第46話 お前がいてくれるなら心強い。
私はつい目を大きく見開いてしまうが、幸いなことにそれは気づかれてはいないようで、ルベルトは目を瞑り、ため息まじりに続ける。
「なんでも、半年近く遅れたが、妃が亡くなってからの混乱がようやく収まってきたから、新しい妃を紹介したいらしい」
ここ数か月で、やっと忘れかけていた憎き二人、ハンナとローレンの顔が頭に浮かぶ。
私はそれで不安定になりかける自分の心を抑えつけるため、机の下で強く拳を握りこんだ。爪を手のひらに食い込ませて、その痛みでどうにか自分を誤魔化そうとする。
「正直、個人的には祝意もない。ローレン国王に、あまりいい噂を聞かないからな。ただ、俺がここトレールにいるのは、外交を担う意味合いも大きい。行かざるをえない、というのが正しい」
その途中で、はたと話が私の頭の中で繋がった。
いや、繋がってしまったと言ったほうがいいかもしれない。
私に依頼をかけてきた女性が置いていった、イチイの実。
あれは、西方地域に分布している植物で、オルセン王国には存在しない。
つまり、イチイを使った毒を作れるのは、このミュラ王国内で毒に詳しい薬師だけということになる。
そんな毒薬で要人が倒れるとしたら、疑いが向くのは当然、ミュラ王国側の人間だ。
だが、普通の人は国を越えて出入りすることはない。
そんなことをするのは、ルベルトのように国をまたいで招かれる来賓者だけだ。
彼が毒薬を盛った悪人に仕立て上げられる可能性もある。
いや、その可能性が高い気がする。彼の間違った悪名は、オルセン王国の貴族内でも知れ渡っているのだ。
私がそこまで考え至ったとき、
「……アスタ。おい、聞こえているか」
私はやっと自分が呼びかけられていたことに気が付く。
「えっと。なにか言いましたか」
「予定の話だ。いつにするかと聞いていた。……だが、別に今決めなくても構わない。よほど疲れているらしい。今日はもう早く帰って休むといい」
ルベルトはそう言い残すと、軽い微笑みをこちらに向けて、立ち上がる。
実に綺麗な笑みだった。
もちろん、見目は当然のごとく美しい。長く綺麗に揃ったまつげも、深い青をした高価な宝石より輝きを放つ天然ものの瞳も、薄く綺麗なラインを描く唇も、全部美しい。
ただ私が感じたのは、それだけではない。
深い慈しみのようなものが、その視線には込められているように感じて、私はしばしその残像に囚われる。
そのうちに彼が行ってしまおうとするから、
「あの」
私はどうにか声をあげて、それを引き留める。
「……なんだ。どうかしたか、アスタ」
こちらを向いて怪訝な顔をする彼に、私はなにも返せない。
『気をつけてくださいね』は、違う。
そんなことを言ったって、まったく彼のためにはならない。ただ単に、私の気休めになるだけだ。
といって、『行かないで』もおかしい。
そんなことを言っても唐突すぎるし、外交である以上、彼は必ず行くだろう。
じゃあ、どうすればいいのだろう。
どうすれば、彼が犯人にされてしまうかもしれない未来を変えられるか。
そんな道は考えるまでもなく、一つしかなかった。
「それ、私も行っていいですか」
そう、これだけだ。
もう二度と目にすることはないだろうと思っていた、最低で最悪な記憶の眠る場所に出向くのは怖い。
考えるだけで、胸の奥が疼いてきて、胸には動悸が走る。手だって、少し震えているかもしれない。
それでも、彼が罪を被らされる可能性を見過ごすことはできなかった。
忘れてしまいたいような悍ましい過去と、守り続けていきたい今。
天秤にかけたときにどちらを大切にするべきかは、はっきりしている。
やりたいように生きてほしい。
そう言ってくれたジールの思いも考えれば、ここで逃げることは考えられない。
「……アスタが?」
ルベルトは少しい怪訝な目、半身の態勢になって、こちらへと流し見る。
そりゃあ、いきなりも、いきなりだ。まだ庭の整備の予定さえ返事をしていないというのに、持ち掛けるような話ではないかもしれない。
だが、それでもここは引けない。
「えぇ。薬師としてついていきたいんです。道中になにかあったときにすぐに対応ができます。それに、オルセン王国の薬学知識はかなりのものだと風の噂で聞いたことがあります。できれば、少しそれも学んでみたいんです」
私はもっともらしい理由を付け加えて、つとめて明るい声で言う。
「……アスタは本当に知識欲があるな。普通、隣国に自分から行きたいという人間はそう多くない」
「ふふ、少しずれているかもしれませんね、私は」
「大いに、の間違いだな。だが、薬師を連れていくというのは、理由にもなるし話も通しやすい」
「だったら――」
「まず話はしてみよう。今回の遠征は、ミュラ王国の代表の一人としてになる。俺だけでは決められない」
ただ、と彼は付け加える。
「アスタがいてくれるなら俺は心強い、とそう思う」
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