8話 元王妃は、隣国王子とともに辺境の街に踏み入れる
風魔法を使ったルベルトの移動速度は、徒歩とは比べ物にならなかった。
彼は木々の間を器用にすり抜けながら、跳ぶようにして、森を移動する。
到着は本来、半日以上後を想定していた。
が、日が昇る頃には、ミュラ王国東端の街・トレールの外壁前までたどり着いていた。
ここからはどうするのだろう。
彼が人目を忍んで、森に入っただろうことを考えれば、なにか抜け道があるのかもしれない。
私はそんなふうに思っていたのだけれど……
「越えるぞ」
「え」
なんの作戦もなく、単なる物理的な解決方法だった。
彼は足元に力を蓄えると、勢いをつけて、街を囲う高い壁を一足飛びに越える。
そのうえで静かに着地を決めると私を下ろしてくれた。
久しぶりに地に足をついたせいか、なんとなく浮遊感があった。
それで私は路地裏のタイルの上、その場で足踏みをして、感触を確かめる。
そうしてたら、ずいっと魔猪の角が突き出されてきた。
「これを渡しておく。今回は本当に助かった」
「こちらこそありがとうございます。どうお礼を言ったらいいか。あのままだったら遭難していたかもしれません」
まぁ、嘘なのだが。
それでも助けられたことは間違いないから、笑顔でお礼を言うとともに、しっかり頭を下げる。
「……俺もあのまま魔法が使えない状態が続いていたら、気がおかしくなっていたところだ。また礼をさせてほしい」
「え。いや、これを貰いましたしもう十分――」
「ひとまず、これを渡しておこう」
もはや聞いてくれもしない。
彼は私の遠慮を華麗にスルーしてそう言うと、ポケットの中をなにやら探り出す。
出てきたのは、糸で作られた手のひらサイズの馬だ。いわゆる手芸品だろう。
「これは……」
「お守りのようなものだ。どこかに結び付けておくといい」
「は、はぁ」
「すまないが、俺はもう戻らなくてはならない。お前はこのあたりの人間か」
「えと、違います。ただしばらくはこの辺りにいようかとは思っておりますが」
「そうか、ならば近いうちにまた」
彼はそう言い残すと、私を置いて一人、足早に去っていく。
大方、城の者たちが寝静まっているうちに、城へと戻る算段なのだろう。
そうして考えれば、明け方までに帰れない可能性を受け入れてでも、私を見捨てなかったのだ。
魔物への執拗な攻撃はともかくとして。
少なくとも噂されているような酷い人間には、今のところ思えない。
私はそんなことを考えながら、ルベルト王子の背中をまずは見送り、一応の義理として、その馬の手芸品をカバンに括り付ける。
それから一つ息をついて、足元を見つめた。
まだ実感はないが、ここはもう、オルセン王国ではない。
今立っているのは、私の出自を知る人すらいない、異国の地だ。
その事実に高揚感を覚えつつ、私はとりあえず表通りへと出た。
まだ人通りの多い時間ではなく、比較的静かな街をゆっくりと見て回る。
西端の街とはいえ、要所であり、なかなかの発展具合だった。
各種施設は一通り揃っているし、道路や水路の整備なども比較的行き届いている。
なにより、衛生的だ。
外れの方に行っても、極めて汚れているような場所はない。
さすがに、オルセンの王都と比べれば見劣りはするが、それくらいがむしろちょうど落ち着いた。
次に、通貨だが、ミュラ王国では、銅貨、銀貨、金貨の三種類が扱われていているようだ。
銅貨なら十枚で銀貨一枚、銀貨なら十枚で金貨一枚といったレートになっていて、だいたい銅貨が一枚あれば、小さなパンを一つ手に入れられる。
宿代の相場は、安いところで銀貨一枚から。
ただしピンキリで、かなり高いところもあって、その設備は外見からだけでも分かるくらい大きく異なっていた。
それくらい、いろいろな層がこの街にはやってくるのかもしれない。
言葉は、基本的にオルセン王国と大きく変ることはないが、若干なまって聞こえる。
たぶん、こちらではこれが主流なのだろう。
と、そんなことを分析しているうち、朝の時間は過ぎていった。
日が高くなっていくとともに、市中には人が増えてきて、活気が出はじめる。
そうなったところで、私が足を向けたのは――
「なかなか立派ね」
中心街のど真ん中に、立派なレンガ造りの建物を構えている複合ギルドだった。
薬師になりたい。
その目標を叶えるためにはまず、その資格を手に入れる必要がある。
そう考えての行動だ。
オルセン王国にいたときには、許可を得ることなく商売をしていたが、それはやむをえなかったからにすぎない。
守るべきルールは守るのが、私の信条の一つだ。
それに、登録さえしてしまえば、とりあえず新しい身分ができるのも大きいしね。