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魔族の集落①


山々が連なる谷間、木製の梯子と橋で繋がれた集落があった。


町と呼ぶには小さく、村と呼ぶには広すぎる、魔族たちの隠れ里。


人の目の届かぬこの地には、人間の姿はない。

住まうのは、ダークエルフ、獣人、ヒューマンインセクト、その他さまざまな種族の魔族たち。


彼らの多くは、人の世で生きることを許されなかった者たちだった。

生まれながらに「魔族」と呼ばれ、住む地を奪われ、追われた者たち。


この里は、迫害された魔族たちの最後の砦。

決して戦うことを望まず、ただ静かに暮らしていただけの場所だった。


朝靄が薄く漂う里の片隅。

木造の民家の小さな窓から、二つの影がゆっくりと顔を覗かせた。


双子のダークエルフ。


灰色の髪に、太陽の光を反射する金色の瞳。

褐色の肌は、夜闇に溶け込みそうなほど滑らかで、長く尖った耳が特徴的だった。


兄のノクスは、静かに周囲を見渡す。


慎重で、現実的な思考を持つ彼は、危険の兆しに敏感だった。


対して妹のルーナは、好奇心に満ちた目を輝かせ、じっとしているのが苦手な性格だった。


彼らの着る服は、手作り感の強い簡素なもの。


村の皆が分け合いながら生活しているため、贅沢な装飾などはない。

しかし、それでも二人には十分だった。


「ねぇ、ノクス!今日は森に行こうよ!」


ルーナが期待に満ちた声で兄にせがむ。


「またか……ルーナ、昨日も行ったばかりだろ…。」


ノクスは呆れ気味にため息をついたが、妹の輝く笑顔を見ると、結局は首を縦に振るしかなかった。


「少しだけだぞ。遠くには行くはダメだからな…。」


「やったー!」


ルーナは勢いよく家を飛び出し、ノクスは苦笑しながら後を追った。



―――



森の空気はひんやりとして、緑の香りが心地よかった。

陽光が葉の隙間から差し込み、木漏れ日がふたりの足元を照らしている。


ルーナは、無邪気に駆け回りながら木々の間を跳ねるように進んでいった。

やがて、大きな枝の先に、見たことのない果物を発見する。


「これ、おいしそう!」


「こら…見たこないのを――」


ノクスが、静止しよとするが、ルーナは木に手を伸ばし、慎重に果実をもぎ取ると、ぱくっと一口。


シャリっと瑞々しい音が響く。


「ん~……あ、甘い!」


「はぁ…まったく…」


幸せそうな顔で頬を膨らませるルーナを、ノクスは優しい笑みで見つめた。

彼にとって、妹の楽しそうな姿を見ることが何よりの幸せだった。


だが――


パキッ。


遠くから、微かに響いた小さな音が、ノクスの笑顔を凍りつかせた。


「……ルーナ、ここで待ってろ」


「え?…どうしたの?」


ノクスの顔つきが変わったことに気づき、ルーナは首をかしげる。


「何でもない。すぐ戻るから。」


ノクスは短く告げると、足音を殺しながら里の方へと向かった。

木々の間をすり抜けながら、耳を澄ませる。


「っ…」


――何かがおかしい。


嫌な予感がする。


これはただの勘ではなく、今まで何度も危険を察知してきた彼の本能だった。




―――




ノクスが里の近くへ戻ると、耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。


「こ…これは…っ!?」


「いやぁぁっ!」


「や、やめて下さいっ!?」


「う、うちの子に何っ――っ!?」


瞬間、ノクスの全身を冷たい汗が伝う。心臓が早鐘のように鳴り、指先が震えた。


「……まずい……」


呟くと同時に、踵を返してルーナのもとへ戻ろうとする。しかし、その瞬間――


ゴォォォォッ!!


