災いの居城
森の奥深く、昼下がりの柔らかな日差しが木々の間から零れ落ち、苔むした地面を淡く照らしていた。
その静寂を破るように、一人の女が森へと足を踏み入れる。
踏み入れるたび、ガサガサと草木をかき分ける。
ローブに草が擦れてもまったく気にすることがない。
彼女は、赤黒いローブを纏い、長い黒髪は、風に揺らめきながら、顔をほとんど覆い隠している。
その姿は、まるでこの世のものではないような妖しさを漂わせていた。
だが、そんな神秘的で不気味な装いの彼女が胸を高鳴らせている理由は、異形の存在に出会うためだった。
町の酒場で聞いた話。
森に、恐ろしき怪物が現れたという噂。
体長は六メートルにも及び、無数の眼を持ち、触手を蠢かせる。
それを聞いた瞬間、彼女の心は抑えきれない興奮に震えた。
もしそれが真実ならば。
もし本当に、そのような存在がこの世界にいるのならば。
それは、自らが長年求め続けた、使えるべき主の降臨に他ならない。
だが、どれだけ森を歩き回っても、それらしい痕跡は見つからなかった。
地面に異形のものが這った跡もなく。木々に巨大な影が触れた気配もない。
どこまでも広がる静寂。
期待に満ちた彼女の胸は、徐々に冷えていった。
「……いないわ…」
呟かれた言葉には、確かに落胆の色が滲んでいた。
農民の話は、やはり嘘だったのか。
気を引くための、戯言だったのか。
彼女は、しばし木々の間に視線を巡らせた後、ゆっくりと踵を返した。
しかし、彼女は決して諦めてなどいなかった。
たとえ今日出会えなかったとしても、
この世界のどこかに、己が探し求める˝主˝は必ず存在している。
ならば、今度は自らが見つけ出せばいい。
「ふふ。待つのは慣れているわ…待っていて下さい…」
女は静かに微笑むと、再び森を後にした。
その背中は、確かな信念に満ちていた。
―――
「ふぅ…」
一方、深い森を抜け、田中太郎はようやく洞窟へと辿り着いた。
生い茂る木々の隙間から差し込む日の光は、夕刻の訪れを告げるように淡く揺らめいていた。
小高い丘の側面にぽっかりと口を開けた洞窟は、長い年月をかけて自然が作り出した隠れ家のようにも見える。
「(……ここなら、とりあえずは雨風を凌げるな)」
自らの巨大な異形の身体をねじ込みながら、太郎は洞窟の奥へと進む。
思った以上に広さはなかったが、それでもこの身を横たえるには十分だった。
壁の表面はひんやりと湿っており、僅かに苔の匂いが漂っている。
鼻孔がないはずの自分が、そうした香りを感じ取れることに奇妙な感慨を覚えた。
「…(嗅覚は……やっぱり生きている)」
自問しながらも、太郎は思考を切り替えた。
まずは寝床の確保だ。
洞窟の周囲には草木が豊富に生えていた。
それを大量に集め、簡易的な寝床を作ることは造作もない。
何せ、太郎には触手がある。無数の触手が獲物を捕らえるように素早く動き、周囲の草を一気にかき集めていく。
「(おお……これは便利じゃないか!)」
無駄に器用な自分の動きに感心しながら、太郎は自作のベッドを洞窟の片隅に整えた。
柔らかな草が重なり合い、見た目にも寝心地が良さそうだ。太郎は満足げに頷きながら、その上に体を沈めた。
ふかり、と。
異形の肉体ではあるものの、確かな柔らかさを感じる。まるで高級ホテルのベッド――ほどではないが、野宿としては破格の快適さだった。
「(よし、これで一安心……)」
目を閉じ、安堵の溜息を漏らす。
しかし、眠れない。
眠気がまるで訪れないのだ。
いくら目を閉じようとも、太郎の意識は冴え渡ったまま。
「……」
転生してからまだ大して時間は経っていない。
しかし、疲労感はあっても、睡魔は一向に訪れない。
それどころか、腹の虫すら鳴らない。異形の体となった今、そもそも自分に「食欲」という概念があるのか分からない。
そして、もう一つ。
自分の体には男の象徴がない。
それが何を意味するのか、まだはっきりとは分からないが、少なくとも「性欲」というものとは無縁の存在になった可能性が高い。
「(……あれ? これって、もしかして……)」
改めて太郎自身に睡眠もなく、食欲もなく、性欲もない。
三大欲求のうち二つが消失し、唯一のこっている「睡眠欲」さえも感じない。
