第55話 もう揺れることはない。
「アスタ。構わないか、ここにいて」
「……勝手にしてください」
「では、そうさせてもらおう」
最後のところで堪えていたところ、つっかえを外された感覚だった。
結局涙は止まらず、私はさめざめと泣き続ける。
ルベルトはそれに対して、なにも言わない。
私の横に並んで、夜空を見上げる。そして、私の手が震えているのを見てか、手を重ねてくれる。
その配慮と、温もりのおかげもあったのかもしれない。
そのうち涙はついに収まってくれた。
そこで、ようやく状況に恥ずかしさがこみ上げてくる。
私は控えめに、彼が手を重ねてくれていた右手を引く。
「えっと、すいません」
「謝るようなことはされていない」
「……理由も聞かないんですか」
心はだいぶ落ち着いていた。
だが、まだ戻り切らない震え声で私のほうからこう聞く。
普通、こんな時間にこんなところで泣いていて、気にならないはずがない。
そうは思ったのだが、彼は首を一つ縦に振る。
「そんなものは別にいい。言いたくなったら言えばいい。そうでないなら黙っていればいい」
「……じゃあ、言いません」
「そうか。誰にだって言いたくないことくらいあるものだ。俺にだってあるさ」
ルベルトは遠い目をして、夜空を見上げながらに言う。
はじめて見る、切なげな表情だった。
その姿は月夜のわずかな明かりの元だからこそ、映えるのかもしれない。
夜空に一つだけ浮かぶ星みたいな、今に消えてしまいそうな儚い美しさが、今の彼を包み込んでいた。
ルベルトは、王家の人間だ。
彼も彼で、色々と抱えているものがあるのだろう。それはもしかすると、私よりも大きい可能性だってある。
が、しかし。
「でも、いつかはすべてを話したいとも思う」
ルベルトははっきりとこう言い切って見せる。
その言葉に、はっとして私は顔を上げた。
「……たしかに、そうですね」
本当に、心の底から同意だ。
今はまだ言えるようなことじゃない。でも、いつかは言いたい。すべてを話して、そのうえで受け入れてもらえたらいい。
「どうやらお互い様らしいな」
ルベルトはふっと笑って、夜空に目をやる。
「じゃあ、もうこの話は終わりだ。星でも見ていようか」
「……そういうの好きなんですね」
「星座を覚えることには、一時期はまっていた。星は逃げないからな」
「変わった理由ですね。それに、星は逃げますよ。見えなくなりますから」
「次の年になれば、また見えるだろう。待っていれば、また見える」
どれが、どういう名前の星座であるとか、ルベルトは指さしながら教えてくれる。
その内容は、正直入ってこない。というか、空ではなく、私はうっかりと彼の横顔をしばらく眺めてしまう。
理由は分からない。
そりゃあ綺麗な顔だけれど、それだけならこれまでに何度も見てきているのに、どういうわけか、今は目を離せない。
「……聞いているか」
それを、ルベルトに気づかれてしまったらしい。
「つまらなかったな。すまない」
そればかりか、変な取り方をされて、悲しまれてしまう。
「いいえ、全然。すいません、もう一回お願いします。私も星は好きな方なんです」
「そういうなら、もう一度。あれが北極星で、その周りが――」
今度こそ、ルベルトの話を聞きながら、私は空へと目をやる。
そうしてしばらく、くしゃみが一つ出てしまった。
いくら夏とはいえ、夜だ。
泣いたせいもあってか、顔周りから首筋にかけてが、少し肌寒く感じられる。
熱いのは唯一、さっきまで彼に握ってもらっていた右手だけだ。
なにか魔法でもかけられたのだろうかというくらい、そこだけがはっきりと熱を持っている。
「……そろそろ戻ろうか。薬師自身が風邪を引くわけにもいかないだろう」
「……ですね。薬は飲みたくないです。苦いですから」
「アスタの作る薬は、本当にまずいからな」
「もし私がうつしたら、飲んでくださいね」
なにかから逃れるようにここへ来たときには考えられないくらいには、回復していた。
軽い冗談を言いあいながら、私たちはバルコニーから廊下へと戻る。
私の部屋のほうが、ルベルトの部屋より手前に位置していた。
「今日はその、ありがとうございました。今日のことは誰にも――」
「気にするな、他言するような相手もいない。デアーグにも言うことはない」
「ふふ、そうでしたね」
私は頭を下げてから、部屋へと入る。
月明りだけがわずかに照らす室内は、さっきまでとなにも変わらない。いや、むしろさっき薬箱を乱雑に漁ったせいで、少し荒れている。
そのうえ、一人であることもさっきと同じだ。
だのに、もう心がざわざわと揺れることはなかった。