突如として、村を覆い尽くすように紅蓮の炎が爆発した。


「……っ!!」


轟音とともに、炎の渦が次々と家々を飲み込みながら天へと昇っていく。


空が赤く染まり、黒煙が風に乗って流れ、焦げた肉と木材の焼ける臭いが鼻を突いた。


「……ルーナ!」


ノクスは走った。


胸が締め付けられるような嫌な予感がする。


ルーナが彼の言いつけを破って里へ向かったとしても、まったく不思議ではなかった。


そして、視界に飛び込んできたのは――


里の入り口に、呆然と立ち尽くすルーナの姿だった。


金色の瞳を見開き、震える唇を動かしながら何かを言おうとしている。しかし、声は出ない。


「ルーナ!!」


ノクスが叫ぶ。しかし、彼女はただ、そこに立ち尽くしていた。


――目の前に広がる光景に、囚われたかのように。


燃え盛る炎が村を舐め尽くし、崩れ落ちる屋根の下で、魔族たちの悲鳴が響く。


「助けて……誰か……!」


「いやだ、死にたくないっ……!」


「離してよっ!いやっ!?」


「お、俺たちが何してっていうんだっ!?」


血に染まった地面。そこかしこに転がる無数の遺体。

里を蹂躙するのは、人間の冒険者たちだった。


平和だったはずの村は、一瞬にして地獄へと変わっていた。



―――


 

「はぁっ…はぁっ…」


どれほどの時が経ったのか。

どれだけの距離を走ったのか。


燃え盛る里を逃げ出してから、ずっとルーナは走り続けていた。


息が切れ、肺が悲鳴を上げているのがわかる。それでも足を止めなかった。


闇夜を駆け抜け、気がつけば空は薄曇りの朝を迎えていた。

冷たい空気が肌を刺し、森の奥に差し込む陽光が揺らめいている。


ルーナは一度も振り返らなかった。


振り返れば、家々が崩れ落ち、仲間たちが血に染まる光景が脳裏に焼き付いてしまう。


振り返れば、もう二度と歩き出せなくなる気がした。


だから、ただ前を見て走った。

転びそうになりながらも、足がもつれても、それでも走り続けた。


それが、生き延びるために必要なことだったから。


どこまでも続く山を越え、深い森の中へと身を隠した頃――


――追っ手の足音は、もう聞こえなくなっていた。


ついさっきまで耳をつんざいていた怒号や悲鳴が、まるで別世界の出来事のように感じられるほどの、圧倒的な静けさ。


気が付くと朝から夜に変わっており、ようやく、ルーナは足を止めた。


「……はぁ……はぁ……」


全身が重い。

心臓が激しく鼓動を打ち、喉は焼け付いたように乾いていた。


身体を支えようと、近くの木の幹にもたれかかる。


そのときビリッ、と鋭い痛みが腕を走った。


ルーナは目を落とし、息を呑む。


腕が、血に染まっていた。


どこかで木の枝か、茨の棘にでも引っかけたのだろう。


衣服には無数の引き裂かれた跡があり、足元にも細かい傷が刻まれていた。


走ることに必死で、痛みすら感じていなかった。

だが今になって、じわじわとしみるように痛みが広がる。


「うっ…ダメ…な、泣いちゃ…ダメ…。」


震える声で、ルーナは呟いた。


泣きたい。

喉の奥がひりつき、込み上げてくるものを必死に飲み込む。


けれど、泣きたいのは、あの里に残された仲間であり、家族たちだ。

自分はまだ、生きている。


この足で、まだ歩ける。


それだけが、今のルーナに許された唯一の事実だった。


「……とにかく…歩かないとっ…」


震える足を引きずりながら、ルーナはゆっくりと立ち上がった。

大きな木の幹に手をつき、荒い息を整えながら、か細い足で一歩を踏み出す。


それだけで膝が笑い、力が抜けそうになった。


歩くたびに身体の節々が悲鳴を上げる。


逃げ出した時に靴が脱げ、裸足で走っていたため足裏は地面に擦れ、痛みが広がる。


肩で息をしながら、それでも彼女は前へ進んだ。


空腹と渇き。


最後に何かを口にしたのは、二日前だった。

ノクスと一緒に行った森で食べた果物だけ。その後は、何も食べていない。


水すら口にしていない。

 

喉が焼けるように乾き、腹が痙攣するほどに空腹だった。

胃がきしむ。


締め付けられるような鈍痛が、体を内側から蝕んでいく。


森の中を歩きながら、野草や木の実を探してみたが、見つからなかった。

時折、獣の気配を感じることもあったが――今の自分には、それを狩る力もない。


まるで、世界が自分を拒んでいるかのようだった。

 

