七
雀だった。雀はひっくり返り、頭から足先までをぴんと伸ばしている。くちばしは半開き、小さな目はぎゅっと閉じられたままだ。触れずとも冷たくなっていることが分かる。雀の死体だった。
蘇秋香が得意げに鼻を鳴らした。
「さっき、花苑に転がっているのを見つけたの。さあ、歌いなさい。この小鳥を生き返してみせなさい」
黄五娘は、呆然と雀を見つめた。まだ喉は引きつったまま、言葉は出てこない。当然、歌声も出てこない。心臓だけがばくばくと、うるさく騒いでいる。
「いつまで黙っているのよ」
「さっさと歌いなさい」
蘇秋香に続けて、雀を持った取り巻きも言う。
ふいに、黄五娘の頭の中に鴇母の声が響いた。
――ほら、歌いなさい。
それは、黄五娘の心に染みついた呪詛だった。病人や死人の前に出たならば、ただ歌う。何も考えずに、ただただ歌う。黄五娘とはそういう娘だ。歌うことしか能のない娘。
騒々しかった鼓動が凪ぐ。黄五娘は静かに手を伸ばし、雀を受け取った。そして、震える口を開いた。
息を含んだ細い歌声が、冷たい空気を微かに揺らす。弱々しい霞のような声が紡ぐのは、子守歌だった。
素朴な節回しを幾度か繰り返した後、黄五娘は口をつぐむ。恐る恐る、手の中を見る。雀は固まったまま、ぴくりとも動かなかった。
すべての終わりを告げるように、遠くで烏が鳴いた。
「やっぱり、嘘じゃない」
そう言うと、蘇秋香は袖で口元を隠した。
「死者を蘇らせるなど、できるわけがない。病を治すというのだって、嘘でしょう。貴方の歌は、ただの歌でしかない」
艶やかや絹地の下で、蘇秋香はにんまりと唇をつり上げているのだろう。隠していても、そう分かってしまうほど、彼女の声は暗い喜色に満ちていた。
同じ声音が、さらに言葉を継ぐ。
「貴方は天子様を、ひいては天子様のご快復を祈るすべての人民を謀っている。つまりは国賊に他ならない。そのように宰相に告げるから、覚悟しておきなさい」
「きっと助からないわよ」
「命乞いの練習をしておくといいわ」
取り巻きたちが、好き勝手に言い募る。
黄五娘は黙ったまま立ち尽くしていた。もはや、どうにかしなければという考えすら消えていた。歌うしか能のない娘は、どう足掻いてもごまかす言葉を持っていなかった。適当な理由をつけて場をごまかすのは、いつも鴇母の役目だったのだ。
「愚かな娘」
最後に蘇秋香はそう嘲ると、踵を返した。その後に、取り巻きたちも続く。
ただ一人、黄五娘は立ちつくす。温かいはずの日差しが、冷たく感じる。
「終わった⋯⋯」
虚ろに呟いたその瞬間、胸の辺りが激しくざわめき始めた。
箍が外れたように、心が荒れ狂う。悲しみは雨となって降り注ぎ、後悔は風となって吹きすさぶ。ばちばちと紫電のように飛び散るのは、恐怖だろうか。様々な感情が混じり合い、嵐となって胸の内をかき乱す。黄五娘はへたり込んだ。気がつけば、頬が冷たい。涙があふれる。かすむ視界の中に、雀が見えた。熱を失った、小さな命。
涙とともに、ぽろりと言葉がこぼれた。
「⋯⋯ごめんなさい」
病を治してくれと、大金をはたいた老人。死んでしまった新妻を蘇らせてくれと、すがって来た若者。日ごとに歌を求める、皇帝陛下。それから鴇母。誰に対しても、己は無力だ。
病を治すことも死者を蘇らせることも、できない。その嘘を、貫き通すこともできない。今まで騙してきた人たちに顔向けできないのは当然として、これでは鴇母にも申し訳が立たなかった。上手くやるんだよと、そう言われたのにできなかった。何もかもでたらめだと知られてしまった今、彼女も罪に問われてしまう。本当に歌うことしかできない、愚かな娘である。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
いくら謝れども、心の嵐は静まらない。当然だ。詫びたところで、許される罪ではない。
それでも、黄五娘は謝罪の言葉を繰り返した。澄みきった蒼天のもと、嗚咽混じりの声は切々と響く。
「どうした」
聞きなれた低い声が聞こえて、黄五娘はびくりと肩を震わせた。