第53話 呼びかけてくれる声は。
視界全部を覆うオレンジの炎、それから灰色の煙。
私は思わず跳ね起きて、あたりを確認する。
そこにあったのは、なんのことはない。窓の外から漏れてくる月明りにだけ照らされた、薄暗い部屋の景色だ。
だが、それを見ても身体の震えは止められなくて、私は自分の両肩を抱くようにしてベッドの上に座る。机の上に置いていたジールのペンダントを手にして、握りこむ。
そのうえで、精神を安定させる作用のある乾燥ハーブをそのまま口にするが、すぐに効果が出るものでもない。
呼吸の苦しさは変わらなかった。
いくら深呼吸してみても、胸の鼓動は異常な早鐘を打つ。
火が目の前に迫り、屋根が落ちてきて、煙が充満して、そしてジールが――
そんな光景が、脳裏から離れてくれない。
もちろん逃避生活をしている途中は、何度もこんなことがあった。だが、最近では克服したと思っていたのに、これである。
原因はなんとなく分かっていた。
要するに、あの夜と同じような状況だからだ。
あの日も私はお酒を飲み、遅くに自室に帰って、そして大切な人を失った。
こうしてオルセン王国に再び帰ってきて、元屋敷のすぐそばにいることできっと、今の状況とそれを重ね合わせてしまったのだ。
ただそれだけで、実際にはなにも起きていない。
ただ、それが分かっているからって、制御できるものではないらしかった。
どうにもこうにも落ち着いていられなくなり、私はとにかくと部屋を出る。
目指す場所があるわけでもない。ただ、頭の中で燃え盛る炎と、繰り返される絶望からどうにかして逃げたかったのだ。
いつまでも追いかけてくる絶望から、できるだけ遠くに行きたかった。
私は廊下を早歩きで一直線に歩き、バルコニーへと出る。
そのままフェンスにもたれかかるように手をついて、自分の頭を抑える。
ただ、それでも絶望はついてくる。
やがて、とんと音がした。
なにかと目を開けば、手すりの上には、小さな水の玉ができている。
どうやら、泣いてしまっていたらしい。
「……どうすれば消えてくれるの」
打つ手がなくて、私は歯を噛みながら一人呟く。
悲しみ、憎しみやら怒りやらが、ごちゃ混ぜになって、延々と込み上げてきていた。
そしてそれは、まったく終わりが見えない。
暗く、まったく先の見えない穴の底に、私はどんどんと落ちていく。
と、そんな時だ。
「アスタ」
後ろから、こう呼び掛ける声があった。
それも、ほんのすぐ近くから。
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