餓死


その考えが、脳裏をよぎる。


ルーナは、生き延びるために、必死で逃げてきた。

必死で走って、ここまで来た。

 

だが、何の意味があったのだろう。

このまま、ゆっくりと衰弱し、倒れ、そして……


ルーナは、頭を振った。

 

違う。


ここで倒れるわけにはいかない。


唇を噛み、震える足を前へ出す。

ふらつく視界の中、木々の間を進み続ける。


どこかに、水場さえあれば——

何か、食べられるものがあれば——


希望を探して、ルーナは歩き続けた。


この、絶望の森の中を――。




―――




森の静寂を切り裂くように、木々の間から視界が開けた。


ルーナの視線の先、そこにいたのは2つの影があった。


「…あの人…綺麗…」


彼女の目が、美しい女性を捕えた。

170cmほどの長身の女。


黒と深紅が混じったローブをまとい、その身をゆったりと動かしている。


動くたび長い髪が揺れ、まるで闇夜に踊る霧のように靡いていた。


その存在は異様でありながらも、どこか神聖な気配すら纏っているように見える。


もう1人は、褐色というより浅黒い肌の男性ながら小柄な青年。

見た目こそ人間に近いが、まとわりつく空気が尋常ではない。


まるで、そこにいるだけで周囲の空間が歪むかのような、そんな異質な存在感を持っていた。


「…ごく…」


だがルーナの目を引いたのは、彼らの異様さではなかった。


彼らのそばに、食料があった。


焚き火のそばに置かれた干し肉と果物。

水を蓄えた革袋。


「(しょ、食料だ…助かる…)」


お腹の虫が鳴き、頭の中に、その言葉が反響する。


飢えに苦しみ、喉の渇きに意識が霞む中で、目の前に現れた救い神(食料)。


しかし、ただの哀れな逃亡者が姿を見せたところで、彼らが自分を助けるとは限らない。


「っ…」


むしろ、無用な厄介者として追い払われる可能性のほうが高い。

数日前の光景が彼女の脳内に駆け巡る。

下手をすれば、殺されかねない。


ならばと、ルーナは道中に拾ったローブを握り直す。


おそらく、どこかの盗賊か流れ者のものだったのだろう。すすと血がこびりついていたが、今の彼女にはそれが好都合だった。


ローブを深くかぶり、影を作る。


顔が見えないようにし、不気味な雰囲気をまとわせる。

背筋を出来る限り、伸ばし、弱々しさを覆い隠すように、威圧的な空気を作り出す。


この命をつなぐために。


震える手を握りしめ、決意を固める。

 

