第57話 元王妃、かつての薬学の先生を訪ねる
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その家は、王都の大通りからはずいぶん離れた場所、商人住居が立ち並ぶ住宅地の中に、ひっそりと佇んでいる。
極めて少ししか道に面しておらず、そもそも小さなその家は、ただ通り過ぎるだけでは見落としてしまいかねないほど小さい。
が、たしかにそこに私の尋ね人はいる。
私は扉の前に立ち、十回、戸をノックする。
それから扉の前で、手拍子を三回。そして最後に、
「常識を疑うのが薬学である」
こんなセリフを言う。
それから少し待っていれば、奥からこつこつとこちらに近づいてくる足音がして、扉が開いた。
「……見ない顔ですね」
中からは、ぼさぼさ頭の片眼鏡をかけた男が出てくる。
床にまでつきそうな白衣を羽織っており、いかにも研究者という容姿をした彼は、エーギル・エリントン。
薬師であり、研究者でもあり、そして私が王妃だった頃は、私の薬学の先生でもあった。
といっても、最後の方は仕事に忙殺されて、ほとんど教えを乞う機会はなかったが。
彼は、ひどく警戒心が強く、薬の生成依頼などは知った顔に関係するものしか受けない。
そのため、尋ねる際は、あのような合図を求められる。
「誰かの紹介できたの?」
「えっと、はい」
「誰の? ……あー、まぁいいや、とりあえず入りな」
彼は、私に背を向けて、先に奥へと入っていく。
と言って、見渡せる範囲ぐらいにしかスペースはない。
そもそも狭い室内が、大量の本や、薬の原料たちでおおわれており、人が歩けるスペースはごくごくわずかだ。
「失礼します」
私はその中へと足を踏み入れる。
わずかな隙間を縫うようにして、ぼろぼろの椅子へと通してもらう。
「それで、誰から?」
彼は、あからさまにおかしな色をした紫のハーブティーを出してくれながら、こう聞いてくる。
フードをとっても、髪型や化粧がまったく違うからか、ばれている気配はないらしい。
まぁこの人の場合、人に無関心なところがあるから、あまり参考にならないのだが。
いくらなんでも、正直に身分は明かすわけにはいかなかった。
「あの、アストリッド様から」
私は迷った末に、こう答えた。
その言葉に、彼は目を何度かしばたく。それから、どういうわけか天井を見上げるようにして、息を一つ吐いた。
「あぁ、そう。アストリッド様。そうか。それじゃあ、紹介をもらったのは半年以上前か」
「はい。まさかあんなことになるなんて」
「……まったくだ。おれにとっても、稀有なくらいの理解者だったんだがな。ときには普通手に入らないような薬草の融通もしてくれたし、なにより聡明で美しかった。お前は、どういう関係だ?」
「えっと、地方の薬師です。アストリッド様に勧められて、分からないことがあったら、ここに行くといいって」
「とんだ置き土産だな」
彼はふっと一つ笑って、紫のハーブティーを一気にあおる。
「本題を聞く前に一つ話をしようか。お前はあの人をどう思っていた?」
それから飛び出てきたのは、こんな話題だ。
あまり、というかほとんど雑談をせず、薬学の話ばかりする彼から出てくるものとは到底思えないものだった。
……そして、私にとっても最悪だ。
なにが楽しくて、自分の話をしなくてはならないのだろう。
ただ、これを乗り越えなくては、話を聴いてくれそうにもなかった。




