第50話 元王妃は、隣国の薬師として、母国に降り立つ
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ダンスの練習に付き合ったり、製薬に勤しんだり。
忙しく過ごしていているうちに、船内での時間はまたたくまに過ぎていった。
毒薬は、一応それなりのものができた。刺激臭のある液体で、ほんの数滴でも、人を昏倒させるくらいはできるだろう代物だ。
が、解毒薬はといえば、結果としてできていない。
火をつかったり水を使ったり、魔力そのものを込めるなど工夫をしたが、うまくはいかない。
どうやら持ち込んできた材料だけでは、完全に無毒化するのは難しいらしい。
そう分かってから、数日。出航から約二週間後の昼すぎ。
船はほぼ予定通りに、オルセン王国王都ほど近くの港町・ノガサについていた。
「迎えが来ている。行くぞ」
「りょーかい。やっと降りられる~」
到着を見越してすでに、降りる準備は大方終わっていた。
ルベルトとデアーグはこう言いながら、メインルームを出ていこうとする。
が、私がまだ薬箱を開けているのを見ると、ルベルトはこちらを振り向く。
「なにか船内でなくしでもしたか?」
「ふふ、違いますよ。ちょっと確認です。先に行ってください。私は一薬師ですから。他の使用人の方々と、最後に降ります。それが普通でしょう?」
「……そうか」
ルベルトはそれだけ言うと、先に部屋を出ていく。
そうして広い部屋に一人になったところで私は改めて自分の容姿を確認する。
少なくとも、王妃だった頃とはまったく異なる
これなら、まず見つかることはない。
自分でそう納得してから、一応はローブを着込み、フードを被って、他に乗っていた役人、使用人らに促されて船を降りた。
さすがに隣国の王子を迎えるだけあって、かなりの人数が港では待ち受けていた。
中には私の知った顔である貴族もいる。
だが、その視線がこちらに向くようなことはなく、挨拶の時間は終わり、私は使用人らと同じ列の後方にある馬車に乗り込んだ。
ここから数刻走れば、もう王都だ。
車窓に、数年前に見たときとほとんど変わらない街道の景色が流れて、胸の奥がざわざわとし始める。
それは、馬車がスピードを上げていくほどに高まっていき、やがてはその速度すら追い越すような鼓動が胸を打ち付ける。
それを私は胸のペンダントに手を当て、深く息を吐くのを繰り返して、抑えつける。
「あの、アスタ様でしたよね」
そこへ、前の席に座っていた女性の一人からこう声をかけられた。
「えっと、そうですけど」
「あの、私、ルベルト様の使用人をしている者です。どうしても一つだけ聞きたいことがあって。いいですか」
「……は、はぁ」
彼女たちとは、特別顔見知りというわけでもない。
いったいなにが気になるのだろう。そう思っていたら、
「ルベルト様とはどういうご関係なんですか!?」
「それ、私も気になってました」
とんできたのは、こんな質問だ。
私の横に座っていた方も、会話に参加してくる。
それだけじゃなく、狭い馬車の中にいる私以外の五人全員が私の回答を待っているようだ。
もしかすると私が自分と戦っている間も、彼女たちは私に質問する機会をうかがっていたのかもしれない。
……いったい、私は彼女らからどういうふうに見られているのだろう。
まさか、仕事の関係です、なんて回答が求められているとも思えない。
「少しばかり仲良くさせていただいておりますが、薬師として仕事をいただいております」
「それだけですか?」
「それだけですよ」
私は少し圧を発して、話を強制的に終わらせてしまおうとする。
王妃だった頃は、こういう態度を取れば、媚を売るためにすり寄ってこようとする連中はほぼ十割で撃退できた。
だが、その技は彼女たちにはまったく通用してくれなかった。
「でもでも。この間、ルベルト様が鏡の前で一人で髪型を気にされているときがあって。いつもならあまり気にされないのに、と思ってたら、書庫に行かれたのを見たわ」
「そういえば、夜中にキッチンを使わせてほしいって言われて、なにかと思ったらクッキーを焼いていたときもあったかも。しかも、『女子が好む味はどんなものだ』とか聞いてくるの! もう、びっくりしたなぁ、あれは」
「へぇ、有力情報すぎる! あの、それって貰ったんですか?」
……そういえば、ポーションを作ったまま寝落ちしたときに、受け取った気がする。
だから一つ頷けば、全員が顔を見合わせて、きゃあと声を上げるものもいる。
「そのあたり、もっと教えてください!」
「……それ以上はありませんよ」
「あ。それなら、あたし知ってるかも。この間、ルベルト様が熱を出されたときに『アスタは……』ってルベルト様が呟いたのを聞いたって」
もはや、目撃談ではなく、伝聞でも関係ないらしい。
彼女たちは次々に、ルベルトの様子を教えてくれる。
そしてその一つ一つを色恋に結びつけて来ようとするから、まいった。
本人にはなんの気もないかもしれないというのに、私のほうまで恥ずかしくなってくる。
しかもまったく飽きないようで、次から次に話が横につながっていく。
それに飲み込まれているうち、気づけば私の心からざわつきは消えていた。
そしていつのまにか日は傾く時間になっており、馬車も王都にたどり着いている。
ある意味では、彼女たちと一緒の馬車に乗って、よかったのかもしれない。




