第36話 元王妃は、隣国王子に送り出される
やっとのことで、有用な情報を手に入れたその夜、私はさっそく行動に出ていた。
事前に予約していた馬車を捕まえ、荷物とともに乗りこむ。
デアーグに教えてもらったカーター商会が拠点としている町・フラーレンは、ルベルトの治める領土内であるとはいえ、ここトレールの街から北西に馬車で約半日と少し距離があった。
商会の営業時間内に到着しようと思うと、今、出発しておきたかったのだ。
ギルドの身分証を提示して、門前で検閲を受ける。
少し前までなら、捕まるのではないかとドキドキしていたところだが、今はそんな心配もいらない。
確認が済むのをただ待つのだけれど、一向に終わってくれない。
なにか問題があったのかと思って、私は馬車の窓から顔を覗かせる。
そして、ぎょっとした。
門番の詰所から出てきたのは、見まごうわけもない。
僅かな月の光の元ですら輝く白磁の肌。夜空に星を散りばめたみたいな、美しすぎる藍色の瞳。夜風に悠然となびく、青の髪。
いや、もはやそれだけではない。
全身が、高貴さと美麗さと主張してくる容姿は、何度見ても新鮮味を持って圧倒される。
「……ルベルト様、なんでこんなところに」
「お前が一人でフラーレンに行くと聞いたからな」
どうやら、デアーグが余計な報告をしたらしい。
「というか、熱だったんじゃ?」
「それなら今日の昼頃に下がった。もう問題ない」
いやいや、それは十分に病み上がりだと思うのだけれど。
彼はあくまで平然と続けた。
「アスタ、フィーネの毒を貰ったそうだな」
「……え、なんでそれを」
誰にも、その話はしていないはずだ。
どういうことかと思っていたら、
「デアーグの奴が気づいた。夜会で見たフィーネの様子と、お前が腕を伸ばす様子が、似ていたらしい」
出てきた話に、私は驚くほかなかった。
書庫で肩車をしてもらったときのデアーグは、私を持ち上げるのに精いっぱいといった感じで、そんな余裕があったようにはまったく見えなかった。
だが、そんな状態でも、彼は私の異変に気付いていたというのだから、なかなかの観察眼だ。
たぶん、この間の夜会に参加した際に、フィーネの様子のおかしさにも気づいていたのだろう。
彼女が自分でデアーグに打ち明けるとも思えないから、それも見抜いていたのかもしれない。
なるほど、さすがはルベルトの側近だ。
なにも家柄だけで務めているものではなく、能力もきちんと伴っているらしい。
……まぁ、それはそれとして。
私にしてみれば、余計なことを余計な人に話してくれたなぁ、とは思うのだが。
「なかなかリスクのあることをするものだな」
「……このほうが効率的ですから」
「なるほど」
ふっ、とルベルトは軽く笑って、言葉を継ぐ。
「カーター商会のところに行くのだろう。そこの会長は厄介者だ」
「えぇ、聞きました。自分の認めた人間としか取引しないとか」
「そうだ。俺は一応、面識も取引実績もある。そして、明日までは休みを取っている」
「……ついてきてくれると?」
「もちろん、アスタさえよければだが」
ありがたい話といえば、そうだった。
クセのある人と交渉するときは、その人のことを知っている人と一緒に席につくのがいい。
これは、交渉事の世界なら常識とも言える。
だが、私は首を横に振った。
「……そうか」
「えぇ。病み上がりの方はまずしっかりと休んでください」
本当のところ、理由はそれだけじゃない。
今回ばかりは依頼者の思いを知っているだけに、彼に頼るのは反則に当たる気がした。
私が彼をどう思っているとかではなく、フィーネの気持ちを考えたときに、自分の治療のために、私とルベルトが一緒になって行動するのは、嬉しいものではないだろう。
『抜け駆けですわ』とか、的外れな指摘をされる可能性もあるしね。
「……健闘を祈ろう」
「そうしていただけると助かります」
「必ず無事に帰ってこい」
「ふふ。戦場に行くわけではないんですよ。じゃあこれで」
私は一つ彼に会釈をする。
同時、彼が門番を見ながら一つ首を縦に振れば、通行許可が降りたらしい。
再びゆっくりと馬車は動き出した。
彼が見送ってくれているから、私は窓から顔を覗かせ後ろを振り返る。
手を振るのも、なにか違う気がした。それに気恥ずかしさが勝る。
「帰ったら今度こそ、庭の整備を手伝ってくださいね」
それで私は、こう声をかけることにした。
ルベルトはそれに、口端だけで笑って、軽く片手を挙げて答えてくれた。
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