もしこの体が本当にそういう存在ならば
「……(『生きる』ってこと自体、必要なくなってるんじゃね?)」
ぼんやりと呟いた言葉が、洞窟の静寂に吸い込まれていく。
この異形の体は、一体どんな仕組みで動いているのか。
何のエネルギーで動いているのか、排泄はしないのか、血液は赤いのか。
不安と興味の狭間で揺れ動く心を抱えながら、太郎はひとまず、洞窟の奥へと視線を向けた。
「(……まあ、考えても仕方ない。とりあえず、しばらくここで過ごしてみるか)」
彼は異形の体を寝床に横たえる。
静かに、ゆっくりと、長い夜が始まる——。
―――
夜の帳が降り、森は静寂に包まれた。
洞窟の中、田中太郎は横になったまま苔のついた天井を仰いでいた。
転生してから数時間が経過したが、まったく眠気が訪れない。目を閉じてみても、意識は冴え渡ったままだった。
「……暇だ」
呟いた声は自身の異形の喉からくぐもった音となり、洞窟内に響く。
これまでに感じたことのない違和感がじわりと胸の奥に広がっていく。
眠ることができない。食欲も湧かない。性欲など論外だ。では、これから何を楽しみに生きていけばいいのか。
答えの出ない疑問を抱えたまま、太郎はふと外の様子を見ようと洞窟の出口へと向かった。
冷たい夜風が異形の皮膚を撫でる。目の前には、月光に照らされた穏やかな川が流れていた。
「……魚」
水面を覗き込むと、川魚が数匹ゆったりと泳いでいる。
夜の静けさに気を許しているのか、警戒心が薄れているようだった。
太郎は、試しに触手を伸ばし、流れる水を掻くようにして魚を絡め取る。すんなりと獲物は捕えられた。
イソギンチャクに捉えられた魚のように暴れても逃げることは敵わない。
「(そういえば、鼻がないのに匂いは感じるんだよな……)」
太郎は魚に顔を近づける。苔の匂いが、魚から僅かに香る。
ならば、味覚はどうだろうか。そんな好奇心が湧き、太郎は口元に大きな口を出現させる。川魚をひと口でかぶりと噛み締めた。
瞬間、体全体に衝撃が走った。
「味が…しないっ……!」
生臭さはほとんどなく、噛むたびにじんわりと苔の旨味が広がると太郎は想像していた。
しかし、匂いはするのに食べた瞬間、味が消えてしまった。
「…まっず…」
味のないモノがここまでまずいとは、人間の時の太郎には想像できなかった。。
「……」
太郎は試しに別のものも試してみることにした。
次に目をつけたのは森の果実だった。近くの木から鮮やかに実った果実を触手でちぎり取る。
ひと口かじると、果汁が弾け、甘酸っぱい風味が口内を満たした…とはならず、水を飲んでいるかのように味がしなかった。
「これも……味がしない……!」
次第に太郎の興味は狩猟へと向かった。
太郎が食べて味を感じる者を探すために。
獲物を探し、捕まえ、食す。
川魚、果実、野生のシカ。目に入るものを次々と捕食するが、食欲をそそるものでもなかった。
眠ることも、腹を空かせることもできない。
異形の体に転生した太郎にとって、それは絶望だった。。
「(俺は諦めない…き、きっと味のする食べ物があるはず…)」
太郎は決意の込めた目で、森で食べられるものを探していく。
―――
「新しい依頼です。冒険者の方々はご確認お願いします」
田中太郎が転生してから数日後、ギルドの掲示板に、新たな依頼が張り出されたのは、朝日がまだ低い時間帯だった。
ギルドの職員が古い依頼を剥がし、新しい紙を釘で打ちつける。
その音に、周囲の冒険者たちが興味を持ち、掲示板の前へと集まってきた。
動くたびに、冒険者たちの手首から銅製、銀製のタグ――ギルドタグが光る。
冒険者にとって、その身分を証明する「ギルドタグ」は、最も重要な装備と言える。
これは冒険者ギルドが正式に発行する認識票であり、各冒険者がギルドの一員であることを示すものだ。
タグは全て円形に近い楕円形で作られており、その裏には冒険者の名前と登録番号が刻まれている。
また、タグの素材は冒険者ランクによって異なり、遠目からでもその人物のランクが一目で分かる仕組みになっている。
「なんだ?また雑用系の依頼か?」
一人の冒険者の男性が掲示された依頼を読み上げる。