いま、自分にできることはたったひとつ。


彼らの前に姿を現し、生きるための賭けに出ること。

ルーナは、息を整え、足を踏み出した。


焚き火の光が、揺らめく影を映し出す。


ルーナは、闇の中から現れた亡霊のように、二人の前へと飛び出した。




―――




夜の帳が、ゆっくりとクトゥルたちを包み込んでいった。


空は漆黒に染まり、朧げな月がわずかな光を落としている。


その光も黒雲に呑み込まれ、夜の闇はさらに深まっていた。


雲はまるで生き物のように流れ、空を静かに覆い隠していく。


死者の荒野を抜け、森の入り口へと足を踏み入れた途端、周囲の空気ががらりと変わった。


先ほどまで耳を撫でていた風のざわめきが止み、虫の羽音すらも消えた。


木々は漆黒の影を伸ばし、巨人の腕のように揺らめいている。


幹と幹の隙間は、まるで未知の深淵へと続く裂け目のように思えた。


クトゥルは、黒い瞳を巡らせながら、ふと違和感を覚えた。


まるで森全体が息を潜め、何かの気配を警戒しているかのようだった。この沈黙は、ただの夜の静けさではない。


「ふっ…何かいるな…」


焚き火の火が、ぱちりと音を立てた瞬間だった。


静寂の中、クトゥルが不意にそう呟いた。


彼の瞳は夜闇の彼方を射貫くように細められ、微動だにしない姿はまるで風そのものの鼓動すら読み取るかのような神秘性を帯びていた。


その隣で、エリザベートが息を呑む。


「っ(私たちはまだ何も感じないのに…クトゥル様は数キロ先の気配を探知しているのね…)」


驚愕と畏敬。

その混ざり合った感情が、胸の奥をひたひたと満たしていく。

彼の感知能力は、常識を遥かに超えていた。


地平線すら見えないこの闇夜において、誰も気づかぬ微かな異変を、クトゥルはすでに察知していたのだ。

気配でも、匂いでも、音でもない。

それはまさしく、神の直感。


「(流石ハ俺タチノ神ッ…)」


ルドラヴェールが静かに頭を垂れ、信仰を込めるように低く唸る。

その鋼のごとき体躯が、ひととき地に伏すように身を縮めた。


闇の中、彼らの主は、絶対の存在としてその場に君臨していた。


……しかし、当のクトゥルはといえば――


「(やばい、カッコつけて言ったけど……何も感じてないんだけどっ…)」


自分の発言に一瞬で後悔しつつも、彼は表情一つ動かさず、腕を組んで遠くを見据えていた。


実際には、「何かがいる」などという確証は一切ない。


ただ、静かなだけ。

ただ、風が吹いた気がしただけ。

ただ、月が雲に隠れただけ。


……ただそれだけのことで、中二病が脳内で目覚めたのだ。


だが、そんなことを周囲が知る由もない。

むしろ、彼の謎めいた言動こそが、さらなる神格化の材料となっていく。


――クトゥルは、知らず知らずのうちに、絶対者としての仮面を深く被り始めていた。




―――




「もう遅いですし……今日は休みますか…?…」


深く沈んだ夜の森に、エリザベートの静かな声が柔らかく溶けていった。

月明かりに照らされた小さな空き地――そこは、木々が程よく開け、地面も安定しており、野宿には理想的な場所だった。


クトゥルは周囲を一瞥し、小さく頷く。


「うむ…(俺は眠れないけどな)」


眠ることのない存在である邪神クトゥル。

彼の言葉は神秘の帳を纏い、誰の疑念も差し挟ませなかった。


小隊は自然と動き出す。焚き火の準備、周囲の警戒、最低限の快適さを整えるべく動く中、問題がひとつ浮上する。――薪が、少ない。



足元には、少々の薪と湿った苔と落ち葉ばかりで、焚き火の燃料になりそうな乾いた枝がほとんど見当たらなかった。


そのとき。


「グル…薪ヲ集メ二行キマス。エリザベート殿…クレグレモあるじヲ――」


沈黙を破って、ルドラヴェールが重々しい声で告げる。


その体毛のように見える金属質の毛がわずかに月光を弾き、赤い巨体がゆるやかに身を起こした。


言葉の最後に滲む緊張と忠誠心。その両方を込めて、彼はエリザベートに警戒を促そうとした――が。


「誰に物を言ってるの…?クトゥル様には指一本たりとも、触れさせはしないわ。」


その言葉は、氷の刃のように冷たく、鋭く空気を裂いた。


「もっとも、私が居なくてもクトゥル様は問題ないわ…」」


エリザベートの瞳は揺るがない。全幅の信頼と、根底に燃える狂信が、彼女の一言一言に重みを与えていた。


ルドラヴェールは、言葉を飲み込む。


彼女の視線は、鉄よりも強靭で、森の闇よりも濃かった。


その横で――


「(い、いや……居てくれないと困るっ…!?…)」


クトゥルは内心、顔を引きつらせそうになるのを必死で堪えていた。

心で冷や汗をかきつつも、その表情には一切の動揺を見せない。


神の威厳。それを装うのもまた、偽り神の勤め――ということにしておく。


ルドラヴェールは、無言のままクトゥルに視線を送り、次いでエリザベートと視線を交わす。

その赤く燃える瞳に、微かな敬意と謝罪の色を宿し、頭を垂れた。


「……確カニ。我ガ主ヨ。ゴ無礼ヲオ許シヲ…」


その言葉に、クトゥルはゆっくりと頷く。


「……許そう…」


声音は低く、重く、堂々としていた。


深紅の巨体が、やがて音もなく森の奥へと消えていく。

まるで夜風に溶ける影のように。

その驚くほど静かな足取りから、あの巨体が放つ圧倒的な威圧感は微塵も感じられなかった。


森は再び、焚き火の灯りと虫の音だけが支配する静寂へと還っていった。

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