第66話 倒れる元旦那と妹
彼女は私をのぞき込むようにして、平謝りをしてくる。
眉を落として、いかにも心配するような顔をしていた。
だが、間違いなくわざとだ。
そう分かるくらい、はっきりと悪意を感じる行動だった。
この光景を見て、くすくすと笑う令嬢もいる。
本当に面倒くさい世界だ、私は心の中で改めて思うと同時、苛立ちが湧きおこってくる。
だが、一国の王子の婚約者を演じている以上は、取り乱すわけにもいかない。
「いえ、お気になさらず。主役はお忙しいでしょうから次にいかれてください」
「でも、あたし……」
「そこまで濡れてませんから」
私はこう言い切って、白々しく悲しげな表情を作るハンナから距離を取る。
ルベルトはそんな私を心配そうにのぞき込んだ。
「大丈夫か、アスタ」
「えぇ。羽織りのおかげで、直接はかかりませんでしたから」
「……外で服を変えてくるといい。俺もついていこうか?」
しかしまぁ、優しい王子だ。
冷酷だなんて噂されているが、むしろこの会場にいる連中のほうがよほどひどい。
その気遣いはありがたかったのだけれど、しかし。
ルベルトはそのそばから、オルセン王国の重鎮である御年七十の御仁・ベラビス公爵に声をかけられて、捕まってしまう。
隣を離れてもいいのだろうか。
彼に毒が盛られる可能性をも考えると、うかつには判断ができない。
私がどうしようかと迷っていたら、
「行ってよ。その間は、僕がどうにかするから」
そこへそれまでにこやかに別国の要人たちと談笑をしていたデアーグが、助けに入ってくれた。
「……ありがとうございます」
「いいから、いいから」
頼もしい側近だ。
彼が見張っていてくれれば、少なくとも毒を盛られる心配はない。
私はそう考えて、少しの間だけと、会場の外へと出る。
そして控室まで戻り、濡れた羽織を脱いだところで、ふと違和感に気づいた。
「……この匂い」
肩口から漂ってくる白ワインの甘い香り。
さっきまでは、食べ物やら香水やらの匂いに混ざって、分からなくなっていたらしいが、そのなかにたしかに、つんと棘のある刺激臭が混ざっていた。
私はそれを最近嗅いだことがある。
そう、イチイの種から生成した毒薬と同じ匂いだ。
つまりハンナに、誰かが毒を盛ったということになる。
私は慌てて、会場まで走って戻る。
するとそこでは、もうすでに騒ぎが起きていた。
会場の中心にできた人だかりを掻き分けて、中心まで行けば、そこでは、ハンナだけではなく、ローレンまでもが倒れている。
どちらも滝のような汗を浮かべて、泡を吹いていた。
王家直属の医者が容態を確認しているが、それを待つまでもない。エーギル先生の言っていたとおりの症状だ。
典型的な、イチイの毒症状だ。




