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瑜娘伝  作者: 平井みね
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 雀だった。雀はひっくり返り、頭から足先までをぴんと伸ばしている。くちばしは半開き、小さな目はぎゅっと閉じられたままだ。触れずとも冷たくなっていることが分かる。雀の死体だった。

 蘇秋香が得意げに鼻を鳴らした。


「さっき、えんに転がっているのを見つけたの。さあ、歌いなさい。この小鳥を生き返してみせなさい」


 黄五娘は、呆然と雀を見つめた。まだ喉は引きつったまま、言葉は出てこない。当然、歌声も出てこない。心臓だけがばくばくと、うるさく騒いでいる。


「いつまで黙っているのよ」

「さっさと歌いなさい」


 蘇秋香に続けて、雀を持った取り巻きも言う。

 ふいに、黄五娘の頭の中に鴇母の声が響いた。

 ――ほら、歌いなさい。

 それは、黄五娘の心に染みついた呪詛だった。病人や死人の前に出たならば、ただ歌う。何も考えずに、ただただ歌う。黄五娘とはそういう娘だ。歌うことしか能のない娘。

 騒々しかった鼓動が凪ぐ。黄五娘は静かに手を伸ばし、雀を受け取った。そして、震える口を開いた。

 息を含んだ細い歌声が、冷たい空気を微かに揺らす。弱々しいかすみのような声が紡ぐのは、子守歌だった。

 素朴な節回しを幾度か繰り返した後、黄五娘は口をつぐむ。恐る恐る、手の中を見る。雀は固まったまま、ぴくりとも動かなかった。

 すべての終わりを告げるように、遠くで烏が鳴いた。


「やっぱり、嘘じゃない」


 そう言うと、蘇秋香は袖で口元を隠した。


「死者を蘇らせるなど、できるわけがない。病を治すというのだって、嘘でしょう。貴方の歌は、ただの歌でしかない」


 艶やかや絹地の下で、蘇秋香はにんまりと唇をつり上げているのだろう。隠していても、そう分かってしまうほど、彼女の声は暗い喜色に満ちていた。

同じ声音が、さらに言葉を継ぐ。


「貴方は天子様を、ひいては天子様のご快復を祈るすべての人民をたばかっている。つまりは国賊に他ならない。そのように宰相に告げるから、覚悟しておきなさい」

「きっと助からないわよ」

「命乞いの練習をしておくといいわ」


 取り巻きたちが、好き勝手に言い募る。

 黄五娘は黙ったまま立ち尽くしていた。もはや、どうにかしなければという考えすら消えていた。歌うしか能のない娘は、どう足掻いてもごまかす言葉を持っていなかった。適当な理由をつけて場をごまかすのは、いつも鴇母の役目だったのだ。


「愚かな


 最後に蘇秋香はそう嘲ると、踵を返した。その後に、取り巻きたちも続く。

 ただ一人、黄五娘は立ちつくす。温かいはずの日差しが、冷たく感じる。


「終わった⋯⋯」


 虚ろに呟いたその瞬間、胸の辺りが激しくざわめき始めた。

 たがが外れたように、心が荒れ狂う。悲しみは雨となって降り注ぎ、後悔は風となって吹きすさぶ。ばちばちと紫電のように飛び散るのは、恐怖だろうか。様々な感情が混じり合い、嵐となって胸の内をかき乱す。黄五娘はへたり込んだ。気がつけば、頬が冷たい。涙があふれる。かすむ視界の中に、雀が見えた。熱を失った、小さな命。

 涙とともに、ぽろりと言葉がこぼれた。


「⋯⋯ごめんなさい」


 病を治してくれと、大金をはたいた老人。死んでしまった新妻を蘇らせてくれと、すがって来た若者。日ごとに歌を求める、皇帝陛下。それから鴇母。誰に対しても、己は無力だ。

 病を治すことも死者を蘇らせることも、できない。その嘘を、貫き通すこともできない。今まで騙してきた人たちに顔向けできないのは当然として、これでは鴇母にも申し訳が立たなかった。上手くやるんだよと、そう言われたのにできなかった。何もかもでたらめだと知られてしまった今、彼女も罪に問われてしまう。本当に歌うことしかできない、愚かな娘である。


「ごめんなさい……ごめんなさい」


 いくら謝れども、心の嵐は静まらない。当然だ。詫びたところで、許される罪ではない。

 それでも、黄五娘は謝罪の言葉を繰り返した。澄みきった蒼天のもと、嗚咽混じりの声は切々と響く。


「どうした」


 聞きなれた低い声が聞こえて、黄五娘はびくりと肩を震わせた。

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