「何々…?依頼内容:パルテの森にて、魚、動物、果物が食い荒らされた痕跡が多数発見される。原因を究明し、必要であれば討伐せよ…だってよ」
「ブロンズランク対象…募集人数は5人。当たり前だけど、報酬額は大したことないわね」
「そりゃ…そうだ。…」
報酬額はそれほど高くはない。だが、それも当然だった。
この手の依頼は、大抵が野生の獣が森の作物を荒らしているだけの単純なものだからだ。
熊やイノシシの仕業である可能性が高く、討伐するにしても、大した脅威ではない。
「まぁ、ブロンズランク向けだしな…」
ブロンズランクは、冒険者として活動を始めたばかりの者たちのランクだ。
簡単な依頼、たとえば薬草の採取、簡単な運搬や周囲の小型魔物の退治などに限られる。
実力が不安定であるため、団体で活動することが推奨される。
「誰か一緒に行こうぜ」
そう呟きながら、5人のブロンズクラスの冒険者が名乗りを上げる。
彼らは比較的若い者たちで、それぞれ剣や弓、槍などの武器を携えていた。経験は浅いが、冒険者としての腕はそれなりにある。
「ま、クマなら楽勝だな。煮込みにでもするか?」
「鹿の肉も悪くないぜ…?」
「いや、鹿は動物襲わないだろ…?」
「僕は、毛皮にして装備にしたいですね…」
気楽な雰囲気のまま、彼らは依頼を受けると、簡単な準備を整え、夜になるとパルテの森へと向かう。
だが、彼らはまだ知らなかった。
その森に潜むのが、常識では測れない存在であることを。
―――
パルテの森に足を踏み入れた冒険者たちは、辺りを警戒しながら慎重に進んでいた。
闇が森の奥へと続いている。
風が吹き抜けるたび、葉擦れの音が囁くように響き、不吉な気配を漂わせていた。
彼らの目的は、この森で最近相次いでいる「異常な食い荒らし」の調査だ。
森の生態系が崩れかけているという報告が上がっており、町の猟師たちが恐怖に震えているという。
やがて、一行は目的の痕跡を見つけた。
地面には無数の草木が引きちぎられ、獣の骨が無造作に散らばっている。
しかし、その様子は異様だった。肉が削がれた跡があまりにも整然としており、自然の捕食とは異なる不気味な規則性を感じさせる。
「……なんか、おかしくねぇか?」
先頭を歩いていた屈強な戦士が眉をひそめ、低く呟いた。
「確かに。普通、獣が食い荒らした跡なら、もっと分かりやすい爪痕や噛み跡があるはずだ。」
別の冒険者が周囲を見回しながら答える。その言葉に、仲間たちも一様に頷いた。
「これを見ろよ……」
男が足元の骨を拾い上げ、仲間に見せる。
その骨は、まるで刃物で切り落とされたかのように鋭利な断面を晒していた。
「これ……まるで斧で切断してるみたいだね……」
若い弓兵が震える声で呟いた。
彼は慎重に骨を観察し、指で触れると、その滑らかさに身震いした。肉食獣が噛み砕いた跡とは明らかに異なり、まるで何者かが意図的に解体したかのようだった。
さらに目を凝らせば、地面には奇妙な跡が残されていた。
まるで無数の蛇が這い回ったかのような異様な筋が泥の上に刻まれ、その形は明らかに常識から逸脱していた。
「……こんな痕跡、今まで見たことがない」
誰かが震える声で呟いた。
不吉な静寂が森を包み込み、冒険者たちの背筋を冷たいものが走る。
その瞬間、彼らの背後で草が揺れた。
「誰かいるのか?」
一人が剣を構え、慎重に後ろを振り向く。しかし、そこには何の気配もなかった。
「気のせいか……?」
だが、違和感は消えない。
森の中は静かすぎた。鳥のさえずりも、虫の鳴き声も、まるで全てが息を潜めたかのように消えている。
すると、戦闘に立っていた戦士の男がピタリと足を止める。
それに続いて、冒険者たちが止まり、戦士の男を見る。
「…?どうしまし――」
「ん…どうし――」
そして、冒険者たちは、目の前にそれを見た。
夜の闇を切り取ったかのような赤黒い異形。
無数の眼がぐるぐると動き、不気味な音を立てる。
―――
静寂に包まれた森の奥深く、異形の怪物がうごめいていた。
田中太郎が、この世界に転生してから、すでに2日が過ぎていた。
朝、昼、夕の時間帯は特にすることもなく、彼は洞窟内に作った即席のベッドに横たわり、ただぼーっと時間を潰していた。
