがどんな行動をするか予想がつかない。


クトゥルに失望し、殺されるかもしれないし、信仰は続け付き従うかもしれない。


どちらに転ぶかクトゥルには分からない。


「ククク……これは、我がソウルに刻まれし唯一無二の力。名を『オール・オブ・ラグナロク』っ!」


クトゥルは自分のスキルの名前を改名した。

彼は、偽りの真実を話したのだ。


「我が想像した現象を引き起こす邪神の力…地震を起こせと命じれば、母なる大地は喜びの地響きをあげ、雷を轟かせと命じれば、天の空が泣きわめくっ(うん。半分は本当だから…)」


「…す、すごいです…邪神様だけの力――オール・オブ・ラグナロク……!なんて素晴らしいっ……!」


エリザベートは感動に震える。彼女の目には、クトゥルが圧倒的な神性を帯びた存在に映っているのだ。


「エリザベート…喜べ。我の眷属となれるのだからなっ」


「はっ…真祖の吸血鬼。エリザベート=ド=アビスローゼ。クトゥル様に忠誠を捧げます」


「……(え、真祖の吸血鬼って…最強キャラじぇね…よっしあぁぁっ!?仲間っ…それに強キャラゲット!)」


言葉には出さなかったが、クトゥルフの無数の目が、にやけているが、エリザベートは気付いていなかった。


「クトゥル様…昨日は一体どちらに…?私…昨日もここに来たのですけど」


「…ふっ…ついて来い…(俺の作った自慢の家を見せてやろう…)」


クトゥルは、自信満々に自身の家に招待する。



―――




「…ここだ…」


「…?クトゥル様…ここは洞窟ですが…ま、まさか」


クトゥルは、狭い洞窟を見せる。


「…こ、ここがクトゥル様の居城………」


「…どうした?(…しまったぁっ!?エリザベートって、どうみても貴族じゃないかっ!?俺がここで寝泊まりしてるって、失望されかねないっ!)」


心の中で、滝の汗を流すクトゥル。しばしの沈黙が流れたが、エリザベートが沈黙を破った。


「…こんな…ありえません……」


「っ…(あ、終わったぁ…)」


クトゥルは死を覚悟すると静かに目を閉じた。


「邪神クトゥル様を、こんな汚い洞窟で寝泊まりさせるなんてっ!? い、いったい誰が…何を考えているのでしょう!?」


突如として響いた激昂の声。


クトゥルはぎょっとして振り返ると、エリザベートが憤怒に満ちた表情で洞窟を見ていた。


その長い黒髪がまるで生き物のようにうごめき、今にも暴れ出しそうだった。


「(え?)」


思わず戸惑うクトゥル。


彼にとっては、1人で作った自慢の寝床に過ぎなかったが、エリザベートにとっては看過できない状況だったらしい。


クトゥルは咄嗟に何とか誤魔化すことにした。


「……こ、ここより、数キロ先の人間が用意したのだ…」


彼が適当に口にすると、エリザベートは静かに目を細め、考え込むように呟いた。


「………それは、シセエカーポの奴ら、ですね…」


「?……うむっ!…しえせかーぽだ。」


クトゥルは内心冷や汗をかく。


何だその地名は。全く知らない。


適当な返事をしたものの、エリザベートの表情はさらに険しくなった。


「ちっ……あの地は薄汚い移民の田舎者どもが住んでましたね…許しません…」


ゾクリとした。


彼女の周囲の空気が一変し、まるで底知れぬ悪意が周囲に満ちていく。髪の間から覗く赤い目が、どこか嬉しそうに思える。


クトゥルはそっと目を逸らしながら、内心でシセエカーポの住人たちに謝罪した。


「(あぁ、ごめん。…しせかあーぽの人たち)」


彼らが人生を無事に過ごせることを願うばかりだった。


「シセエカーポの奴らを後で滅ぼすとして――クトゥル様っ」


氷のような瞳だったが、クトゥルを見たエリザベートは熱が籠っていた。


「ここよりもふさわしい地がございます。クトゥル様、どうか私の家へ」


「(うーん。特にやることないし…旅をするついでに、エリザベートの家に住まわせて貰うか)」


願ってもない提案にクトゥルは満足げに頷く。


「我が威光に相応しき居城であろうな…?」


「もちろんです」


「ふむ……ならば、案内せよ。」


威厳を保ちつつも、クトゥルは了承する。


こうして、太郎改めクトゥルは、エリザベートという信者を従え、彼女の住む地ユ=ツ・スエ・ビルへと向かうこととなった。




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