三
黄五娘は、都から遠く離れた寒村の生まれだ。水はけの悪い土地ゆえに田畑の実りは薄く、人々は重たい税に苦しみながら、あえぎあえぎ日々をしのぐ。そんなどこにでもある鄙びた村の、黄という家に生まれた末の娘である。
黄五娘は小柄で力が弱く、働き手としてはまったく役に立たない子供だった。蝶よ花よと育てられる娘であれば、それでも一向に構わないのだろうが、寂れた村ではそうもいかない。役立たずの穀潰しは、邪魔なだけ。黄五娘は、あっさりと売り払われた。五歳のときのことだ。
黄五娘を買ったのは、故郷の村から百里ほど離れた港町に建つ妓楼であった。ちんちくりんの非力な幼子に、妓楼の鴇母(妓楼の女主人)は一体何を見出したのか。はっきりとしたことは分からないが、何か黄五娘に感じるものがあったようだ。何かというのはおそらく、金のにおい。
その直感は正しかった。黄五娘は金のなる木であったのだ。
事の始まりは、黄五娘が八歳のときのこと。
水汲みに掃除に洗濯、それから針仕事。年を重ね、できることが増えると、仕事の量もぐんと増した。そして、折檻が始まったのもこの頃だ。失敗すると、鴇母や妓女にぶたれるようになった。そのような毎日が続けば、心はどんどんすり減ってゆく。けれども、そこで泣くと、またぶたれる。
泣けないのであれば、どうするか。心にたまった苦しみを、どうやって吐き出すのか。
その代わりの方法が歌だった。黄五娘は生まれつき敏い耳を持っていたようで、妓楼を賑やかす歌や楽の音をいつの間にか覚えてしまっていた。その調べを、皆が寝静まっている頃合いにこっそりと口ずさむ。すると、すっと心が晴れるのだ。様々な音を奏でている間はただただ楽しく、苦しいことや辛いことはすべて忘れていられる。こうして、黄五娘は歌うことで自身を慰めるようになった。
しばらくは人知れず歌っていた黄五娘であったが、楽しさのあまり声が大きくなってしまうことがしばしばあったらしい。やがて鴇母の知るところとなる。
「ときどき聞こえるあの歌、お前が歌っているのかい?」
鴇母からそう尋ねられたとき、黄五娘はどきりとしたものだ。素直に答えたら、絶対にぶたれると思った。
ところが、ぶたれることもなければ、食事を抜きにされることもなかった。むしろ、鴇母はまったく正反対のことをした。彼女は黄五娘を下働きから引き揚げると、食事をしっかりと与えるようになった。そして、行儀作法を教えこみ、上等の着物を着せ、客の前で歌を歌わせるようになった。もちろん、その客から対価――金を得ていたことは言うまでもない。
黄五娘の歌は、瞬く間に評判になった。すると、鴇母はどんどん歌に対する対価をつり上げていった。子供の歌に対する金額にしてはだいぶ高額であったが、しかし、妓楼というものはそういう場所であろう。ゆえに、これで終われば、きっと許されたはずだ。ところが強欲な鴇母は、黄五娘という金のなる木を、さらに大きくしてしまったのだ。
きっかけは、とある客の一言であった。李だか王だか、ありふれた名前のその男は、黄五娘の歌をえらく気に入り、しょっちゅう聞きに来ていた。彼は持病の癪に長らく悩まされていたらしいのだが、あるとき鴇母にこう告げた。
「あの娘の歌を聞くようになってから、体の調子がすこぶる良い。癪の痛みも和らいだようだ」と。
この言葉を聞いた、鴇母はぴんと閃く。そして〝病を治す奇跡の歌〟という触れ込みで、黄五娘を売り出し始めた。
このとき、黄五娘は十一歳。まだまだ子供であったが、もの知らずではなかった。妓楼には自分より歌の上手な妓女が何人もいたから、自惚れてもいなかった。歌が病を治すなどあり得ない。黄五娘はそう思った。己の歌がそのように語られるのは、嫌だった。歌いたくないとすら思った。だが、歌うことを拒めば、鴇母からぶたれた。それでも頑なに口を閉ざしていたら、「舌を引っこ抜いて、下女に格下げするよ」と脅される。舌を失えば歌えない。そのような状態であの下働きの辛い日々を過ごすことを思えば、答えは一つしかない。騙しているのだと分かりながらも、黄五娘は歌い続ける道を選んだ。
すると、病を治す歌の噂はじわじわと広まってゆき、やがて町の外からも客が殺到するようになった。鴇母は、笑いが止まらなかったに違いない。彼女は、歌に対する代金をあり得ないほどまでに引きあげ、客たちから多量の金を巻きあげた。ときに「まったく良くならない、眉唾だ」と怪しまれても、彼女は「もっともっと繰り返し聞けば、必ず治りますよ」などと言いくるめ、さらに金をふんだくる。
一年、二年と時を経るごとに、悪評は膨らんでゆく。だが一方で、もともとの評判もぶくぶくと膨らみ続け、いつしか「黄五娘という娘の歌を聞けば死人も蘇る」と噂されるようになってしまった。
そして今年の夏の終わり頃、妓楼に都からの使者がやって来る。その要件は「黄五娘を宮妓として、皇城に召し上げたい」というものだった。
皇帝は病身であるらしい、という噂は黄五娘も聞いたことがあった。ゆえに、歌声の妙を買ったのではないことは、すぐに分かった。
金のなる木である黄五娘を手放すことに、鴇母は良い顔をしなかった。しかし、金銀財宝を目の前に積まれると、あっさりと手のひらを返した。
「絶対に上手くやるんだよ」
都へ立つ朝、鴇母から言われたその言葉を、黄五娘は今でもはっきりと覚えている。
病を治せ、と言うのではない。病を治せないことが露呈しないように立ち回れ、ということだ。なんせ、相手は皇帝である。もしも、歌にまつわる奇跡が嘘であると知られてしまったら、黄五娘のみならず、鴇母も罪に問われる可能性がある。
何がなんでも、上手く騙し続けねばならない。病は治るのだと嘯きながら、歌わねばならない。
どんなに心が苦しくても、逃げ出したくても。
いかなる針の筵であっても、黄五娘は立ち続けねばならないのだった。