「そろそろ…行くか…」
眠気は感じない。空腹もない。だが、彼には唯一楽しみと呼べるものがあった。
それは――食の追求。
夜が更けると、太郎は森に入り、食べ物を求めて徘徊した。
「クククっ…我に見初められたのだ。…大人しくするのだな」
初めこそ手探りだったが、次第に効率的に獲物を捕らえる術を身につけた。川魚を触手で絡め取り、森の奥で熟した果実をもぎ、時には野生の鹿を仕留めることすらあった。
「…アム…ングング……(これも…まっず)」
熊に何て勝てないと思った太郎。だが、意外にも彼の姿を見た熊は動けずそのまま捕獲された。
両腕から伸びる触手でしっかりと熊を掴むと胸元に口を出現させ捕食する。
「クク…我…混沌の邪神なり…我の魂の一部となれ」
己の中二病を全開にしながら、彼は目の前の熊(獲物)に問いかける。
もちろん、返事が返ってくるはずもない。だが、それで良い。
太郎は孤独な存在なんだから…。
濃密な闇に包まれた深夜の森。月明かりの下、異形の怪物がゆっくりと顔を上げた。
無数の赤黒い触手がうねり、全身に散りばめられた不気味な眼球がぎょろりと動く。
「……な、んだ、こいつは……?」
―――
時刻は深夜。冷え込む夜気が森の木々を揺らし、不吉な気配を漂わせている。
パルテの森に足を踏み入れた五人の冒険者たちは、さほどの警戒も見せず、軽口を交わしながら進んでいた。
彼らの認識では、依頼にあった『食い荒らしの原因』とは、せいぜい大柄な熊か、野生の狼の群れ程度のもの。
ベテランの冒険者ならばともかく、ブロンズ級の彼らでも十分に対処できると高を括っていた。
だが、しかし…それは『熊』とは程遠い存在だった。
森の静寂を破るように蠢く、異形の怪物。
高さは、3メートルを超え、赤黒い無数の触手がうねり、全身に散らばる無数の目が冒険者たちを見つめていた。
現実離れしたその姿に、誰もが一歩、いや二歩と後ずさった。
「な、なんだあれは……ッ!」
「あ、あんな…魔物…見たことがないっ…」
目の前の異形が、音を立てることなく微動する。
その僅かな動きだけで、全身に冷たい汗が噴き出る。
ブロンズ級とはいえ、彼らも一応は冒険者。
数多の戦いをくぐり抜けてきたが、これほどまでに理不尽な恐怖を感じたことはなかった。
それでも、剣を握る手は震えながらも本能的に戦闘態勢を取る。誰もが理解していた。
逃げることは許されない。今ここで立ち向かわなければ、自分たちが『食い荒らされる側』になると。
かく言う太郎も、突然の武装した男たちに驚き戸惑っている。
動揺して無数の眼が右往左往する。
「…(こ、こいつら、誰だ?あの武装…農民じゃない…ま、まずいんじゃないか…?)」
太郎は思案を巡らせる。前の農民は、腰が抜けていたためハッタリは上手く行った。
しかし、今回対峙する相手は、5人。若く武装している男たちだった。
とりあえず、彼はゆっくりと立ち上がる。
太郎が立ち上がると冒険者たちは、頬に汗を流し後ずさりするが、逃げることはしない。
「…(逃げないか…くっ…転生したばっかりだ…俺はまだ死にたくない…よし…悪役ロールだ…)」
太郎の無数の眼がギラリと光り、ゆっくりと冒険者に話しかけた。
「今宵の贄は貴様らだな…?(こ、ここで退いてくれれば、良いけど…)」
「っ!…」
禍々しい声が闇夜に響いた。ぞわりと全身に悪寒が走る。
冒険者たちの足は震える。
しかし、先頭に立っていた戦士は、勇気を振り絞って剣を構えると前に進む。
「俺は冒険者ギルドの依頼で来たブロンズランクの冒険者だ。…お前を…討伐しに来た!」
「冒険者…だと?(なに、それ…冒険者って職業あるのか…?ここ)」
なるべく低い声で、悪役ロールをして冒険者たちを撤退させようとする
「…弱き魂たち、か…我は美食家なのでな…貴様らは食材には値せん…早急に消えるが良い…」
だが、逃げることはなかった。
各々が武器を構える。
「(だ、ダメか…な、なら…俺の『力』を見せるしか…ないっ)ふん…弱き魂どもが…勇気を出した褒美に我の力の一旦を見せてやろう…」
サウンドクリエイトを発動。頭を吹き飛ばす音を想像し、数メートル先で音を鳴らす。
ブシュッ…パーンッ!!
