一
夕焼け空に、鳶の甲高い声が響く。その鳴き声に呼ばれたのだろうか、一陣の風が吹いた。
残照をさらうような、ひんやりとした風だった。上着を着ていても、冷たさが肌にしみる。季節は晩秋、冬はすぐそばまでやって来ていた。
寒風に負けじとばかりに、黄五娘はじっとうつむきながら、一歩一歩地面を踏みしめる。そうして、歩きながら思う。
大きすぎる不細工な足だな、と。
魚の刺繍が入った愛らしい沓に包まれているが、そんなものは見せかけ、まやかしでしかない。どんなに美しい沓を履いたところで、足の大きさまでは隠せない。足を踏み出すたびに、この場所を汚しているような気がしてくる。
この場所とは王宮の奥、すなわち後宮。鮮やかな瑠璃瓦を葺いた御殿がいくつも立ち並び、広大な花苑には季節の花々が咲き誇る。尊き人々に相応しい、壮麗な場所に黄五娘はいた。
妃をはじめ、後宮に暮らす女性たちの中には、高貴な出自の娘も多い。そのような娘たちは、幼少のころに足を布で包んで大きく育たないようにしていた。貴人たちの間では、蓮のような小さな足が至高とされているのだ。
黄五娘は齢十四の、こぢんまりとした娘だ。足が大きいといえども、六寸(約十八㎝)程度。むしろ、子供めいた小さな足である。だが、皇后をはじめとした高位の女性たちの足は、黄五娘の幼い足よりもなお小さいのだった。
歩くことに不自由しない、大きな足。それは、出自の低さを物語っている。どんなに美しい沓を履いたところで隠せない。きっとこれが草鞋でも履いていたのなら、不釣り合いでもなんでもない。周りからは、下働きの女だと思われて終わる話だ。だが、黄五娘は銀糸で彩られた沓を履いている。沓だけでなく、羽織った上着も絹でしつらえられた上等なものだった。
再び、鳶が鳴いた。黄五娘はなんとなしに顔を上げるも、鳥影は見えなかった。しかし、代わりとばかりに、余計なものが視界に入る。
通りかかった御殿の入り口に、人影があった。女官が二人、立っている。身なりが良いので、おそらく位の高い女官であろう。艶やかな装いは、黄五娘よりもずっと様になっていた。
二人は黄五娘の方を見ながら、何事かをささやき合っている。
「ほら、またあの小娘が呼ばれたみたいよ」
「ああ、あの田舎の妓楼から来た子ね」
「どうやら奇跡の歌を歌うらしいけれど、本当なのかしら」
「柴明様も律儀よね。毎日毎日ああして迎えに来て」
女官たちは口元を袖で隠している。それにもかかわらず、声がもれ聞こえてくる。ささやいている風を装いながら、聞こえるように話しているのかもしれない。
黄五娘の足が止まった。女官たちが、じろじろと見つめてくる。その無作法は蔑む心の表れか。彼女たちの視線が痛々しくて、黄五娘はうつむいた。
「どうした。何を止まっている」
前方から声が飛んできて、黄五娘は行く先へと視線を返す。女官たちも、声をひそめる。
宦官――柴明が立ち止まり、黄五娘の方を見つめていた。先を行く彼との距離が、だいぶ開いてしまっている。
「も、申し訳ございません」
黄五娘は、慌てて駆け出した。ひらひらと裙の裾をはためかせ、瞬く間に遅れを取り戻す。そうしてから気がつく。走るなど、はしたなかった、と。後宮の子女は走らない。そもそも、足が小さければ走ることなどままならない。
しかし、柴明は咎めなかった。それというのも、黄五娘のことをあまり見ていなかったようだ。彼の鋭い双眸は、女官たちに向けられていた。
「⋯⋯寒い中、わざわざ見物に出てきたのか。随分と良い趣味をしている」
宦官らしからぬ、やけに低い声で柴明は言った。
黄五娘は、どきりとした。あまり大きい声ではなかったが、女官たちにも聞こえてしまっただろうか。さっと振り返れば、彼女たちはそそくさと御殿の中に引っ込んでしまった。
「お前も、あまり気にするな。行くぞ」
柴明は冷ややかに言い放つと、踵を返す。
黄五娘は、喉が詰まるのを感じた。彼に返すべき答えは一つしかないというのに、すんなりと言葉が出てこない。黙ったまま、じっと粗末な足を見つめる。この沓を脱ぎ捨てて、逃げ出すことができたなら、と思う。
けれど、それは叶わぬ願いだ。
「どうした。早く来い」
柴明が呼んでいる。黄五娘は一度つばを飲み、それから答えた。
「今、行きます」
心はどんなに拒めども、行かねばならない。なぜならば、寝所まで来るよう、皇帝に召し出されたのだ。断ることなどできやしない。
黄五娘はおもむろに体を返し、柴明の大きな背中を追いかけた。