第46話 元王妃は、隣国王子と船に乗り、母国へ向かう
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「う、気持ち悪りぃ……。もうだめかもしれねぇ」
青を通り越して紫の顔色、デアーグは身体を丸めながら、口元を手で押さえる。
眉間には深く皺が寄っていた。
そして、その溝には脂汗が伝っており、時折苦しげな息が漏れる。
見ているだけで、その辛さが伝わってくる異常な様子だった。
だが、それを反対側の席から見ているルベルトはといえば、腕組みをしながらため息をつく。
「……やはり、こうなるか」
こう呟くからには、この事態を予見していたのだろう。
なにをと言えば、デアーグが船酔いするという事態を、だ。
しかも、出航してからすぐの話であるから、デアーグはかなり酔いやすいらしい。
ルベルトが隣の私に軽く視線を流すから、私はひとつ頷く。
そして机の上に置いていた薬箱から取り出したのは、酔い止めの錠剤だ。
事前にルベルトから作っておいてほしい、と依頼を受けて、用意していたのである。
その理由がこれだったらしい。
「アスタさん、それもしかして薬?」
「はい。水なしでも飲めるようにしておきましたから、すぐに飲み込んでください。数刻すれば、楽になります」
「ありがてぇ、うわ、なんかもう神より神だ……」
やっと少しデアーグの顔に光が戻る。
が、彼は身を起こして薬を飲むと、肩を丸めたまま立ち上がった。
ふらふらと扉の前まで歩いて行き、出ていく際に思い出したように、
「すいません、薬が効くまで少し休みます。なにかあれば呼んでください」
ルベルトにこう言い残して出て行く。
とても、なにかあっても呼べそうな雰囲気じゃなかった。
「あそこまで酷いんですね……」
私はその姿が見えなくなってから、思わず呟く。
「昔からだ。あれでも、ましになったほうだった。アスタは、船は?」
「過去に何度か。私は大丈夫みたいです。ルベルト様は?」
「俺もどうともない。むしろ海の上は好きなくらいだ。さすがに、オルセンは遠いがな」
城の書庫にて、オルセン王国への同行を申し出てから数日後だ。
あれからすぐ無事に許可が降りて、私はもろもろの準備を整えたうえで、彼らとともにオルセン王国行きの船に揺られていた。
トレールの街は、海に面した街ではない。
そこで前日に、ルベルトの領内にある港町に入り、さきほど出航したのだ。
ここから二週間程度揺られて、オルセン王国の王都近くの港町まで向かうこととなる。
今からあの調子では、酔い止めの数は足りるだろうか。
私が薬箱をあらためて確認していたら、なにやら耳の脇から熱い視線を感じて、私はルベルトの方を振り向く。
「……えっと、どうかしましたか?」
「いや、すまない。随分さっぱりしたものだと思ってな」
「あぁ、髪型ですか」
そう言われて、私は短くなったもみあげに手をやり、耳に掛ける。
最近はだんだんと伸びてきて、肩につく程度、王妃だった頃と変わらないくらいの長さになっていた。
それを今回、ばっさりと切り落としたのだ。
その目的はもちろん、身バレ防止だ。
ルベルトの身を案じて、オルセン王国に乗り込むことに決めたはいいが、もし万が一生きているなんてばれたら、即処刑されるかもしれない。
そうでなくとも、充実している今の生活を失う可能性は高い。
これは、それを防止するための一環だ。
もちろん到着してからは、より用心するつもりで、別の対策も用意してある。
だが、そんなことは彼には言えない。
「少し暑い時期になってきましたから、涼しいほうがいいかと思ったんです」
「……なるほど、そういうことか。なにか心変わりがあったわけではないんだな」
「はい。まぁ懇意にしているような男性がいたわけでもありませんから」
絶対に、本当の理由だけは探られてはいけない。
鋭いところのあるルベルトにも見抜かれないよう、私は少し冗談めかして、軽く笑う。
それに対するルベルトの反応はといえば、謎だった。
目を少し見開いたと思えば、やたら唇の端をぴくぴくとさせて、頬を軽く朱色に染める。
なんだか少しだけ嬉しそうに見えた。
「えっと、どうかされましたか」
「……なにもない。気にしないでくれ。単に少し咳が出そうだっただけだ」
彼はそう言うと、口元を手で覆い隠して、喉を何度か鳴らす。
「顔が赤いのは、もしかして、風邪ですか」
「違う」
「じゃあ、なにかストレスでも?」
「……それはあるかもしれないが、別に関係はない。今のところ、すこぶる体調はいい。そう何度も発熱していられない」
彼はそう言うと、話は終わりだとばかり、席を立ち上がる。
なにか聞いてはいけないことを聞いてしまっただろうか。
そう思いながら私がルベルトを見ていると、彼は荷物の中からなにやら大きな箱状のものを取りだしてくる。
それは、まったく脈絡もなければ、彼のイメージにも全然馴染まない。
「……これって」
「『とんとん犬』だ。両側から箱を叩いて、紙で作った犬が先にこけたほうが負けになる。知らないか?」
そりゃあ、物自体は知っている。
子供向けの簡単なおもちゃであり、オルセン王国でも見かけたことがある。
ただ、それがなぜここにあるかは、まったくわからない。
「……もしかして、持ってきたんですか」
「あぁ。船の中は退屈になるだろうからな。子供向けに普及させている玩具をいくつか持ち込んだ。他にも色々と持ってきている。……戦うか? もちろん手加減などはなしだ」
暇になるのはたしかだろうが、それがまさかおもちゃになるとは思いもしない。
私は戸惑いながらも、じゃあ少しだけ、と、とりあえず首を縦に振る。
そしてこれが意外と白熱するものだった。
ただ運に任せるようなゲーム性でもないし、実力だけで決まるようなものでもない。ちょうどいいバランスだったのだ。
だから、私とルベルトは、ひたすらにとんとん箱を叩き続ける。
「これで二十勝、二十敗。イーブンだな」
「次はこちらが勝ちますよ」
そして、こんなことを言いあっていたら、薬が効いてきて楽になったのだろうデアーグが戻ってきて……
「なにやってるんですか」
目を何度もまたたき、きょとんとしていた。
結果として、そこからは彼もゲームに加わることとなったのは、言うまでもない。
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いよいよ、母国に乗り込みます!
そして、第四章突入です。よければ記念に評価、ブックマークをよろしくお願いします!