それは、まるで何かの頭が吹き飛んだかのような音だった。
「っ!?」
「な、何だ…今の音っ…」
「こ、この化け物……何をしたんですか…っ…」
冒険者たちは反射的に身をすくませた。音の出所を探そうとしたが、それがどこから生じたものなのか分からない。
「…クク…分からんか…?数メートル先の野生動物の頭を潰したのだ」
手で頭を潰すような動作をしながら、無数の眼を冒険者たちに向ける。
「っ…(あの一瞬で頭を潰すなんて…)」
「なぜ、貴様らの頭を潰さない分かるか…?我は殺した者は食べるようにしている。…初めに言ったが我は美食家だ。そして、貴様らは食べるに値せん…だから生かしてやってるのだ…」
「…」
「だが、我に挑むと言うなら人生に後悔するが良い…我と相まみえれば、玩具のように遊んで殺してやる。永遠の深淵に堕ちるのだ…」
「っ…(…そんなの嫌ですっ)」
「(よしよし…これならいける)…今なら、逃げることを許そう…我は寛大なのだからな…ククク」
「せ、先輩…俺…死にたくないよっ」
「お、俺だって…」
顔を真っ青にする冒険者たち。リーダー格の戦士も冷や汗がとどめなく流れていく。
「お、俺だって死にたく…ない…」
「さぁ、想像しろ…貴様…いや貴様らなど、我に掛かれば一瞬で頭を潰すことができるのだ…」
あの異形の力で、自身の頭が潰されることを想像して戦士の冒険者が震えだす。
理屈ではなく、本能が告げる。『勝てない』と。
「ひっ……!?」
次の瞬間、一人が腰を抜かし、それを皮切りに他の冒険者たちも蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「ば、化け物だァァァァァッ!!」
全力で悲鳴を上げながら、彼らは森の入口へと駆け去っていく。
太郎は、逃げていく彼らを見送りながら、内心で大きく安堵の息を吐いた。
『サウンドクリエイト』。
彼が持つ唯一のスキルを用いて、「頭が吹き飛ぶ音」を鳴らしただけだった。
実際には何も起きていない。しかし、恐怖に駆られた彼らには、それが『現実』として受け取られたのだ。
「ふん…やはり、弱気魂だったな…(……ふぅ。何とかなった)」
心の中で、胸を撫で下ろす太郎。
しかし、冒険者たちが逃げ出した方向から殺気を感じた。
「っ…(こ、これは…殺気っ!?)」
喧嘩をしたことがない太郎でさえ、察することができる冷たい殺意に背筋が凍る。
太郎は無数の眼を凝らし、殺気を放つ存在を見据える。
森の静寂を切り裂くように、草木をかき分ける音が響いた。
太郎の視界に、赤黒いローブをまとった人影が映る。
姿を見せたのは、一人の女だった。
ゆっくりと歩みを進めるその女性は、まるで闇そのものから生まれたかのように、周囲の空気すらも変える。
細身の体を包む赤黒いローブは、まるで生きているかのようにうねり、形を変えながら次第に赤黒いドレスへと姿を変えていく。
さらに彼女の右肩から何かが生えて来た。
それは、まるで翼のように広がる、異形の蔓である。
蔓の表面は滑らかではなく、至る所に鋭くねじれた棘が並び、血の薔薇を思わせる美と殺意を併せ持つ。
蔓には複数の(関節)があり、まるで生き物のように動いており、装飾ではないことが伺える。
色彩は漆黒に近い赤。闇夜の中でわずかに光を反射し、赤黒く煌めく様子は、まるで血と闇を混ぜて編んだかのような不気味な美しさを帯びている。
その髪は長く、顔を覆い隠していた。しかし、その中に潜む気配は、明らかに異様なものだった。